タチアナ・トトミアニナ
オリンピック | ||
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フィギュアスケート | ||
金 | 2006 | ペア |
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2004年世界選手権でのトトミアニナとアリニン | ||||||||||
生誕 |
1981年12月2日(42歳) ペルミ | |||||||||
身長 | 160 cm | |||||||||
選手情報 | ||||||||||
パートナー | マキシム・マリニン | |||||||||
引退 | 2006年 | |||||||||
ISUパーソナルベストスコア | ||||||||||
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タチアナ・イワノヴナ・トトミアニナ(ロシア語: Татьяна Ивановна Тотьмянина, {{{2}}}ラテン翻字: Tatiana Ivanovna Totmianina, 1981年11月2日 - )は、ロシアペルミ出身の女性フィギュアスケート選手。コーチは2001年までナタリア・パブロワ。以降はオレグ・ワシリエフ。振り付け師はスヴェトラーナ・コロル。現役時代の活動拠点はイリノイ州シカゴ。身長160センチ。趣味は読書と料理。パートナーはマキシム・マリニン。なお、ロシア語読みでは「タチヤーナ・イヴァーノヴィナ・タチミャーニナ」が近い。
経歴
1985年にスケートを始める。もともとはシングルのスケーターであったが、1996ー1997シーズンよりマキシム・マリニンとチームを組み、ペアに転向する。ペア転向当初はなかなか結果が伴わなかったが、2000年頃から有力チームとして認知されるようになる。2001年にはロシアから活動拠点をシカゴに移し、それにともなってコーチもワシリエフに変更している。
2002年のヨーロッパ選手権で最初の大きなタイトルを獲得(以降、引退する2005-2006シーズンまで全勝)。直後のソルトレイクシティオリンピックでは4位に食い込む。ただ、この時点では3位の申雪&趙宏博組との実力差は明らかであった。実際、2002年と2003年の世界選手権ではいずれも申雪&趙宏博組の後塵を拝して2位に終わっている。この時期までの彼等の演技について良く言われたのが、「技術的には上手いかもしれないが、これといった特徴に欠ける」という意見であった。
しかし彼等はさらにその技術に磨きをかけ、ついに2004年世界選手権では申雪&趙宏博組を抑え世界の頂点に到達する。残念ながらこの大会では申雪&趙宏博組のコンディションが今ひとつであり、両者が万全の状態で激突したわけではなかったが、彼等の進境が著しいこともまた明らかであった。
この時期を境に申雪&趙宏博組が怪我に苦しんで万全の調子を発揮出来なかったこともあり、2000年代中盤を代表するこの二つの最強チームの全盛期はほとんど入れ違いのような形になっている。続く2004-2005シーズンではグランプリ・シリーズ初戦のスケート・アメリカでリフトを失敗してタチアナが頭部から氷上に落下という大事故を経験するも、シーズン後半には見事に復活して2005年の世界選手権も圧勝(この時のフリー・プログラムは落下事故で使ったものと同じものである)。さらに2006年のトリノオリンピックでも張丹&張昊組、申雪&趙宏博組の猛追を横綱相撲で押さえ込んでパーソナル・ベストの演技で優勝を勝ち取り、アマチュアのキャリアを終えた。
現在はチャンピオンズ・オン・アイスツアーに参加している。
技術
シングル出身である彼らは、フリー演技の際、3トウループ+2トウループというコンビネーションジャンプを飛んだ。現在でも通常ペアでは、2つのジャンプをシークエンス(ジャンプの後にステップを入れ、その後2回目のジャンプを飛ぶ)で飛ぶのが一般的。このペア以降、コンビネーションジャンプを飛ぶペアが増えた。ペアでコンビネーションジャンプを飛ぶようになった先駆者と言える。
シングル出身だけあってソロジャンプの技術は高く、トリプル・トウループやトリプル・サルコウもフリープログラムに採り入れている。またスケーティングやリフト時、デス・スパイラル時の姿勢の美しさも特筆される。落下事故から復帰した後の1年半は高い技術に加えて鬼気迫るようなオーラをも身にまとい、以前言われていたような「特徴がない」という批判を完全に粉砕した。
主な戦績
大会/年 | 1996-97 | 1997-98 | 1998-99 | 1999-00 | 2000-01 | 2001-02 | 2002-03 | 2003-04 | 2004-05 | 2005-06 |
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オリンピック | 4 | 1 | ||||||||
世界選手権 | 7 | 6 | 5 | 2 | 2 | 1 | 1 | |||
欧州選手権 | 5 | 5 | 2 | 1 | 1 | 1 | 1 | 1 | ||
ロシア選手権 | 6 | 5 | 3 | 3 | 3 | 2 | 1 | 1 | 1 | 棄権 |
GPファイナル | 1 | 2 | 1 | |||||||
GPスケートアメリカ | 7 | 3 | 3 | 1 | 棄権 | |||||
GPスケートカナダ | 2 | 1 | 1 | |||||||
GPスパルカッセン杯 | 3 | |||||||||
GPエリック杯 | 5 | 2 | 4 | 1 | 2 | 1 | ||||
GPロシア杯 | 5 | 6 | 3 | 6 | 1 | 1 | ||||
スケートイスラエル | 2 | |||||||||
KSM | 5 |
詳細
2005-2006 シーズン | ||||
開催日 | 大会名 | SP | FS | 結果 |
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2006年2月10日 - 26日 | トリノオリンピック(トリノ) | 1 68.64 |
1 135.84
|
1 204.48 |
2006年1月16日 - 22日 | 2006年ヨーロッパフィギュアスケート選手権(リヨン) | 1 68.04 |
1 127.83
|
1 195.87 |
2005年12月16日 - 18日 | 2005ISUグランプリファイナル(東京) | 1 66.92 |
1 126.68
|
1 193.6 |
2005年11月24日 - 27日 | ISUグランプリシリーズ ロシア杯(サンクトペテルブルク) | 1 64.62 |
1 133.3
|
1 197.92 |
2005年11月17日 - 19日 | ISUグランプリシリーズ エリック・ボンパール杯(パリ) | 1 66.5 |
1 120.4
|
1 186.9 |
2004-2005 シーズン | ||||
開催日 | 大会名 | SP | FS | 結果 |
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2005年3月14日 - 20日 | 2005年世界フィギュアスケート選手権(モスクワ) | 1 70.12 |
1 128.37
|
1 198.49 |
2005年1月25日 - 30日 | 2005年ヨーロッパフィギュアスケート選手権(トリノ) | 1 69.7 |
1 126.58
|
1 196.28 |
2004年10月21日 - 24日 | ISUグランプリシリーズ スケートアメリカ(ピッツバーグ) | 1 64.98 |
- | 棄権 |
2003-2004 シーズン | ||||
開催日 | 大会名 | SP | FS | 結果 |
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2004年3月22日 - 28日 | 2004年世界フィギュアスケート選手権(ドルトムント) | 1 | 2 | 1 |
2004年2月2日 - 8日 | 2004年ヨーロッパフィギュアスケート選手権(ブダペスト) | 1 | 1 | 1 |
2003年12月11日 - 14日 | 2003ISUグランプリファイナル(コロラドスプリングス) | 2 62.96 |
2 114.34
|
2 177.3 |
2003年11月20日 - 23日 | ISUグランプリシリーズ ロシア杯(モスクワ) | 1 68.64 |
1 122.02
|
1 190.66 |
2003年11月14日 - 16日 | ISUグランプリシリーズ ラリック杯(パリ) | 1 63.88 |
4 101.32
|
2 165.2 |
2003年10月30日 - 11月2日 | ISUグランプリシリーズ スケートカナダ(ミシサガ) | 2 67.24 |
1 126.78
|
1 194.02 |
2002-2003 シーズン | ||||
開催日 | 大会名 | SP | FS | 結果 |
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2003年3月24日 - 30日 | 2003年世界フィギュアスケート選手権(ワシントンD.C.) | 1 | 2 | 2 |
2003年1月20日 - 26日 | 2003年ヨーロッパフィギュアスケート選手権(マルメ) | 2 | 1 | 1 |
2002年11月14日 - 17日 | ISUグランプリシリーズ ラリック杯(パリ) | 1 | 1 | 1 |
2002年10月31日 - 11月3日 | ISUグランプリシリーズ スケートカナダ(ケベックシティ) | 1 | 1 | 1 |
2002年10月23日 - 27日 | ISUグランプリシリーズ スケートアメリカ(スポケーン) | 1 | 1 | 1 |