岡田正義
表示
岡田 正義(おかだ まさよし、1958年5月24日 - )は、東京都保谷市(現西東京市)出身の日本のサッカー審判員(元国際主審)。「正義」という名前より、一部サポーターは「ジャスティス」と呼ぶ。
来歴
東洋大学在学中の1977年、4級審判員資格を取得し、選手から審判員へと転向する。
1986年には1級審判員資格を取得し、日本リーグなどのトップリーグで笛を吹く。Jリーグが開幕した1993年には国際主審に登録され、1998年のフランスワールドカップ、イングランド対チュニジア戦をはじめ、多くの国際試合で主審を務めた。
2002年には、上川徹とともに日本サッカー協会(JFA)認定のスペシャルレフェリー(SR、現プロフェッショナルレフェリー:PR)第1号となった。
また、1997年・2002年・2007年には、Jリーグ優秀主審賞を受賞した。
なお、岡田は2008年に50歳を迎えたが、JFAが2007年にサッカー審判員の50歳定年制を撤廃したことにより、2009年もJリーグの主審としてピッチに立つことになり[1]、同年5月9日のJ1第11節・大分トリニータ-横浜F・マリノス戦(@九州石油ドーム)で初のJ/J1リーグ戦で主審担当300試合を達成した。
問題となった主な試合・判定
- 両チーム無得点で迎えた後半のロスタイム、磐田は名波浩のフリーキックを福西崇史がゴールに押し込むが、ボールは明らかに福西の右手に当たってゴール内に入っており、本来なら得点としては認められないはずのものであった。
- しかし、この試合の主審であった岡田は副審に確認を取った上で、この得点を有効と判定。横浜Mの執拗な抗議も実らず、結局試合は1-0で磐田が勝利した。3月8日に行われた審判委員会でビデオ検証を行った結果、中澤佑二との競り合いの中で福西がボールが見えない状況であり意図的なハンドではなかったとの判断でこのゴールは有効と認められた。
- 前半44分のスローインの判定がガンバボールとなり(ビデオで確認すると浦和ボールであるが、主審・副審から遠い位置でのプレーであった)、これが2点目のプレーへとつながって試合は3-2でガンバが勝利した。しかし、この試合終了後に両チームの選手が小競り合いを起こし、また両チームのサポーターも物を投げ合うなどの騒動に発展したことも相まり、この試合のレフェリングが話題を呼んだ。
- なお、この試合のレフェリングに対する週刊サッカーダイジェストと週刊サッカーマガジンの採点はそれぞれ「3.5」「4.5」であった(採点は10点満点で、5.5~6.0が概ね及第点とされる)。
- 前半26分、川崎側のコーナーキックのこぼれ球をクリアした福西崇史が寺田周平に腕を当てたことで一発退場となり、川崎にPKが与えられた判定(なお、キッカーのジュニーニョはPKを失敗)。これは、ボールを蹴る際に寺田の胸付近を腕で打ったことが乱暴な行為と判断されたものであったが、ボールを蹴るときの自然な動作と判断するほうが妥当だと思われた。このジャッジに対しては本人も退場になったジャッジは納得していないと言っている。[1]元東京ヴェルディの小倉隆史氏も「ちょっと厳しいジャッジ」とコメントしている
- 福西の退場後、ヴェルディは60分余りを10人で戦ったが0-2で敗れ、J1復帰から1年でのJ2降格が決定した。また、福西もこの試合を最後に現役を引退した。
著書
- 『ジャッジをくだす瞬間 サッカーをコントロールするのはレフェリーだ』(講談社、ISBN 978-4062103626)
関連項目
- 野田鶴声社 - 愛用するホイッスルのメーカー
脚註
- ^ 50歳定年廃止 岡田氏が51歳で現役続行へ スポーツニッポン 2008年12月24日閲覧
|
|