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住吉大社

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住吉大社

住吉大社 正面鳥居
所在地 大阪府大阪市住吉区住吉2-9-89
位置 北緯34度36分44秒 東経135度29分34秒 / 北緯34.61222度 東経135.49278度 / 34.61222; 135.49278
主祭神 底筒男命
中筒男命
表筒男命
息長足姫命
社格 式内社(名神大)・二十二社・摂津国一宮・官幣大社・別表神社
創建211年
本殿の様式 住吉造
例祭 7月31日(住吉祭)
主な神事 踏歌神事(1月4日
正印殿祭(4月6日
卯之葉神事(5月初卯日)
御田植神事(6月14日
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住吉大社(すみよしたいしゃ)は、大阪府大阪市住吉区住吉にある神社である。式内社名神大社)、二十二社摂津国一宮で、旧社格官幣大社(現神社本庁別表神社)。

地元では「すみよしさん」あるいは「すみよっさん」と呼ばれ、また毎年初詣の参拝者の多さでも全国的に有名である。

海の神である住吉三神(底筒男命、中筒男命、表筒男命)と息長足姫命(神功皇后)を祀り、「住吉大神」と総称される。住吉大神宮(すみよしのおおがみのみや)ともいい、当社で授与される神札には「住吉大神宮」と書かれている。大阪の住吉大社、下関の住吉神社、博多の住吉神社、の三社が日本三大住吉とされる。


歴史

住吉神と神功皇后

仲哀天皇9年(200年)、神功皇后が三韓征伐より七道の浜(現在の大阪府堺市堺区七道、南海本線七道駅一帯)に帰還した時、神功皇后への神託により天火明命の流れを汲む一族で摂津国住吉郡の豪族の田裳見宿禰が、住吉三神を祀ったのに始まる。その後、神功皇后も祭られる。応神天皇の頃からの大社の歴代宮司の津守氏は、田裳見宿禰の子の津守豊吾団(つもりのとよあだ、つもりのとよのごだん)を祖とする。

大和王権の外交神とシルクロード

古代大和王権の外交・航海に関連した神社で、遣隋使遣唐使の守護神で、津守氏は遣唐神主として遣唐使船に乗船した。遣隋使、遣唐使は、大社南部の細江川(通称・細井川。古代の住吉の細江)にあった仁徳天皇が開いたとされる住吉津(「墨江ノ津」「住之江津」すみのえのつ)から出発する。住吉津は、上代奈良時代平安時代 初期)は、シルクロード[1] につながる主な国際港でもあった。

また八幡神である応神天皇の母の神功皇后を加えた住吉大神は、八幡神の祖神とされ、河内王朝の守護神とされる。また八幡神が陸の軍神であるのに対して住吉神は海の軍神ともされる。さらに後年は和歌の神(和歌三神の一つ)になる。

延喜式神名帳には「住吉坐神社 四座」と記載され、名神大社に列し、月次・新嘗・相嘗の幣帛に預ると記されている。神階は、嘉祥4年(851年)に最高位の正一位となった。

『源氏物語』の舞台

社前は今は完全な市中だが、江戸時代までは境内馬場(現在の住吉公園)は海に面し、白砂青松の風光明媚の代表地とされ、その風景の絵模様は「住吉模様」と呼ばれた。また紫式部源氏物語』には明石の君に関連した重要な舞台として描かれている。また『一寸法師』は子宝に恵まれなかった初老の夫婦が住吉大社に参り、子供を出産し、その子供が住吉津から細江川を下って大阪湾に出、淀川をのぼり、京都へ向う話である。

武家源氏と元寇の浜祈祷

清和源氏武士団を最初に形成した源満仲は、摂津守であった天禄元年(970年)に住吉大社に参籠し、住吉大神の神託により摂津国多田(兵庫県川西市多田)を源氏の本拠地としている。宮司の津守氏は神官であると共に一族は武士も輩出しており、源満仲の三男で河内国壺井(大阪府羽曳野市壺井)を本拠地とした源頼信を祖とする河内源氏とは源為義の頃には婚族の関係にあった。河内源氏の後裔で鎌倉幕府を開いた源頼朝1195年建久6年3月上洛の際、住吉大社に多数の御家人を集め流鏑馬を行っている。

元寇の際は、社前の住吉の浜(住之江の浜)において海神の住吉大神に蒙古撃退の「浜祈祷」が行われた。鎌倉時代末期には幕府の公認で住吉社造営費用獲得のため、へ交易船が派遣された(寺社造営料唐船)が、帰国時には幕府は滅亡しており、後醍醐天皇の綸旨をもって住吉社造営費にあてられている。

南朝の御座所(住吉行宮)

南北朝時代は、宮司の津守氏の館の住之江殿(正印殿)に南朝後村上天皇行宮が置かれ、約十年間南朝方の御座所となり、南朝の主要拠点の一つになる。次の長慶天皇は住吉で即位。また瀬戸内海水軍系武士には住吉神を奉じる者も多く、南朝方の瀬戸内連絡網の根拠となった。

室町時代

南朝方であったことから足利時代は、幕府からの制圧を受け、社領も大幅に削減され、現在の境内地と馬場(現:住吉公園)の規模とされる。

第1本宮の本殿前の拝殿
ファイル:住吉大社 船玉神社.jpg
摂社船玉神社(式内社)

祭事

  • 卯之葉神事
  • 御田植神事
  • 神輿洗神事(住吉祭の神事始め)
  • 住吉祭(夏越祓神事、神輿渡御祭、荒和大祓神事) -- 例祭。7月海の日 - 8月1日
  • 松苗神事
  • 宝之市神事
  • 初辰まいり
  • 白馬神事
  • 御結鎮神事
  • 踏歌神事
  • 観月祭
  • 埴使

施設

本殿

奥から第一・第二・第三本宮が縦(東西)に並び、第三本宮の右に第四本宮がある。

  • 第一本宮(底筒男命)
  • 第二本宮(中筒男命)
  • 第三本宮(表筒男命)
  • 第四本宮(息長足姫命)

摂社

境内末社

境外末社

  • 大歳社(おおとししゃ。大年神
  • 淺澤神社(あさざわじんじゃ。市杵島姫命
  • 港住吉神社(底筒男命・中筒男命・表筒男命・神功皇后)
  • 宿院頓宮(住吉大神・大鳥井瀬大神)

その他

  • おいとしぼし社
お愛し星(おいとしほし)、老年星(おいとしほし)ともいう。由来は謎につつまれており、金龍または龍神とも、隕石を願い事の守護神として祭り始めたものとも云われている。
  • 楠高社
  • 海龍社
  • 御滝社
  • 姫松稲荷社
  • 吉松稲荷社
  • 結乃神社
  • 神馬塚
  • 神宮遥拝所

その他施設

  • 吉祥殿
  • 住吉武道館
  • 卯の花苑
  • 住吉文華館
  • 御文庫
  • 神馬舎
  • 五所御前
  • 神館
  • 斎館
  • 五月殿

名所・旧跡

反橋
石舞台
宿院頓宮
  • 反橋(太鼓橋)
    慶長年間に淀殿が寄進。朱色の優美なシルエットが美しい。
  • 国指定史跡「住吉行宮跡」
    住吉大社宮司の津守氏住之江殿(正印殿)にあり、南北朝時代後醍醐天皇の子の後村上天皇の約10年間の御座所(行宮)であり、次の長慶天皇はここで即位。
  • 石舞台
    卯の葉神事の時に優美な雅楽が演じられる住吉大社の石舞台は日本三舞台の一つ。他の舞台は、四天王寺の石舞台、厳島神社の平舞台。また雅楽が演奏される回廊は豊臣秀頼の寄進。
  • 誕生石
    薩摩藩祖の島津忠久の誕生したといわれる場所。
  • 浜祈祷の碑
    元寇の時にモンゴル撃退の浜祈祷を住吉の浜でしたことを伝える碑。[要出典]エラー: タグの貼り付け年月を「date=yyyy年m月」形式で記入してください。間違えて「date=」を「data=」等と記入していないかも確認してください。
  • 宿院頓宮(大鳥井瀬神社合祀)
    大阪府堺市宿院。(住吉大社と大鳥大社の御旅所)
  • 住吉高燈籠
    現存する日本最古の灯台で1794年以前の鎌倉時代創建とされる。1950年ジェーン台風で木造の上部が破壊された。現在の高燈籠は、石垣の基壇を移動し鉄筋コンクリート造で復元したもので、住吉公園近くの国道26号線に面したところにある。燈籠内部は資料館となっている。燈籠に登ることもできる。

文化財

第2本宮の拝殿。後ろの朱の建物が住吉造の本殿
第3・4本宮の本殿前の拝殿
住吉鳥居

国宝

  • 住吉大社本殿 4棟(第一殿より第四殿)

重要文化財

  • 住吉大社南門
  • 住吉大社東楽所
  • 住吉大社西楽所
  • 住吉大社石舞台
  • 住吉大社摂社大海神社本殿
  • 木造舞楽面 9面
  • 太刀 銘守家
  • 刀 銘小野繁慶 奉納接州住吉大明神御宝前
  • 住吉大社神代記

史跡

重要無形民俗文化財

選択無形民俗文化財

  • 住吉の御田植神事の芸能(御田植神事保存会)

主な書籍

  • 住吉大社編 『住吉大社』 学生社、平成14年:歴史・伝承を紹介した公式のお案内
  • 真弓常忠編 『住吉大社事典』 国書刊行会、平成21年3月:宮司を平成14年11月から務めている。
  • 『住吉大社 日本の古社』 岡野弘彦文:三好和義写真、淡交社、平成16年
  • 『住吉大社の祭事記 登野城弘写真集』 東方出版、平成13年

ゆかりの人物

江戸期俳人たる松尾芭蕉は、元禄7年(1694年)の9月13日に当社を参詣、その折に次のようなを詠んでいる。

升買うて分別かはる月見かな

平安鎌倉期の歌人たる藤原俊成は、嘉応2年(1170年)に当社の秋の歌合(うたあわせ)に参加。後年には歌の道の究めのために17日間を当社に籠ることになった。[2]
大阪を舞台にした短編「反橋」の一節を刻み込んだ文学碑がある。

式年遷宮の歴史

住吉大社は、式年遷宮の伝統を維持している。ただし、伊勢神宮のように全面的な改築を行う式年遷宮は1810年を最後に行われず、神体を仮殿に移しての大規模な修理を行う。現在は30年おきの遷宮である。

  • 786年 第2回遷宮
  • 806年 第3回遷宮
  • 826年 第4回遷宮
  • 846年 第5回遷宮
  • 866年 第6回遷宮
  • 886年 第7回遷宮
  • 906年 第8回遷宮
  • 926年 第9回遷宮
  • 954年 第10回遷宮
  • 974年 第11回遷宮
  • 994年 第12回遷宮
  • 1014年 第13回遷宮
  • 1034年 第14回遷宮
  • 1053年 第15回遷宮
  • 1074年 第16回遷宮
  • 1094年 第17回遷宮
  • 1114年 第18回遷宮
  • 1134年 第19回遷宮
  • 1153年 第20回遷宮
  • 1174年 第21回遷宮
  • 1194年 第22回遷宮
  • 1214年 第23回遷宮
  • 1234年 第24回遷宮
  • 1253年 第25回遷宮
  • 1274年 第26回遷宮
  • 1294年 第27回遷宮
  • 1314年 第28回遷宮
  • 1334年 第29回遷宮
  • 1354年 第30回遷宮
  • 1374年 第31回遷宮
  • 1394年 第32回遷宮
  • 1414年 第33回遷宮
  • 1434年 第34回遷宮
  • 1446年 第35回遷宮
  • 1517年 第36回遷宮
  • 1542年 第37回遷宮
  • 1606年 第38回遷宮
  • 1618年 第39回遷宮
  • 1655年 第40回遷宮
  • 1709年 第41回遷宮
  • 1758年 第42回遷宮
  • 1810年 第43回遷宮
  • 1878年 第44回遷宮
  • 1901年 第45回遷宮
  • 1936年 第46回遷宮
  • 1961年 第47回遷宮
  • 1991年 第48回遷宮

交通

脚注

  1. ^ 最終地点は、奈良東大寺正倉院』で、捉えると妥当である
  2. ^ 『全国一の宮めぐり―ビジュアル神社総覧』 〔ISBN 4056032726〕 P.108 - 日本アート・センター

外部リンク

関連項目