コンテンツにスキップ

小津安二郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。61.46.178.129 (会話) による 2009年10月22日 (木) 13:35個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (→‎関連書籍 修正)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

おづ やすじろう
小津 安二郎
小津 安二郎
『非常線の女』セットにて(1933年)
生年月日 (1903-12-12) 1903年12月12日
没年月日 (1963-12-12) 1963年12月12日(60歳没)
出生地 日本の旗 日本 東京府深川区
(現・東京都江東区
民族 日本人
職業 映画監督
ジャンル 映画
主な作品
東京の合唱
大人の見る繪本 生れてはみたけれど
晩春
麦秋
東京物語
 
受賞
ブルーリボン賞
監督賞
1951年『麦秋』
その他の賞
毎日映画コンクール日本映画大賞 第4回『晩春』
同 第6回『麦秋』
キネマ旬報ベストワン 1932年『大人の見る繪本 生れてはみたけれど』
同 1933年『出来ごころ
同 1934年『浮草物語
同 1941年『戸田家の兄妹
同 1949年『晩春』
同 1951年『麦秋』
芸術祭文部大臣賞 1951年『麦秋』
同 1958年『東京物語』
テンプレートを表示

小津 安二郎(おづ やすじろう、1903年12月12日 - 1963年12月12日)は日本の映画監督

経歴

生い立ち

小津は東京深川の下町に、豪商湯浅屋の番頭だった父虎之助と母あさゑの次男として生まれた。9歳のときに父の郷里である三重県松阪へ転居。その後旧制三重県立宇治山田中学校(現・三重県立宇治山田高等学校)に入学。映画館通いに熱中して学校の授業には出なかったため、不良学生として寄宿舎から追放された。

代用教員

1921年(大正10年)神戸高等商業学校(現在の神戸大学)を受験して失敗。1922年(大正11年)、三重師範学校(現三重大学教育学部)受験も失敗し、現在の松阪市飯高町にある山村の宮前尋常小学校に1年間の代用教員として赴任。いつも羽織と袴、そして、下駄履きと他の教師とは違った異彩を放った風貌で、児童たちに映画の話をしたり、マンドリンを弾いたりして慕われる。この教え子たちは監督以前の小津を語れる重要な人物としてよくインタビューを受けている。

映画人生

1923年(大正12年)3月に上京し、親類のつてで松竹蒲田撮影所に入社。大久保忠素に師事する。1927年(昭和2年)『懺悔の刃』で初監督。

戦前は、『大学は出たけれど』、『生れてはみたけれど』などユーモア溢れる作風の監督として知られる。戦争中は軍部報道映画班としてシンガポールへ赴任。ここで、『風と共に去りぬ』など、接収された大量のハリウッド映画を観て過ごす。

戦後は『長屋紳士録』で復帰。以降は『晩春』『麦秋』『東京物語』などの名作を立て続けに発表し、日本映画界の重鎮となる。この時期の作品は、ほとんど前衛的とすら言える一貫した独自のスタイルに貫かれ、近づきがたい印象さえ一部の人間に与えているが、一般には松竹映画を代表する「ユーモアとペーソスの映画監督」として知られた。この時期の多くの作品は野田高梧との共同脚本であり、原節子笠智衆などをメインキャストとしている。

1951年『麦秋』で芸術祭文部大臣賞、1958年『東京物語』で同賞および英国サザランド賞受賞。1955年日本映画監督協会理事長。

戦後鎌倉に住み、里見弴と親しくなって、1958年里見と相談して同時並行で原作小説とシナリオを書き進め『彼岸花』を完成、1960年には同じ方式で『秋日和』を完成した。『彼岸花』で三度目の芸術祭文部大臣賞、功績により紫綬褒章受章、1959年日本芸術院賞受賞、1960年芸術選奨文部大臣賞を野田とともに受賞。

1962年二人暮らしだった母を失う。11月に映画監督として唯一の日本芸術院会員に選ばれる。63年里見とともにテレビドラマシナリオ『青春放課後』を書くがその後体調に異変あり、4月がんセンターで手術、いったん退院するが10月に東京医科歯科大学病院に再入院、12月12日に死去した。60歳没、生没同日であった。死後勲四等旭日小綬章を追贈された。

作風

『東京物語』のロケ。最右が小津、左前方は原節子(1953年)

ローポジション

地面ぎりぎりから撮影する独特の低いカメラアングルと厳格なまでの正面からの切り返しのフィクスショットを特徴とし、ローポジションの映画監督としても知られている。このローポジションで撮った「ちゃぶ台を囲む家族たち」のシーン、あるいは「婚期を逃しかけている娘を心配する父親」「父を思いやる娘」など、日本のテレビにおける「ホームドラマ」の型を完成させた監督でもあり、これらは蒲田調として知られる日本映画の伝統の一部として受け継がれて行った。

なお、小津安二郎の「切り返しショット」は通常の映画の「文法」に沿っていない、すなわち切り返しのショットにおいてイマジナリーラインを超えてはならないとされる「原則」に反していると指摘されている。この指摘は小津の生前から数多くなされていたが、小津は確信を持ってこの手法を取り入れていたため、少なくとも中期以降の作品においては、切り返しショットがイマジナリーラインを超えて真正面から捉える手法の大原則が破られることはなかった。こうした映画文法の意図的な違反が、独特の時間感覚とともに作品に固有の違和感を生じさせており、特に海外の映画評論家から評価を得ている。

周囲

松竹の後輩である篠田正浩が「物がなくなっていく映画」とユニークに評している。また評論家の川本三郎によると彼は白樺派及び永井荷風の影響を受けたと評されている。

死後製作されたドキュメンタリー生きてはみたけれど 小津安二郎伝』は、小津と共に松竹を支えた木下惠介、松竹を追い出されるようにして独立した新藤兼人、疑問を抱いて道を分けた今村昌平という3人の貴重な回想を、やはり「蛮さん」のニックネームで小津に可愛がられた井上和男が監督している。

評価

戦後の『晩春』以降の作品は国内でも評価が高くヒットしたが、死後は「古臭いホームドラマ映画監督」として忘れ去られようとしていた。これには「松竹ヌーヴェルヴァーグ」を担った大島渚篠田正浩吉田喜重など当時の新進監督たちによる古参監督たちへの反発も関与している。死後、しばらくしてからフランスを中心に国際的評価が高まり、その独特の映画スタイルが斬新なものとされ、著名な映画監督、評論家たちが小津映画への敬愛を口にするようになった。海外ではネオフォルマリスムの理論家デービッド・ボールドウィンが、日本では蓮実重彦などが精力的に小津安二郎論を執筆し再評価に努めた。

2003年は小津の生誕100周年にあたるため、記念プロジェクトが立ち上がり、各地で上映会などの記念イベントが催された。

国際的な支持

映画監督以上に映像芸術家として国際的に知られる。溝口健二成瀬巳喜男黒澤明と並んで小津も評価が高く、作品『東京物語』はヨーロッパで人気が高い。

小津を敬愛し、あるいは小津からの影響を明言している作家は世界的にひろがる。その国の映画制作の巨匠も多い。

作品

監督作品は全54作。

1953年までの作品は著作権の保護期間が完全に終了した(公開後50年と監督死後38年の両方を満たす)と考えられている。このためいつかの作品が現在格安DVDで発売されている。

公開年 作品名 制作 脚本・脚色 主な出演者 備考
1927年 懺悔の刃       松竹蒲田 野田高梧  吾妻三郎、小川国松、河原侃二、野寺正一、渥美映子、花柳都、小波初子、河村黎吉 白黒
サイレント
1928年 若人の夢 松竹蒲田 小津安二郎 吉谷久雄、松井潤子、斎藤達雄、若葉信子、坂本武、大山健二、高松栄子、関時男、小倉繁、笠智衆 白黒
サイレント
1928年 女房紛失 松竹蒲田 吉田百助 斎藤達雄、岡本文子、国島荘一、菅野七郎、坂本武、関時男、松井潤子、小倉繁、笠智衆 白黒
サイレント
1928年 カボチャ 松竹蒲田 北村小松 斎藤達雄、日夏百合絵、半田日出丸、小桜葉子、坂本武 白黒
サイレント
1928年 引越し夫婦 松竹蒲田 伏見晁 渡辺篤吉川満子、大国一郎、中川一三、浪花友子、大山健二 白黒
サイレント
1928年 肉体美 松竹蒲田 伏見晁 斎藤達雄、飯田蝶子、木村健児、大山健二 白黒
サイレント
1929年 宝の山 松竹蒲田 伏見晁 小林十九二、日夏百合絵、青山萬里子、岡本文子、飯田蝶子、浪花友子、若美多喜子、糸川京子 白黒
サイレント
1929年 学生ロマンス 若き日 松竹蒲田 伏見晁 結城一郎、斎藤達雄、松井潤子、飯田蝶子、高松栄子、小藤田正一、大国一郎、坂本武、日守新一、山田房生、笠智衆 白黒
サイレント
1929年 和製喧嘩友達 松竹蒲田 野田高梧 渡辺篤、吉谷久雄、高松栄子、大国一郎、浪花友子、結城一朗、若葉信子 白黒
サイレント
1929年 大学は出たけれど 松竹蒲田 荒牧芳郎 高田稔田中絹代、鈴木歌子、大山健二、日守新一、木村健二、坂本武、飯田蝶子 白黒
サイレント
1929年 会社員生活 松竹蒲田 野田高梧 斎藤達雄、吉川満子、小藤田正一、加藤精一、青木富夫、石渡暉明、坂本武 白黒
サイレント
1929年 突貫小僧 松竹蒲田 池田忠雄 斎藤達雄、青木富夫、坂本武 白黒
サイレント
1930年 結婚学入門 松竹蒲田 野田高梧 斎藤達雄、栗島すみ子、奈良真養、岡本文子、高田稔、龍田静枝、吉川満子 白黒
サイレント
1930年 朗かに歩め 松竹蒲田 池田忠雄 高田稔、川崎弘子、松園延子、鈴木歌子、吉谷久雄、毛利輝夫、伊達里子、坂本武 白黒
サイレント
1930年 落第はしたけれど 松竹蒲田 伏見晁 斎藤達雄、二葉かほる、青木富夫、若林広雄、大国一郎、田中絹代、笠智衆 白黒
サイレント
1930年 その夜の妻 松竹蒲田 野田高梧 岡田時彦、八雲恵美子、市村美津子、山本冬郷、斎藤達雄、笠智衆 白黒
サイレント
1930年 エロ神の怨霊 松竹蒲田 野田高梧 斎藤達雄、星ひかる、伊達里子、月田一郎 白黒
サイレント
1930年 足に触った幸運 松竹蒲田 野田高梧 斎藤達雄、吉川満子、青木富夫、市村美津子、関時男、毛利輝夫、月田一郎、坂本武、大国一郎 白黒
サイレント
1930年 お嬢さん 松竹蒲田 北村小松 栗島すみ子、岡田時彦、斎藤達雄、田中絹代、岡田宗太郎、大国一郎 白黒
サイレント
1931年 淑女と髯 松竹蒲田 北村小松 岡田時彦、川崎弘子、飯田蝶子、伊達里子、月田一郎、飯塚敏子、吉川満子、坂本武、斎藤達雄 白黒
サイレント
1931年 美人哀愁 松竹蒲田 池田忠雄 岡田時彦、斎藤達雄、井上雪子、岡田宗太郎、吉川満子、若水照子 白黒
サイレント
1931年 東京の合唱 松竹蒲田 野田高梧 岡田時彦、八雲恵美子、菅原秀雄、高峰秀子、斎藤達雄、飯田蝶子、坂本武、谷麗光、宮島健一、山口勇 白黒
サイレント
1932年 春は御婦人から 松竹蒲田 池田忠雄
柳井隆雄
城多二郎、斎藤達雄、井上雪子、泉博子、坂本武、谷麗光 白黒
サイレント
1932年 大人の見る繪本 生れてはみたけれど 松竹蒲田 伏見晁 斎藤達雄、吉川満子、菅原秀雄、突貫小僧、坂本武、早見照代、加藤清一、小藤田正一、西村青児 白黒
サイレント
1932年 青春の夢いまいづこ 松竹蒲田 野田高梧 江川宇礼雄、田中絹代、斎藤達雄、武田春郎、水島亮太郎、大山健二、笠智衆、坂本武、飯田蝶子、葛城文子、伊達里子 白黒
サイレント
1932年 また逢ふ日まで 松竹蒲田 野田高梧 岡田嘉子、岡譲二、奈良真養、川崎弘子、飯田蝶子、伊達里子、吉川満子 白黒
サイレント
1933年 東京の女 松竹蒲田 野田高梧
池田忠雄
岡田嘉子、江川宇礼雄、田中絹代、奈良真養 白黒
サイレント
1933年 非常線の女 松竹蒲田 池田忠雄 田中絹代、岡譲二、水久保澄子、三井秀夫、逢初夢子 白黒
サイレント
1933年 出来ごころ 松竹蒲田 池田忠雄 坂本武、伏見信子大日方伝、飯田蝶子、突貫小僧、谷麗光 白黒
サイレント
1934年 母を恋はずや 松竹蒲田 池田忠雄 岩田祐吉、吉川満子、大日方伝、加藤清一、三井秀男、野村秋生、奈良真養、青木しのぶ、光川京子、笠智衆、逢初夢子、松井潤子、飯田蝶子 白黒
サイレント
1934年 浮草物語 松竹蒲田 池田忠雄 坂本武、飯田蝶子、三井秀男、八雲理恵子、坪内美子、突貫小僧、谷麗光、西村青児、山田長正 白黒
音響版 [1] 
1935年 箱入娘 松竹蒲田 野田高梧
池田忠雄
飯田蝶子、田中絹代、坂本武、突貫小僧、竹内良一、青野清、吉川満子、懸秀介、大山健二 白黒
音響版
1935年 東京の宿 松竹蒲田 池田忠雄
荒田正男
坂本武、突貫小僧、末松孝行、岡田嘉子、小嶋和子、飯田蝶子、笠智衆 白黒
音響版
1935年 菊五郎の鏡獅子 松竹蒲田 (記録映画) 六代目尾上菊五郎、松永和楓、柏伊三郎、望月太左衛門 白黒
1936年 大学よいとこ 松竹蒲田 荒田正男 近衛敏明、笠智衆、小林十九二、大山健二、池部鶴彦、日下部章、高杉早苗、斎藤達雄、青野清、飯田蝶子、出雲八重子、坂本武、爆弾小僧 白黒
音響版
1936年 一人息子 松竹大船 池田忠雄
荒田正男
飯田蝶子、日守新一、葉山正雄、坪内美子、吉川満子、笠智衆、浪花友子、爆弾小僧、突貫小僧、高松栄子、加藤清一、小島和子、青野清 白黒
1937年 淑女は何を忘れたか 松竹大船 伏見晁
ゼームス槇
栗島すみ子、斎藤達雄、桑野通子佐野周二、坂本武、飯田蝶子、上原謙、吉川満子、葉山正雄、突貫小僧 白黒
1941年 戸田家の兄妹 松竹大船 池田忠雄
小津安二郎
藤野秀夫、葛城文子、吉川満子、斎藤達雄、三宅邦子佐分利信、坪内美子、近衛敏明、高峰三枝子、桑野通子、河村黎吉、飯田蝶子、笠智衆 白黒
1942年 父ありき 松竹大船 池田忠雄
柳井隆雄
小津安二郎
笠智衆、佐野周二、津田晴彦、佐分利信、坂本武、水戸光子、大塚正義、日守新一、西村青児、谷麗光 白黒
1947年 長屋紳士録 松竹大船 池田忠雄
小津安二郎
飯田蝶子、青木放屁小沢栄太郎、吉川満子、河村黎吉、三村秀子、笠智衆、坂本武、高松栄子、長船フジヨ、河賀祐一、谷よしの殿山泰司、西村青児 白黒
1948年 風の中の牝雞 松竹大船 斎藤良輔
小津安二郎
佐野周二、田中絹代、村田知英子、笠智衆、坂本武、高松栄子、水上令子、文谷千代子、長尾敏之助 白黒
1949年 晩春 松竹大船 野田高梧
小津安二郎
原節子、笠智衆、月丘夢路宇佐美淳桂木洋子杉村春子三島雅夫、三宅邦子、坪内美子、清水一郎 白黒
1950年 宗方姉妹 新東宝 野田高梧
小津安二郎
高峰秀子、田中絹代、上原謙、山村聰堀雄二、高杉早苗、笠智衆、斎藤達雄、藤原釜足、堀越節子、河村黎吉、千石規子一の宮あつ子、坪内美子 白黒
1951年 麦秋 松竹大船 野田高梧
小津安二郎
原節子、笠智衆、淡島千景、佐野周二、二本柳寛、三宅邦子、菅井一郎、東山千栄子、杉村春子、井川邦子、高橋豊子、高堂国典、西脇宏三、宮口精二 白黒
1952年 お茶漬の味 松竹大船 野田高梧
小津安二郎
佐分利信、鶴田浩二木暮実千代津島恵子、淡島千景、三宅邦子、笠智衆 、柳永二郎、十朱久雄望月優子北原三枝上原葉子 白黒
1953年 東京物語 松竹大船 野田高梧
小津安二郎
原節子、笠智衆、東山千栄子、香川京子、山村聰、大坂志郎、杉村春子、三宅邦子、東野英治郎中村伸郎 白黒
1956年 早春 松竹大船 野田高梧
小津安二郎
淡島千景、池部良岸惠子高橋貞二中北千枝子、山村聰、藤乃高子、田浦正巳、笠智衆、杉村春子、杉田弘子、浦辺粂子、三宅邦子 白黒
1957年 東京暮色 松竹大船 野田高梧
小津安二郎
有馬稲子、原節子、山田五十鈴、笠智衆、高橋貞二、田浦正巳、宮口精二、中村伸郎、杉村春子、信欣三、藤原釜足 白黒
1958年 彼岸花 松竹大船 野田高梧
小津安二郎
有馬稲子、山本富士子久我美子佐田啓二、田中絹代、佐分利信、高橋貞二桑野みゆき、笠智衆、江川宇礼雄浪花千栄子、中村伸郎、渡辺文雄北竜二 カラー
1959年 お早よう 松竹大船 野田高梧
小津安二郎
佐田啓二、久我美子、笠智衆、三宅邦子、杉村春子、泉京子、設楽幸嗣、島津雅彦大泉滉、高橋とよ、沢村貞子長岡輝子 カラー
1959年 浮草 大映 野田高梧
小津安二郎
京マチ子若尾文子野添ひとみ川口浩、中村鴈治郎、杉村春子、笠智衆、三井弘次田中春男、潮万太郎 カラー
1960年 秋日和 松竹大船 野田高梧
小津安二郎
原節子、司葉子岡田茉莉子佐田啓二佐分利信三上真一郎岩下志麻、田代百合子、千之赫子、笠智衆、沢村貞子 カラー
1961年 小早川家の秋 宝塚映画 野田高梧
小津安二郎
原節子、司葉子、新珠三千代宝田明団令子小林桂樹森繁久彌、中村鴈治郎、白川由美浪花千栄子、杉村春子 カラー
1962年 秋刀魚の味 松竹大船 野田高梧
小津安二郎
岩下志麻、笠智衆、岡田茉莉子、佐田啓二、三上真一郎、吉田輝雄、牧紀子、中村伸郎、三宅邦子、東野英治郎 カラー
  1. ^ 浮草物語」(1934年)は記録上では音響版として製作されているが、現存するプリントはサイレント版のみである。

資料館・関連施設

  • おのみち映画資料館 - 東京物語で舞台になった尾道市にある映画資料館。小津の映画作りに関する資料等が展示されている。
  • 茅ヶ崎館 - 茅ヶ崎市にある老舗の宿泊施設。かつて、小津が仕事部屋として使用した事がある。
  • 無藝荘 - 1954年以来、小津と野田高梧の共同脚本作業の場となった蓼科高原の山荘。2003年長野県茅野市と地元で建物を引き取り、プール平に移築して保存・公開している。この山荘にちなんで、小津安二郎記念蓼科高原映画祭が毎年開催されている。

資料

  • 『全日記小津安二郎』 田中真澄編、フィルムアート社 1993年
    • 『小津安二郎全発言 1933~1945』 田中編、泰流社、1987年
    • 『小津安二郎戦後語録集成』 田中編、フィルムアート社、1989年
  • 『小津安二郎「東京物語」ほか』 田中真澄編、大人の本棚・みすず書房、2001年
  • 『小津安二郎全集』 井上和男編  新書館 、2003年
  • 『小津安二郎映画読本』 松竹株式会社映像版権室編、新訂版2003年
  • 笠智衆 『小津安二郎先生の思い出』 扶桑社 1991年、 朝日文庫 2007年
  • 山内静夫 『松竹大船撮影所覚え書 小津安二郎監督との日々』  かまくら春秋社 2003年
  • 厚田雄春と蓮實重彦との対談 『小津安二郎物語』 <リュミエール叢書>筑摩書房 1989年

映像

関連書籍

  • 佐藤忠男 『小津安二郎の芸術』 朝日選書 全2巻、1978年、朝日文庫、2000年
  • 高橋治 『絢爛たる影絵 小津安二郎』 初版文藝春秋、新版講談社、2003年
  • 三上真一郎 『巨匠とチンピラ 小津安二郎との日々』 文藝春秋 2001年
  • 田中真澄 『小津安二郎周游』  文藝春秋 2003年 
    • 『小津安二郎のほうへ モダニズム映画史論』 みすず書房、2002年 
    • 『小津安二郎と戦争』 みすず書房 2005年
  • 山根貞男ほか編 『国際シンポジウム小津安二郎』 朝日選書、2004年
  • 蓮實重彦 『監督小津安二郎』 筑摩書房、初版1982年、増補版2003年
  • 吉田喜重 『小津安二郎の反映画』 岩波書店、1998年
  • 千葉伸夫 『小津安二郎と20世紀』   国書刊行会、2003年
  • ドナルド・リチー(Donald Richie) 『小津安二郎の美学 映画のなかの日本』 
山本喜久男訳、フィルムアート社 1978年、現代教養文庫、1993年
  • デヴィッド・ボードウェル(David Bordwell) 『小津安二郎映画の詩学』
杉山昭夫訳、青土社 1992年、新版2003年
※以下は入門書
  • 貴田庄 『小津安二郎文壇交遊録』 中公新書、2006年  
    • 『小津安二郎の食卓』 芳賀書店 2000年、ちくま文庫 2003年
    • 『小津安二郎東京グルメ案内』 朝日文庫、2003年 
    • 『監督小津安二郎入門40のQ&A』 朝日文庫、2003年 
  • 中沢千磨夫 『小津安二郎・生きる哀しみ』 PHP新書 2003年
  • ムック 『いま、小津安二郎』  有馬稲子岡田茉莉子ほか、小学館  2003年
  • ムック 『小津安二郎新発見』 松竹編、講談社 1993年、講談社+α文庫  2002年
  • ムック 『小津安二郎を読む』 <ブック・シネマテーク>フィルムアート社 1982年

外部リンク

Template:Link FA