田端信之
基本情報 | |
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本名 | 田端 信之 |
通称 | 和製ハーンズ |
階級 |
ウェルター級 スーパーウェルター級 |
国籍 | 日本 |
誕生日 | 1963年12月27日(60歳) |
出身地 | 神奈川県横浜市 |
スタイル | オーソドックス |
プロボクシング戦績 | |
総試合数 | 32 |
勝ち | 24 |
KO勝ち | 22 |
敗け | 6 |
引き分け | 2 |
田端 信之(たばた のぶゆき、男性、1963年12月27日 - )は、日本の元プロボクサー。神奈川県横浜市出身。元日本ウェルター級、同スーパーウェルター級王者。現役時代はコーエイ工業小田原ボクシングジム所属。身長186cm。パンチ力、テクニックともに中量級では傑出し、「和製ハーンズ」の異名をとった。
来歴
プロ
1981年12月27日、プロデビュー戦に初回KO勝利を収めた。
デビュー以来6戦連続KO勝利後の1982年12月19日、不戦勝で東日本ジュニアウェルター級新人王を獲得。翌1983年3月5日、8戦連続KO勝利で全日本ジュニアウェルター新人王を獲得し、同大会のMVPに選出された。
1984年1月13日、プロ12戦目にして無限川坂(上福岡)との対戦に10R判定負けで初黒星を喫し、同年4月5日には尾崎富士雄(帝拳)との対戦に4RKO負けを喫して2連敗となった。その後、6勝(5KO)を上げるが、1985年9月30日、オーストラリアのブリスベン・フェスティバル・ホールでオーストラリアウェルター級王者のブライアン・ジェンセンに5RTKO負け。同年11月16日、韓国・城南市で後のOPBF東洋太平洋ジュニアウェルター級王者・李相縞(韓国)に10RKO負けを喫した。
1986年2月6日、2連敗後の再起戦で尾崎富士雄の持つ日本ウェルター級王座に挑戦し、2-1の判定勝利で同王座を獲得。同年6月5日、初防衛戦で尾崎とのリターンマッチに5RKO負けを喫し、王座を失った。
1987年1月8日、日本ジュニアミドル級王座決定戦を久保健司(アポロ)と争い、初回2分59秒KO勝利で王座を獲得した。
同王座を1度防衛後の1987年8月23日、猛暑の韓国・仁川広域市で鄭栄吉(韓国)の持つOPBF東洋太平洋ジュニアミドル級王座に挑戦し、脱水症状を起こして9RKO負けを喫した。日本同級王座は全KO勝利で4度防衛した後、1988年10月6日に返上した。
1989年3月20日、田島吉秋(ベル協栄)の持つ日本ミドル級王座に挑戦し、三者三様の判定引分となって3階級制覇は果たせず、この試合を最後に現役を引退した。
引退後
2007年には翌年公開の映画「ラブファイト」のために林遣都、北乃きい、大沢たかおらにボクシングを指導した。
2008年には「ザ・おやじファイト」に出場し、ミドル級王座を獲得した。
現在は東京・渋谷区神宮前で社会人にボクシングを指導する他、B-UPスパーリングマッチのプロデューサーを務め、2009年8月23日には第1回大会が開催された。
獲得タイトル
- 第39回東日本ジュニアウェルター級新人王
- 第29回全日本ジュニアウェルター級新人王(MVP)
- 第31代日本ウェルター級王座(防衛0)
- 第18代日本ジュニアミドル級王座(防衛4)
関連項目
外部リンク
前王者 尾崎富士雄 |
第31代日本ウェルター級王者 1986年2月6日 - 1986年6月5日 |
次王者 尾崎富士雄 |
空位 前タイトル保持者 カーロス・エリオット |
第18代日本ジュニアミドル級王者 1987年1月8日 - 1988年10月6日(返上) |
空位 次タイトル獲得者 上山仁 |