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トリポリ (ギリシャ)

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トリポリ
ギリシャの旗
Τρίπολη
教会
教会
位置
トリポリの位置の位置図
トリポリの位置
座標 : 北緯37度31分 東経22度23分 / 北緯37.517度 東経22.383度 / 37.517; 22.383
行政
ギリシャの旗 ギリシャ
 地方 ペロポネソス
  アルカディア県
トリポリ
ギリシャの旗
Τρίπολη
地理
面積  
  域 119 km2
標高 655 m
人口
人口 (2001年現在)
  域 28,976人
    人口密度   243人/km2
その他
等時帯 EET (UTC+2)
夏時間 EEST (UTC+3)
公式ウェブサイト : [1]


トリポリギリシャ語:Τρίπολη)、またはトリポリスギリシャ語:Τρίπολις)は、ギリシャペロポネソス半島中央部に位置する、人口28,000人の町である。また、アルカディア県の県都でもある。


歴史

中世には、この地はドロボリツァDrobolitsa)と呼ばれ、ギリシャ語で「水の町」を意味するヒドロポリツァか、もしくは南スラヴ語で「オークが茂る平原」を意味する言葉に由来するとされている。

現代のトリポリの町が建設されたのは1770年のことであり、その場所が古代都市パラントロン、テゲアマンティネアの遺跡の近くであったことから、「3つの都市」を意味するトリポリスと名付けられた。ギリシャ独立戦争以前には、オスマン帝国ペロポネソス半島部における行政の中心地となり、イスラム教徒ユダヤ人が多く居住した。1821年1月に、アレクサンドロス・イプシランディスワラキア地方とモルダヴィア地方でギリシャ人を率いた反乱を起こすと、トリポリのギリシャ系住民は殲滅された。その後の激しい攻防の末、1829年にギリシャ人が町を奪回し、トリポリの町は新しく建国されたギリシャ王国の領土となり、現在に至っている。

地理・気候

トリポリの町は、ペロポネソス半島中央部に位置し、標高約650mの盆地上にある。町は木が生い茂った山々に囲まれており、町の北西にはメナロ山がそびえる。町の南西には、かつては湿地帯が広がっていたが、現在では干拓され、農地として利用されている。

気候において、トリポリの町は標高の高い内陸部にあるために、夏に乾燥し、冬が厳しい大陸性の気候がみられる。気温は夏には40℃を超え、冬には-10℃を下回ることもある。また、10月後半から4月初旬にかけて、降雪がよく見られる。


人口推移

人口(人) 増減 都市人口(人)
1981 21,337 - -
1991 22,429 +1,092/+5.12% 26,432
2001 25,520 +3,091/+13.78% 28,976

著名な出身者


双子都市

参考

  • Transactions of the Philological Society 1934, p. 19-20

外部リンク