クマ・エルハジ・ババカル
| ||||||
---|---|---|---|---|---|---|
名前 | ||||||
本名 | クマ・エルハジ・ババカル | |||||
愛称 | ババカル | |||||
ラテン文字 | Khouma el Babacar | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | セネガル | |||||
生年月日 | 1993年3月17日(31歳) | |||||
出身地 | ティエス | |||||
身長 | 184cm | |||||
体重 | 68kg | |||||
選手情報 | ||||||
在籍チーム | フィオレンティーナ | |||||
ポジション | FW | |||||
背番号 | 21 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 (得点) | ||||
2007 2007-2009 2009- |
ペスカーラ下部 フィオレンティーナ下部 フィオレンティーナ |
- (-) 0 (0) - (-) | ||||
1. 国内リーグ戦に限る。2010年1月14日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
クマ・エルハジ・ババカル(Khouma Elhadji Babacar,1993年3月17日 - )はセネガル・ティエス出身のサッカー選手。フィオレンティーナ所属。ポジションはフォワード。
人物
フィオレンティーナの下部組織において特筆すべき活躍をし、国内外のスカウトの注目を浴びる選手[1]。イタリアのメディアからは新たなディディエ・ドログバとも呼ばれ[2]、フィジカルと身体能力の高さを活かし、豊富な得点パターンを持つセンターフォワードである。本人も憧れているディディエ・ドログバやヌワンコ・カヌのように強靭な体躯と高いテクニックを併せ持つが、同時にプランデッリ監督からは「少々ボールを持ちすぎる。」[3]と指摘されている。
来歴
下部組織
2007年にペスカーラからフィオレンティーナの下部組織に移籍する[4]。2008-2009シーズンにフィオレンティーナのアッリエーヴィにおいて全国大会で優勝し、レアル・マドリード、FCバルセロナ、マンチェスター・ユナイテッドFC、チェルシーFCのスカウト陣の注目を集める[1][2]。同シーズンはアッリエーヴィの1つ上のカテゴリであるプリマヴェーラにも15才ながら飛び級で所属し、掛け持ちで出場したコッパ・カルネヴァーレ(ヴィアレッジョ国際トーナメント)では得点を決め、その活躍とプレースタイルからイタリアの全国スポーツ紙「ガゼッタ・デロ・スポルト」には将来のディディエ・ドログバ、ヴィオラのマリオ・バロテッリ[5]と賞賛された。
プロ選手
2009年のプレシーズンに初めてトップチームの練習に参加。チェーザレ・プランデッリ監督やチームメイトのセバスティアン・フレイらに「下部組織に非常に興味深い選手がいる」と印象付ける。その後、16才でクラブとプロ契約を交わし、UEFAチャンピオンズリーグの登録メンバーにAリスト選手として選出される[6]。2010年1月14日に行われたコッパ・イタリアでの対キエーヴォ・ヴェローナ戦にて、わずか16歳にしてトップチームデビュー及び、プロ公式戦デビューを果たす。デビュー戦の後半30分にはマヌエル・パスクアルが放った直接フリーキックがババカルに当たりコースが変わり得点も記録する。チームの3-2の勝利に貢献し、プレー内容とともに上々のデビューとなった。
エピソード
所属クラブ
注
- ^ a b ババカル代理人:「フィオレンティーナが良い。」firenzeviola.it ,2009-12-30閲覧
- ^ a b レアル・マドリードとマンチェスター・ユナイテッドが新たなドログバに注目goal.com ,2009-12-30閲覧
- ^ プランデッリ:「ババカルは無限の可能性を秘めている。」 ,2009-12-30閲覧
- ^ Bollini: "Babacar ricorda Weah ma deve ancora poter sbagliare"fiorentina.it(2009-12-22) ,2010-1-14閲覧
- ^ 1年毎に新しくなるヴィオラ ,2009-12-25閲覧
- ^ Lista Uefaフィオレンティーナ公式(2009-8-10) ,2010-1-13閲覧
- ^ フィオレンティーナ公式サイト内インタビュー動画 ,2009-12-30閲覧
この項目は、ウィキプロジェクト サッカー選手の「テンプレート」を使用しています。