小松英雄
小松 英雄(こまつ ひでお、1929年8月2日 - )は、日本の日本語史研究者。東京生まれ。現在筑波大学名誉教授・四国大学大学院文学研究科講師。文学博士。
勤務歴
専任
非常勤
(東京都以外は集中講義、※は複数年度)
(現在)
- ※四国大学(大学院文学研究科日本文学書道文化専攻)
客員教授等
- (アメリカ合衆国)※カリフォルニア大学バークレー校客員教授(Visiting Professor)
- (台湾)※東呉大学客座教授
- (韓国)
公表された主な研究成果
日本語古典文学
文献学的アプローチによる表現解析により、日本語古典文学における定説を数多く覆してきた。
平安前期の仮名文に独特の構文を「連接構文」と名づけた。[1]
とりわけ、古今和歌集や土佐日記(正確には土左日記)の研究で、画期的な進歩をもたらした。
古今和歌集
従来の古典文法に呪縛された解釈を全面否定し、新たな解釈を提示した。[2]
万葉集・古今和歌集・新古今和歌集を素朴・観念的・幽玄だとする従来の認識について、「借字(※これは小松英雄の考案した用語)による表記から仮名だけの表記へ、そして、漢字と仮名との交用による表記へという、和歌の書記様式の転換と密接に連動して生じた、抒情表現の深化と捉えるべき」だとした。
また、古来、謎とされてきた、巻十九冒頭に「短歌」という標目で長歌が収録されていることについても新しい解釈を提示した。[3]
土佐日記(土左日記)
長年にわたって強固な定説として認知されてきた「紀貫之は、女性に仮託して書いた」という解釈について、完全否定した。
そして、論拠を示した上で、冒頭の一節を「漢字ではなく、仮名文字で書いてみよう」という意思表示を平安前期の仮名文の特性である複線構造を活かして巧みに表現したものだ、とする新しい説を提示した。
「それのとしの」以下の従来の解釈についても、徹頭徹尾間違っていたとして、丹念な検証の上で、新たな解釈を提示した。[4]
この発見については、2007年3月2日付読売新聞に『「土佐日記」冒頭に新説』という記事が掲載された。しかし、肝心の専門の研究者からは、事実上、黙殺されている。また、この読売新聞の記事は、「仮名」を「ひらがな」とするなど、小松英雄の考え方を正確に報道していない。
「ぞ」、「なむ」、「こそ」の意味は強調ではない、とし、新たな解釈を提示した。[5]
小松英雄が考案した、あるいは定義しなおした術語
- 連接構文
- 初読(ラテン語のrectoをもとに考案)[6]
- 次読(ラテン語のversoをもとに考案)[7]
- 借字(従来はすべて万葉仮名とされていたが、借字と万葉仮名を区別した。)
- 仮名文
- 仮名
- 平仮名
- 漢字文(従来はすべて漢文と言われていたが、日本語の書記様式としての漢字文と、中国語古典文を区別した。)
- 活写語(通常は、擬態語・擬音語などと言われた。オノマトペは、日本語に相応しくないとした。)[8]
- 書記(writingの訳語)
主な著書
- 日本声調史論考(風間書房・1971)
- 国語史学基礎論(笠間書院1973:増補版 1986:簡装版 2006)
- いろはうた(中公新書558・1979)
- 日本語の世界7〔日本語の音韻〕(中央公論社・1981)
- 徒然草抜書(三省堂・1983:講談社学術文庫・1990:復刊 2007)
- 仮名文の原理(笠間書院・1988)
- やまとうた(講談社・1994)
- 仮名文の構文原理(笠間書院・1997:増補版 2003)
- 日本語書記史原論(笠間書院・1998:増補版 2000:新装版:2006)
- 日本語はなぜ変化するか 【母語としての日本語の歴史】(笠間書院・1999)
- 古典和歌解読 和歌表現はどのように深化したか(笠間書院・2000)
- 日本語の歴史 青信号はなぜアオなのか(笠間書院・2001 )
- みそひと文字の抒情詩(笠間書院・2004) (←やまとうた・1994を隅々まで書き改め、新たに一章を加筆。)
- 古典再入門 「土左日記」を入口にして(笠間書院・2006)
- 丁寧に読む古典(笠間書院・2008)