コンテンツにスキップ

玉虫左太夫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。110.0.66.155 (会話) による 2010年3月6日 (土) 15:37個人設定で未設定ならUTC)時点の版であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

{{{このテンプレートは廃止されました。}}}
時代 江戸時代後期(幕末)から明治時代
別名 勇八(幼名)、誼茂(諱)、子発(字)
生誕 文政6年(1823年
死没 明治2年4月9日1869年5月20日

玉蟲 左太夫(たまむし さだゆう)は、幕末仙台藩の藩士。

経歴

1823年(文政6年)に仙台藩士の玉蟲伸茂の末子として生まれる。
1846年弘化3年)に江戸の湯島聖堂で学び、その塾長となる。
1857年安政4年)には函館奉行堀利煕と共に蝦夷地を調査し「入北記」を著す。
1860年(万延元年)日米修好通商条約の批准書交換使節団の一員として渡米した、帰国後大番士となり、のちに養賢堂指南統取となった。
1868年(慶応4年)戊辰戦争が勃発すると奥羽越列藩同盟の成立のため尽力し軍務局副頭取となった。
1869年(明治2年)敗戦後捕縛され獄中で切腹した。享年47。

主著「航米日録」・「蝦夷紀行」。