シャルル・ナポレオン
シャルル・マリー・ジェローム・ヴィクトル・ナポレオン・ボナパルト(Charles Marie Jérôme Victor Napoléon Bonaparte, 1950年10月19日 - )は、フランスの政治家、実業家、作家。ボナパルト家の現家長であるが、家長の座は息子ジャン・クリストフ・ナポレオンと競合状態にある。
経歴
フランス・ブローニュのビヤンクール市生まれ。ナポレオン・ボナパルトの弟ジェローム・ボナパルトの子孫であるナポレオン公ルイ・ナポレオンの長男。ナポレオン公。「ナポレオン7世」を称する。パリ大学で経済学を修める。学位は経済学博士。学位取得後に、財務省、銀行幹部などを経て、サービス関係の会社を設立した。その後、コルス=デュ=シュド県(コルシカ島)のアジャクシオで副市長を務め、2007年の国民議会(下院)選挙に中道政党「民主運動」から出馬したが、落選した。
コルシカ環境協会会長、国際ナポレオン・アカデミー名誉会員、セーヌ=エ=マルヌ県ヌムール (en) 市会議員。現在、アメリカ外交政策研究所(American Institute on Foreign Policy)[1]の客員教授。
1997年に父ルイ・ナポレオンが死去した時、その遺書には後継者としてシャルルではなく、その息子のジャン・クリストフ・ナポレオンの名前があった。しかしシャルルは父の意向を無視してナポレオン公およびボナパルト家家長の地位を継承した。このためボナパルト家家長の座は1997年以降、父と息子のあいだで競合状態にある。ただし、シャルルによれば息子ジャン・クリストフとの関係は険悪なものではなく、またシャルルは自分の推定相続人にジャン・クリストフを指名している。
子女
1978年、遠縁にあたるベアトリーチェ・ディ・ボルボーネ=ドゥエ・シチリエと結婚した。彼女は2系統ある両シチリア王国の王位請求者の一方の当主である、カストロ公フェルディナンド・マリアの娘である。この結婚はブルボン家とボナパルト家が長年フランス君主の座を争ってきた歴史には反するものだったが、夫妻には2人の子供が生まれた。
- カロリーヌ・マリ・コンスタンス・ナポレオン(1980年10月24日 - )
- ジャン・クリストフ・ナポレオン(1986年7月11日 - )
シャルルとベアトリーチェは1989年に離婚したが、シャルルは1996年にコルシカ島出身の離婚歴のある女性ジャンヌ・フランソワーズ・ヴァリチオーニと再婚した。2人の間には結婚前に娘が1人生まれている。
- ソフィー・カトリーヌ・ナポレオン(1992年4月18日 - )
また1998年に夫妻はサイゴン生まれのヴェトナム人の養女を迎えた。
- アン・ナポレオン(1988年4月22日 - )
著書
- 『ボナパルトと反骨精神』(日本語訳未出版)
- 『ボナパルトとパオリ』(日本語訳未出版)
脚注
外部リンク
- 公式サイト(フランス語)
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