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道南バス

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道南バス株式会社
Donan bus Co.,Ltd
種類 株式会社
本社所在地 日本の旗 日本
050-0083
北海道室蘭市東町3丁目25番3号
設立 1944年2月1日
業種 陸運業
法人番号 1430001056880 ウィキデータを編集
事業内容 乗合バス事業,貸切バス事業,旅行業他
代表者 取締役社長 堀 政三
資本金 1億7,221万円
従業員数 538名
外部リンク http://www.donanbus.co.jp/
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本社と室蘭東町ターミナル(2008年12月)
道南バスの空港連絡バス 新千歳空港にて

道南バス(どうなんバス 英称:Donan bus Co.,Ltd)は、北海道室蘭市を中心とする胆振日高後志地方を主たる事業エリアとするバス会社。

概要

本社所在地は室蘭市東町3丁目25-3。1925年に創業した室蘭乗合自動車を前身とし、1944年に胆振・日高地方のバス会社が戦時統合して現在に至る。1960年代後半より、モータリゼーションの発達や沿線の基幹産業である第一次産業の不振や鉱業衰退などにより経営が悪化し、1975年9月には会社更生法が適用された。その後も1977年有珠山噴火や室蘭市の鉄鋼不況による人口減少などの逆風があったが、道央自動車道の開通によって都市間バス事業を積極的に展開することにより難局を切り抜け、現在に至っている。

沿革

創業期

道南バスのルーツは、1925年室蘭自動車合資会社が設立されたことによる。室蘭で最初に自動車による旅客輸送事業を行ったのは北海自動車株式会社であるが、1919年(大正8年)に創業するも、道路状況の悪さによる故障などが頻発し、業績が悪化、廃業を余儀なくされてしまっている。

その後、バス事業は難しいとされている中で、創業者の徳中祐満らによって室蘭自動車合資会社が設立される。同年7月10日には室蘭駅 - 輪西駅間の運転許可が下り、営業を開始した。

しかし室蘭では、既に客馬車が営業しており、さらにタクシー会社が営業を開始したことによって、合資会社を取り巻く環境は厳しいものとなっていた。1927年に、長輪線の開通を目前にして、市街電車を運行するという話が持ち上がったものの、不況が深刻化。さらに世界恐慌も起こり、実現はしなかった。景気が回復し、世間でも自動車が普及し始めたため、バスの乗客も増え、経営も安定してきた。

戦時下におけるバス事業の統合

太平洋戦争の開戦によって、タイヤや金属などの修理部品などの入手は困難になった。さらに、バス事業者に対し、本当に必要であると認められる路線のみに規制された。市内線については、室蘭が軍需工業地域だったため、運行日数を極端に減らしたうえで運行し、その他の地域は休止を余儀なくされた。

このような状況下で、政府はバス会社の統合方針を正式に発表した。北海道では、1942年に「北海道における旅客自動車運輸事業統合要綱」を発表。室蘭地区においてもそれは例外ではなく、室蘭自動車株式会社や登別温泉株式会社などと統合。社名を道南乗合自動車株式会社とすることとなった。

戦争が開始してからも、避難訓練を繰り返しながら運行を続けていたが、1945年7月15日に艦砲射撃を受けてからは、交通網が麻痺。殉職者1名、負傷者も多数発生する事態となった。

戦後の復興

戦時中は新車の割り当てがなかったため、老朽化が進み、少ない車両をやり繰りしながらの運行が続いた。その車両も、破損箇所を修理する資材もないため乗り心地は悪く、また、路面の状況も悪かったため、運行は困難であった。終戦とともに制限や規制は解除されたため、運輸省はバス事業の再建推進を指示したものの、戦後の混乱期に計画の実行は無理であった。

1950年には、朝鮮戦争に伴う特需景気によって、室蘭にも活気が戻り、人々もバスを利用するようになったため、収入の増加にもつながった。また、労働組合(道南乗合自動車労働組合)も設立され、労働協約を会社側と結んでいる。

事業拡大

1952年に、社名を現在の「道南バス株式会社」に変更。バス事業をこれまでの路線バスのみから、観光用の貸切や長距離運行事業にも参入した。それに合わせて、大型ロマンスカーなどの新車を次々に導入した。

1956年には、神武景気と呼ばれる好景気となり、この年に施行された積雪寒冷地域における道路交通の確保に関する特別措置法によって、除雪の負担が軽減され、支出の減少。また、景気の上昇により、旅客も増加した。

経営不振

1966年の株主総会において、前年度の営業成績が赤字であったことが報告される。翌年には黒字に戻ったものの、1969年には再び赤字に転じる。

1970年の12月には資金繰りがつかない事態にまで陥った。その要因には、高度経済成長期によるモータリゼーションの進行や、レジャー事業の失敗(「洞爺サマーランド」の建設)が主なものとしてあげられる。レジャー事業は、洞爺湖温泉にレジャーランドを作るというものであった。採算面が不確実であったために反対論を唱える者もいたものの、その意見を退けて実施した結果が招いたものといえる。

ワンマン運転

上記のような経営不振のため、ワンマンバスが導入されることとなった。運賃収入に占める人件費の割合が大きいことも、導入理由の一つとなった。これに先駆け、1968年には業務合理化の一環として、整理券をプラスチック製のものから紙製の軟券に変更している。

経営難・会社更生法適用

1970年に再び経営が悪化し、冬のボーナスの支給さえ困難となった。これはメインバンクである北海道銀行が融資に応じなかったためであった。

経営陣を一新し、新たな体制で臨んだものの、経営は思うように改善しなかった。一新した直後は、夏のボーナスの支給や新車両の導入を行い、順調に経営が回復したかのように思える時期もあった。しかし、1975年には、社長が資金調達のためと称し、手形を乱発していたことが発覚。社長は、手形を社長自身が関係する会社や不動産取得のために使い、それで得た利益を道南バスの資金運用に充てようとしていた。それに気がつくのが遅れた背景には、社長が会社発行株式の半分を持っており、オーナーのような存在だったため、命令に背くことができなかったためである。

そして、8月分の給料が払えなくなったことや、今後の手形決済が難しいことから、会社更生法の適用を札幌地裁に申請した。

企業再建

更生手続き開始を受け、保全管財人の選定を行ったものの、路線が24市町村にもわたっており、その再建に高度な政治力を必要とされたことから、選定は難航した。

選定後には、従来とは違い、株主も製鉄会社中心となった。室蘭市からの特別融資も受けるなど、路線バスは依然として大幅な赤字であったが、この融資の決定により、銀行や自動車会社との信頼関係を回復するきっかけとなった。

困難とその対応

有珠山噴火による危機

再建計画が軌道に乗り始めた1977年に、有珠山が噴火した。噴煙が1万2千メートルにも上るほどの大噴火であったため、温泉街へ向かうバスの運行も途中までしかできず、伊達市に仮設営業所を設置し、情報収集に追われることとなった。

昭和新山の花火大会が噴火前日に行われており、観光客が温泉街に多数いるなかで、住民や観光客を避難させるためにピストン輸送を行った。だが、噴火の影響は想像以上に大きく、洞爺営業所での業務は不可能となった。そのため、伊達市より私有地を借り受けて仮設営業所を設置し、バスの運行を継続した。

しかし、噴火は観光客の減少を招き、洞爺湖温泉だけでなく、登別温泉への観光客も減少した。洞爺湖を観光営業の拠点としていたために、この噴火の影響はとてつもないものとなった。そこに追い打ちをかけるかのように、洞爺に建設したレジャーランドの売却の見通しが立たなくなった。

資産の処分

「洞爺サマーランド」の売却計画が進行していたものの、有珠山噴火により観光客が減少したことにより、買い手がつかなくなってしまった。資産の処分に困っていたところ、有珠山の泥流被害を防止する目的で、流路工の工事を行うこととなった。その建設場所が幸運にもサマーランドの敷地にかかっていたため、所有地が適正価格で買収される見通しが立った。建物部分に関しては、虻田町に無償譲渡し、火山科学館として再整備ののち、開館した。

車両・路線の整備

更生計画後、バスの老朽化が激しくなり、車両の更新が急務となった。1977年から79年の3年間をかけて、室蘭市からの特別融資を受けたうえで、車両の更新を行った。また、それに伴い、路線の再整備も行うこととした。

経営改善・設備の更新

業務の合理化を推進するため、コンピュータを導入し、各路線のダイヤの実態調査や、予約状況の管理など、正確性とスピード向上を図った。また、車内に運賃表示機と自動両替機を設置することで、ワンマン化に伴う運転手への負担を軽減させた。さらに、観光貸切バス部門を強化することで、1978年ごろからの国内観光ツアーの増加に対応し、収入の増加につなげた。

都市間バスの運行

「高速白鳥号」 ネオプランN116/2 「高速ペガサス号」 ネオプランN117/2
「高速白鳥号」 ネオプランN116/2
「高速ペガサス号」 ネオプランN117/2

1980年代に入ると高速道路が次々に整備され、貸切バスについても、全国的に高級化が進んでいた。また、高速道路の整備が進んだことにより、国鉄に対抗できないことを理由に休止していた長距離バスの運行を再開することとなった。国鉄の特急と比較して運賃が割安であること、時間がほとんど変わらないことから、利用客が急増。その結果から、翌年以降も引き続き運行することとなった。国鉄は、これに対抗するために、特急列車を利用できる往復割引きっぷを設定し、往複の普通運賃が割引きっぷより割高になるという逆転現象も発生している(現在でも逆転現象は残ったままとなっている)。

室蘭 - 札幌間だけでなく、室蘭 - 千歳空港や苫小牧 - 札幌など、次々と都市間バスを運行するとともに、高級バスを導入し、国鉄に対抗した。

歴史

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  • 1925年(大正14年)7月3日 - 室蘭自動車合資会社を設立(資本金1万3500円)。室蘭 - 輪西間で運行開始。
  • 1929年(昭和4年)9月 - 株式会社化、室蘭自動車株式会社になる(資本金15万円)。
  • 1944年(昭和19年)2月1日 - 日高・胆振地区の9社(洞爺湖電気鉄道など)が戦時統合により室蘭自動車株式会社を中心に合併し「道南乗合自動車」の名で設立。
  • 1952年(昭和27年)3月30日 - 現社名に商号を改称(資本金2000万円)。
  • 1955年(昭和30年)6月1日 - 室蘭 - 札幌間長距離バス(急行便)の運行を開始。
  • 1962年(昭和37年) - 登別観光株式会社を系列会社とする。
  • 1968年(昭和43年)12月21日 - 整理券をチップ方式から紙へ変更する。
  • 1969年(昭和44年)5月11日 - 室蘭市内の路線でワンマン運行を開始する。
  • 1970年(昭和45年)12月10日 - 資金繰りの悪化が表面化する。
  • 1975年(昭和50年)
    • 1月 - 室蘭 - 札幌間の長距離バスを休止。
    • 9月8日 - 札幌地裁に会社更生手続きの開始を申し立てる。
    • 12月8日 - 会社更生法適用が決定。
  • 1976年(昭和51年)9月 - 自動両替機つきの運賃箱を導入。
  • 1981年(昭和56年)4月3日 - デジタル式運賃表示機を導入。
  • 1983年(昭和58年) - 室蘭 - 札幌間の急行便を、翌年1月15日まで、募集貸切の形で運行。
  • 1984年(昭和59年)
    • 4月25日 - 室蘭 - 札幌間、特急バス運行開始。
    • 7月1日 - 浦河 - 札幌間で特急バスの運行を開始。
  • 1985年(昭和60年)
    • 4月1日 - 苫小牧 - 札幌間、登別温泉 - 札幌間で高速バスの運行を開始。
    • 11月1日 - 室蘭 - 千歳空港間で、高速バスの運行を開始。
    • 12月7日 - 室蘭 - 札幌間の高速バスに準2階建てバスを導入。
  • 1986年(昭和61年)11月1日 - 国鉄胆振線富内線廃止に伴う代替バスを運行開始。
  • 1992年(平成4年)
  • 1996年(平成8年) - JR北海道バス伊達営業所撤退に伴う代替輸送開始。
  • 2002年(平成14年)4月1日 - 苫小牧市営バスの一部路線の運行受託開始。
  • 2005年(平成17年)10月20日 - 室蘭西営業所を廃止。
  • 2012年(平成24年)度 苫小牧市営バスの全路線を移譲される。[1]

事業所

営業所

  • 若山営業所
    • 北海道登別市若山町2丁目41-1
    • 室蘭貸切センターを併設。
  • 札幌営業所
  • 倶知安営業所
  • 伊達営業所
  • 苫小牧営業所
    • 北海道苫小牧市柳町4丁目2-17
    • 苫小牧貸切センターを併設。
  • 錦西営業所
    • 北海道苫小牧市錦岡573-1 苫小牧市営バス内
  • 日高営業所
    • 北海道沙流郡日高町宮下町1丁目411-11
  • 函館出張所

案内所

  • 苫小牧駅前案内所
    • 北海道苫小牧市表町6丁目2-1 egao内
      • 発券窓口と待合室が併設されており、定期券や回数券・バスカードの発券、北海道中央バスとあつまバスの乗車券類を取り扱う。専用レーンを持たず、周辺のバス停で乗車を取り扱う。
  • 静内案内所
    • 北海道日高郡新ひだか町静内本町5丁目1番21号 静内駅
  • 浦河案内所

廃止事業所

  • 室蘭西営業所
    • 北海道室蘭市海岸町1丁目22
    • 廃止後は室蘭東営業所に統合。

路線

都市間バス

高速白鳥号

室蘭産業会館前 - 札幌駅前

かつては登別室蘭IC経由の直行便も運行していたが、北海道中央バス「高速むろらん号」との共通乗車券化と同時に登別東IC経由に統一された。

高速室蘭サッカー号

室蘭大谷高校前 - 札幌駅前

札幌と室蘭市北部を登別室蘭IC経由で結ぶ。愛称は室蘭大谷高等学校のサッカー部全国大会出場を記念してつけられたとされる[1]。北海道中央バス「高速むろらん号」との共通乗車券を取り扱う。

高速はやぶさ号

室蘭産業会館前 - 登別 - 新千歳空港

路線沿革
その他
  • 登別東インター前は登別市が土地を確保し、登別観光協会が転回スペースと待合のシェルターを設置。どうなん交通の登別温泉シャトルバスと接続、登別温泉への直通運賃が適用になる乗継券を発売している。登別東インター前又は汐見坂で利用可。

高速おんせん号

登別温泉 - 札幌駅前

札幌と登別温泉を結ぶ。旧くは国道36号を経由する特急バス路線として運行された。道央自動車道の延伸とともに新千歳空港や苫小牧市街を経由する便や直行便を設定した。かつては苫小牧経由便や新千歳空港経由便、白老緑泉郷行の便も存在したが現在は高速道路経由の直行便1往復のみの運行となっている。

路線沿革
  • 1982年4月4日 - 特急便3往復を普通便に振り替え。
  • 1985年4月1日 - 特急おんせん号を新設。恵庭IC経由、苫小牧東IC経由を各3往復設定。
  • 1985年11月1日 - 恵庭経由3往復を苫小牧経由に振り替え。
  • 1987年11月1日 - 登別東IC経由直行便を1往復新設。札幌洞爺湖温泉線と組み合わせた回遊乗車券を新設。
  • 1997年4月1日 - 札幌駅前ターミナル~苫小牧駅前間で北海道中央バスとの共通乗車方式開始。
  • 2003年4月1日 - 苫小牧経由便の経路を沼ノ端地区経由に変更。
  • 2005年10月1日 - 新千歳空港経由を廃止。
  • 2006年10月1日 - 路線を再編。直行便1往復のみとし、苫小牧経由便を全便廃止。

高速登別温泉エアポート号

登別温泉 - 新千歳空港

千歳空港・新千歳空港と登別温泉を結ぶ路線は歴史が古く、高速おんせん号が旧千歳空港ターミナルに乗り入れた他、定期観光バスとして同区間を経路に組み込んだ系統も運行された。

かつて登別温泉と千歳空港を結んだ系統
  • 新千歳空港 - (高速) - 登別温泉 - 洞爺湖温泉
  • 札幌駅前 - (高速) - 新千歳空港 - (高速) - 登別温泉
    • 高速おんせん号の全高速便の一系統として運行された。2005年10月1日廃止。
    • 現在は新千歳空港を経由しない全高速便のみ運行する。

高速ハスカップ号

札幌駅前 - 苫小牧駅

札幌駅と苫小牧を結ぶ。2008年12月現在、運行回数は1日14往復。

北海道中央バスの「高速むろらん号」・道南バスの「高速白鳥号」の運行開始とともに、当時の国鉄は往復割引乗車券として「Sきっぷ」を設定した。この結果、国鉄を利用した場合の札幌と室蘭の往復運賃が4000円(当時)となり、札幌と苫小牧を特急で往復した場合の合計運賃が4180円(当時)より安くなるという逆転現象が発生した[2]。 このことに気づいた沿線住民は、1984年に中央バスと道南バスに対して札幌と苫小牧を結ぶ高速バスの運行を陳情し[3]、これを受けて1985年に運行を開始した。本路線が開設された後、国鉄は札幌と苫小牧の間にも「Sきっぷ」を設定した[3]。北海道中央バス「高速とまこまい号」との共通乗車券を取り扱う。

高速ひだか号

札幌駅前 - 日高ターミナル

路線沿革

特急ひだか号

日高ターミナル - 苫小牧駅前

高速ペガサス号

高速ペガサス号

浦河ターミナル - 静内駅前 - 札幌駅前

路線沿革
  • 1984年7月1日 - 超特急ペガサス号運行開始(1日1往復)。所要時間約3時間45分。定員予約制。札幌市内の停留所は大谷地ターミナル、大通公園(南1条西3丁目)、石狩会館前(旧北海道庁向い)。
  • 1984年12月1日 - バス停新設(東節婦)および廃止(節婦)。
  • 1986年4月1日 - バス停新設(時計台前)および廃止(大通公園、石狩会館前)。所要時間を3時間30分に短縮。
  • 1986年11月1日 - 1日3往復に増便。
  • 1987年3月1日 - 高速ペガサス号に改称。臨時便を3往復新設。以降、繁忙期を中心に計1日6往復体制で運行。
  • 1991年12月15日 - 浦河ターミナル供用開始に伴い発着地変更。バス停廃止(浦河日赤前)。
  • 1994年4月1日 - 臨時便1往復を定期運行に振り替え。バス停新設(井寒台)。
  • 1996年4月1日 - 浦河金曜日発の臨時便を新設。乗車は浦河ターミナル、大通3丁目、役場前、堺町西1丁目、静内のみ。金曜日が祝日の場合は前日に繰り上げで運行。
  • 1997年12月1日 - 臨時便2往復を定期運行に振り替え。現在の運行体制となる。
  • 1998年4月1日 - バス停新設(浜厚真)。
  • 1998年4月25日 - 1往復を優駿の里に乗り入れ。
  • 1998年7月7日 - 厚真IC経由に変更。
  • 2000年11月1日 - 浦河金曜日発の臨時便の乗車停留所を定期運行便と統一。
  • 2003年8月11日 - 鵡川IC経由に運行経路変更、バス停廃止(浜厚真)。所要時間を3時間20分に短縮。

特急うらかわ号

浦河ターミナル - 苫小牧駅前 - 新千歳空港

日高管内と苫小牧駅や新千歳空港を結ぶ。浦河ターミナル~苫小牧駅前間を速達運転、苫小牧駅前~新千歳空港間は普通便として運行する。かつては浦河ターミナル~新千歳空港間の直行便も運行されていたが、2008年4月1日のダイヤ改正で廃止された。直行便は苫小牧市内に乗り入れず、途中区間で乗降制限が設けられていた。

湯の川温泉東 - 函館駅前 - 札幌ターミナル - 札幌駅前

北海道中央バス、北都交通と共同運行。

高速伊達ライナー号

高速伊達ライナー号(道南バス)

伊達駅前 - 札幌駅前

札幌洞爺湖線・札幌豊浦線

札幌駅前 - 定山渓 - 洞爺湖温泉 - 東町(サンパレス)/豊浦しおさい前

かつてはじょうてつ相互乗り入れの形で札幌駅洞爺湖温泉間を運行していたが、2004年12月1日のダイヤ改正をもって廃止し、道南バスに路線を譲渡した。

ニセコマウンテンライナー

札幌駅前 - 定山渓 - 京極中央 - ホテルノーザンリゾートアンヌプリ ※冬期運行

ホワイトドルフィン

新千歳空港-定山渓-京極-JALホテルズ│ホテルノーザンリゾートアンヌブリ ※冬期運行


路線バス

室蘭市内線

登別市幌別地区以西も室蘭市内線域に含まれる。

系統毎の経路や発着地などの詳細は公式サイトを参照のこと。

  • 2 6 7 13 14 48 71 72 78 無番 ターミナル線
    • 室蘭港・中央町 - 東町ターミナル - 工大 - 東町ターミナル - 中央町・室蘭港
  • 15 43 77 内回り工大循環線
    • 室蘭港・東町ターミナル - 東室蘭西口・高砂2丁目 - 工大・ろう学校
  • 19 53 55 59 無番 白鳥台線
    • 室蘭港・東町ターミナル - 鈴かけニュータウン・浄水場・白鳥台中央
  • 52 港北・柏木線
    • 東町ターミナル - 東室蘭西口 - 八丁平中央 - 港北町中央 - 柏木
  • 64 養護学校線
    • 東町ターミナル - 室蘭養護学校
  • 37 83 84 90 94 無番 千代の台線
  • 18 33 34 幌別資料館線
    • 室蘭港・東町ターミナル - 資料館前・川上公園
  • 20 21 地球岬団地・絵鞆線
    • 地球岬団地 - 市役所 - 室蘭産業会館前 - 増市通・水族館 - 絵鞆団地
  • 3 4 無番 絵鞆・増市通〜東町ターミナル・東室蘭東口・工大線
  • 工大・東室蘭東口・東町ターミナル〜増市通・清水丘高校・絵鞆線
  • 東室蘭東口・東町ターミナル - 地球岬団地線

室蘭・登別地区

  • 室蘭港 - 登別駅前 - 登別温泉
  • 資料館 - 登別駅前 - 登別温泉
  • 若山営業所 - 登別駅前 - 登別温泉
  • 登別駅前 - 登別温泉
    • 一部の系統は登別プリンスホテルまで延長運転。
  • 登別温泉 - カルルス温泉
    • 冬季はカルルスサンライバスキー場まで延長運転。

伊達・洞爺地区

鉄道の駅名は「伊達紋別駅」だが、停留所名は「伊達駅前」で統一されている。

  • 室蘭港 - 伊達駅前
  • 室蘭港 - 伊達駅前 - 有珠駅前 - 洞爺駅前 -西山火口遊歩道‐ 洞爺湖温泉
  • 室蘭港 - 伊達駅前 - 壮瞥役場前 - 洞爺湖温泉
  • 洞爺湖温泉 - 洞爺月浦温泉ポロモイ - とうや水の駅
    • 一部の系統は岩屋始発で運転。
  • 洞爺湖温泉 - 壮瞥役場前 - とうや水の駅
  • 洞爺湖温泉 - 昭和新山
    • 季節運行。
  • 伊達緑丘高校・伊達営業所 - 壮瞥役場前 - とうや水の駅
  • 伊達駅前 - 有珠駅前 - 洞爺駅前 - 豊浦しおさい※
  • 伊達駅前 - 喜門別循環・関内循環※
  • 伊達駅前 - 西関内 - 東関内 - 伊達駅前
  • 伊達駅前 - 萩原 - 見晴 - 伊達駅前

※印はJR北海道バス伊達線)廃止に伴う移譲路線。

苫小牧・むかわ地区

富内線代替バス 鵡川駅にて
  • 登別温泉 - 登別駅前 - 苫小牧駅前 - 苫小牧市立病院
  • 新千歳空港 - 苫小牧駅前
  • 新千歳空港 - 苫小牧駅前 - 白老緑泉郷
  • 鵡川駅前 - 穂別営業所 - 富内
    • 国鉄富内線代替バス。
    • 2007年10月1日より、最大運賃が200円となっている。
  • 新千歳空港 - 早来町大町 - 厚真森林組合 - 穂別営業所
    • 2007年10月1日より2009年9月30日まで、むかわ町内のみで利用する場合、最大運賃が200円となっていた。
    • 2009年10月1日より予約制に変更。同時に、むかわ町内のみおよびむかわ町外のみの利用が不可能となった。[2]

後志地区

  • ルスツリゾート - 真狩 - ニセコ本通 - 倶知安駅前
  • ルスツリゾート - 洞爺湖温泉

※冬期間はルスツリゾートやニセコエリアへのスキーバスも運行される。

国鉄胆振線代替
  • 伊達駅前 - 壮瞥 - 大滝 - 双葉 - 喜茂別 - 倶知安駅
  • 共和 - 喜茂別 - 倶知安駅前
  • 御園 - 喜茂別 - 倶知安駅前

日高地区

  • 富川高校 - 富川 - 平取 - 日高ターミナル
  • 苫小牧駅前 - 富川 - 平取
  • 苫小牧駅前 - 静内駅
  • 平取 - 門別 - 静内駅前
  • 静内駅前 - 浦河駅前 - 浦河老人ホーム前

主な廃止路線

高速おんせん号(経由便)
札幌駅前 - (高速) - 苫小牧駅前 - 白老駅前 - 登別温泉
札幌駅前 - (高速) - 苫小牧駅前 - 白老駅前 - 白老緑泉郷
札幌駅前 - (高速) - 新千歳空港 - (高速) - 登別温泉
新千歳空港〜洞爺湖温泉(登別温泉経由)
洞爺湖温泉 - (オロフレ峠) - 登別温泉 - (高速) - 新千歳空港
  • 1986年? - 路線新設。
  • 2006年10月15日 - 路線廃止。廃止直前は夏季限定での運行であった。
新千歳空港〜洞爺湖温泉(支笏湖経由)
洞爺湖温泉 - (美笛峠) - 支笏湖 - 新千歳空港
高速伊達湘南号
東町サンパレス - 洞爺駅前 - 伊達駅前 - 白鳥台中央 - (高速) - 新千歳空港

車両

車種

一般路線、高速路線、貸切とも大型4メーカーが揃うが、いすゞ車は僅少、高速路線と貸切に使用される車輌の大半を三菱ふそう日産ディーゼル(当時、現「UDトラックス」)が占めている。1986年には、高速路線用に生産台数の少ない日野2階建てグランビューを導入していた(現在は貸切車として使用)。2007年4月には、現行型日野・セレガを2台、同年12月には、三菱ふそう・エアロエースを1台、2009年11月には、日野・セレガハイブリッドバスを1台導入し、いずれも都市間高速バスに運用している。

1980年代前半には、貸切用としてドイツ製のネオプラン車を投入しUFOサルーンとして話題を呼び、その後1990年代初頭までに高速路線用や貸切用として約20台導入されたが、近年その置き換えとして国産車が投入され、現在では高速路線用として数台を残し、北海道外の他業者への転籍となっている。また近年は室蘭市内線を中心に、首都圏で年々厳しくなるディーゼル車の排ガス規制を理由に首都圏から移入された中古車も増えている。

沿線各地は冷涼な気候のため、一般乗合車は近年導入された車輌を除いて非冷房車が多い。また、後部方向幕は最近の車両を除いて、ほとんど装備されていない。

塗色

かつては室蘭市内線がグレーに青の帯、その他が塗色変更前の北海道中央バスにも通じる、京阪バスと全く同様の赤と白の塗色であったが、1970年代前半頃から室蘭市内線も赤白塗色となった(グレイハウンドを参照)。

1984年頃から貸切、高速車は現行の緑色を基調とした塗色となっている。一般乗合車は1986年頃から白に青とピンクの帯となったが、1996年からは貸切車と同様の緑基調に改められている。また、ネオプラン車は白を基調としたカラーリングであり(貸切には一時期緑塗装もあった)、中型貸切車は1980年代前半まではベージュに赤帯であった(現在は大型と同様の緑基調である)。

ワンマン機器

音声合成放送装置
クラリオン CA-2000 / CA-2010 (系統設定器:RCA-224)
運賃箱
小田原機器 RX-FA / RX-FAN
小田原機器 RX-BLH / RX-NZ / RX-NZS(小田原機器製カードリーダー装着)※都市間一部
整理券発行器
小田原機器 SAN-VT / SAN-VTN
レシップ M-10 ※都市間一部
運賃表示器
小田原機器 BFL(停名横8文字・3桁24区間用)
小田原機器 BFL(停名横8文字・4桁24区間用)※都市間一部
小田原機器 BFL(停名縦6文字・4桁50区間用)
小田原機器 BFL(停名縦6文字・4桁72区間用)
指月電機製作所 BL
行先表示器
方向幕 レシップ交通電業社
LED 指月電機製作所・レシップ※都市間一部・オージ※都市間一部

その他

  • 路線バスの回送時は「非営業」または「回送」の方向幕を掲示して運行する。
  • 登別温泉への通勤専用バスを運行しており、「登別観光協会専用」の方向幕を掲示して運行する。

参考文献

  1. ^ 苫小牧市営バスが道南バスへ - 苫小牧民報社(2010年2月15日閲覧)
  2. ^ 鈴木文彦『高速バス大百科』(1989年・中央書院)p184
  3. ^ a b 鈴木文彦『高速バス大百科』(1989年・中央書院)p185
  • 『道南バス70年史』(平成7年)

関連項目

外部リンク