コンテンツにスキップ

ジョージ・ゴードン・バイロン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。119.243.231.24 (会話) による 2010年4月22日 (木) 16:39個人設定で未設定ならUTC)時点の版であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

G・G・バイロン

第6代バイロン男爵ジョージ・ゴードン・バイロン(George Gordon Byron, sixth Baron, 1788年1月22日 - 1824年4月19日)は、イギリス詩人

生涯と作風

ロンドンに生まれ、2歳の時にスコットランドアバディーンに移ったが、1798年に第5代バイロン男爵が亡くなったため、第6代バイロン男爵となり、父祖の地ノッティンガムへ移った。翌年ロンドンに出てハーロー校をへて1805年ケンブリッジ大学に入学したが、学業を顧みず放埒な日々を過ごした。詩集『懶惰の日々』(Hours of idleness, 1807年)を出版したが、翌年エディンバラ・レビュー誌に非難され、諷刺詩『イギリス詩人とスコットランド批評家』(English Bards and Scotch reviewers, 1809年)を出版して鬱憤を晴らした。1808年にケンブリッジを去り、1811年までポルトガルスペインギリシャなどを旅し、帰国後ロンドンに住み、1812年上院で紡績工のラッダイト運動を弾圧することに抗議する演説をおこなって名を挙げた。この年旅行の成果である『チャイルド・ハロルドの巡礼』1・2巻(Childe Harold's Pilgrimage, 1812年)を出版、生の倦怠と憧憬を盛った詩風と異国情緒が時代の好尚に投じ、大評判になった。その間社交界の寵児として恋に憂き身をやつしたが、1815年にアナベラ・ミルバンクと結婚した。このときにもうけた子が世界最初のプログラマーとされているエイダ・ラブレスである。だが翌年に別居し、その乱れた生活が指弾を受けたため、イギリスを去りスイスのジュネーヴシェリーに会い、ともにスイス各地を巡遊し、ヴェネツィアラヴェンナピサジェノヴァで退廃した生活を続ける。特にグィッチョーリ伯爵夫人(Teresa Guiccioli)との関係が有名である。多くの作品の中で、冷笑と機知に満ちた『ドン・ジュアン』(1819-24年)がこの期の代表作である。ギリシャ独立戦争に参加するために1824年メソロンギに上陸したが、熱病にかかって同地で死んだ。

いわゆるバイロニズムは、当時の偽善と偏見を嘲罵し、イギリス・ロマン主義を代表する作風であり、ロシアをふくむヨーロッパ諸国の文学に影響を与えた。日本でも明治以来もっともよく知られたイギリス詩人の一人である。

主著

  • 異端者 The Giaour 1813年
  • アバイドスの花嫁 The Bride of Abydos 13年
  • 海賊 The Corsair 14年
  • ララ Lara 14年
  • ヘブライの旋律 Hebrew Melodies 15年
  • パリジナ Parisina 16年
  • コリントの包囲 The Siege of Corinth 16年
  • The Dream 16年
  • チャイルド・ハロルドの巡礼3・4 16年、18年
  • シヨンの囚人 The Prisoner of Chillon 16年
  • マンフレッド Manfred 17年
  • タッソーの嘆き The Lament of Tasso 17年
  • ベッポ Beppo 18年
  • マゼッパ Mazeppa 19年
  • マリーノ・ファリエロ Marino Faliero 21年
  • ダンテの予言 The Prophecy of Dante 21年
  • サルダナパラス Sardanapalus 21年
  • 二人のフォスカリ The two Foscari 21年
  • カイン Cain 21年
  • 天と地 Heaven and Earth 23年
  • The Island 23年
  • 青銅の時代 The Age of Bronze 1823年
  • ドイツ生まれ Werner 23年
  • 不具の変身 The Deformed Transformed 1824年

関連項目

外部リンク