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民主革命党 (メキシコ)

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民主革命党(Partido de la Revolución Democrática 略称PRD)は、1987年にFDN(国民民主戦線)の名称で結成されたメキシコの中道左派ないしは左翼政党である。

メキシコ最大の政党であったPRI(制度的革命党)左派の有力政治家クアウテモク・カルデナスが、党内の大統領候補指名争いに敗北して離党し、親政府系左翼諸政党を糾合してFDNを結成し、大統領選出馬を目指した。翌1988年には、反政府系左翼政党(旧メキシコ共産党を中心とする)の支援を取り付け、7月の大統領選に臨んだ。

選挙は、実際の得票はカルデナス候補が勝っていたのではないか、とも言われるが、途中で集計用コンピューターが停止するなど不可解な経過をたどって、与党PRIのカルロス・サリナス候補の勝利が宣言された(公式の得票率は約30%)。しかし全国で不正選挙に対する抗議が渦巻く中、同年8月の国会選挙でFDNは大躍進を遂げた。

1989年に、左翼系諸党派の選挙連合的な色彩を脱却し、民主革命党(PRD)に改名して単一の政党として発足するが、その後党勢は低迷、1991年の下院選で大敗北、1994年の大統領選挙でも前回を大幅に下回る17%の得票率で惨敗する。

その後党勢は再び上昇に転じ、1997年には下院選挙で500議席中125議席を獲得、同時に行われた第1回のメキシコ市長選挙(それまで首都メキシコ市の市長は任命制だった)でクアウテモク・カルデナスが当選するが、2000年の大統領選挙と下院選では再び後退した。(この選挙で70年続いたPRIの一党支配体制が崩れ、右派野党PANのビセンテ・フォックスが大統領に当選する)しかし、同時に行われたメキシコ市長選では、アンドレス・マヌエル・ロペス・オブラドール(名前が長すぎるため、通称AMLOと表記される)が当選し、引き続きPRD市政が継続する。2003年の下院選では大きく議席を伸ばした。 オブラドール・メキシコ市長の個人的人気は非常に高く、そのため中央政府のフォックス大統領とは激しく対立してきた。2005年現在、2006年の大統領選挙に立候補を表明しており、その人気の高さ故に当選が有力視されている。

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