コンテンツにスキップ

井上嘉浩

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。Xiojenmeijii (会話 | 投稿記録) による 2010年6月15日 (火) 14:00個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (Category:日本の犯罪者Category:日本の凶悪犯罪者に置換)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

オウム真理教徒
井上嘉浩
誕生 (1969-12-28) 1969年12月28日(54歳)
京都府京都市左京区
ホーリーネーム アーナンダ
ステージ 正悟師
教団での役職 諜報省大臣
関係した事件 目黒公証人役場事務長拉致監禁致死事件
地下鉄サリン事件
判決 死刑(上告棄却)
テンプレートを表示

井上 嘉浩(いのうえ よしひろ、1969年12月28日 - )は、元オウム真理教幹部。京都府京都市左京区出身。ホーリーネームアーナンダ。教団内でのステージは正悟師。

来歴

高校1年時に阿含宗入信。京都の私立洛南高等学校卒業後、日本文化大学法学部に入学するも直後に出家し、夏休みに同大学を中退。

非常に信心深く、修行に際しては同じ行を繰り返し行うことで知られていたことがワイドショーに出演した元信者の告白などで語られている。ワイドショーでは水中クンバカの行を行い、5分30秒も水中で結跏趺坐を組み続ける姿も放映された。

地下鉄サリン事件の3日前の尊師通達で正悟師に昇格した。また、教団が省庁制を採用した後は諜報省大臣としても抜擢された。その背景には教団代表麻原彰晃の寵愛があったという。5月15日、目黒公証人役場事務長拉致監禁致死事件で特別手配されていたが、秋川市で発見され、公務執行妨害の疑いで現行犯逮捕される。乗っていた車の中から爆発物の原料となる物質が発見された。

駐車場経営者VX襲撃事件会社員VX殺害事件被害者の会会長VX襲撃事件目黒公証人役場事務長拉致監禁致死事件地下鉄サリン事件など一連のオウム真理教事件に関与したとして起訴。地下鉄サリン事件を起こすことを決定したリムジン謀議では、教団への捜査の攪乱のために毒ガスを使用することを最初に提言した人物であった(謀議の途中で硫酸に変更する提言をしたが、最終的にサリン散布が決定された)。

第一審では死刑の求刑だったが、目黒公証役場事務長事件では監禁罪を認めたが致死罪を認めず、地下鉄サリン事件では連絡役に留まるとして無期懲役判決が下った。オウム真理教事件において死刑求刑に対して無期懲役判決が下ったのは初めてであった。検察が控訴し、控訴審では目黒公証役場事務長事件の監禁致死罪を認め、地下鉄サリン事件の現場指揮者ではないが総合調整役として無差別大量殺人に重要な役割を担ったことを認定して死刑判決を受けた。2009年12月10日上告棄却[1]2010年1月12日に上告審判決に対する訂正申し立てが棄却され[2]、死刑が確定した。

かつて麻原の妻である松本知子に口答えしたために、麻原から厳しい肉体的罰を受けて、一週間ほど立つのにも苦労した経験があったことを公判中に語った。

関連事件

脚注

  1. ^ “地下鉄サリン事件、井上被告の死刑確定へ 最高裁”. 日本経済新聞. (2009年12月10日). http://www.nikkei.co.jp/news/shakai/20091210AT1G1001H10122009.html 2009年12月10日閲覧。 
  2. ^ “オウム事件、井上被告の死刑確定 9人目”. 共同通信. (2010年1月13日). http://www.47news.jp/CN/201001/CN2010011301000753.html 2010年1月14日閲覧。