李升基
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李 升基(リ・スンギ、朝鮮語: 리승기、1905年10月1日 - 1996年2月8日)は、北朝鮮の化学者。生まれは韓国の全羅南道の潭陽郡。中央普通学校を経て松山高等学校(理科甲類)を1928年3月に卒業した。その後、京都帝国大学工学部に進学し、京都帝国大学化学研究所では助教授を務めた。1939年には桜田一郎、川上博、矢沢将英らとともにビナロンを合成し、世界で2番目の合成繊維を作成した。しかし戦時中の日本の軍事政策に協力しなかったために治安維持法により拘束され、終戦を迎えるまでとらわれの身となった[1]。
解放後は韓国へと渡り、ソウル大学校の工科大学で学長を務めるものの朝鮮戦争が勃発し、戦時中は北朝鮮へと逃れた(韓国側は拉致と主張)。その後は北朝鮮でビナロンなどの繊維工業の発展に尽くしたほか、1962年~1990年には最高人民会議の代議員を務めた。1967年に寧辺原子力研究所が設立されると、初代所長となり核開発にも携わったと言われている。
関連項目
出典
- ^ “[亡命女性研究者、董チュンオクの証言。”. North Korea Today (2006年10月15日). 12月6日閲覧。accessdateの記入に不備があります。