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1981年のパシフィック・リーグプレーオフ

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1981年パシフィック・リーグプレーオフは、前期優勝の山内一弘監督率いるロッテオリオンズと後期優勝の大沢啓二監督率いる日本ハムファイターズとの対決となった。シーズン中の対戦においてはロッテが16勝7敗3分と圧倒していたが、日本ハムが3勝1敗1分で前身の東映フライヤーズ以来19年ぶりの優勝を果たした。

試合結果

第1戦

10月7日 川崎 観衆17000人

日本ハム 0 0 0 1 0 0 0 0 0 1
ロッテ 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0

(日)○高橋一(1勝)、S江夏(1S)-大宮
(ロ)●村田(1敗)-土肥
本塁打
(日)柏原1号ソロ(4回村田)

4回、柏原純一の本塁打による1点を高橋一三江夏豊のリレーで守り切り、日本ハムが先勝。ロッテは7安打したものの庄司智久の2度のバント失敗など拙攻が響き、無得点だった。村田兆治は柏原の一発以外はほぼ完璧な投球だったが、0点では勝てなかった。

第2戦

10月10日 川崎 観衆25000人

日本ハム 2 0 0 0 0 0 1 0 2 5
ロッテ 1 2 0 0 0 1 1 0 0 5

(9回時間切れ引き分け)
(日)岡部高橋里村上工藤宇田、江夏-大宮
(ロ)仁科倉持三宅三井高橋博
本塁打
(日)高代1号ソロ(7回倉持)

日本ハムは初回、2つの犠飛で2点を先制。その裏ロッテはこの年の首位打者落合博満のタイムリーヒットで1点を返し、2回庄司のタイムリーと押し出し四球で逆転。6回にも追加点を挙げて2点差とした。2点差で迎えた9回、日本ハムは村井英司井上弘昭のタイムリーヒットで追いつき、結局9回時間切れ引き分けとなった。試合時間5時間17分は9イニングの試合としてはプロ野球で公式に行われた試合の中で最長記録(レギュラーシーズンの9イニング最長記録は2005年5月15日に行われたオリックス広島の5時間15分)。

第3戦

10月11日 後楽園 観衆38000人

ロッテ 0 0 0 0 0 1 0 0 0 1
日本ハム 0 1 0 0 0 2 0 1 X 4

(ロ)●水谷(1敗)、安木梅沢-高橋博、袴田
(日)○間柴(1勝)-大宮

日本ハムは2回、1死満塁から大宮龍男のタイムリーヒットで先制。6回にいったん同点とされたが、その裏2死から古屋英夫、井上弘の連打、大宮の野選で満塁とし、代打・加藤俊夫がレフト前にはじき返し、2点を勝ち越した。シーズン15勝無敗の記録を作った間柴茂有が完投し、日本ハムが王手をかけた。

第4戦

10月12日 後楽園 観衆25000人

ロッテ 2 3 0 0 6 0 0 0 0 11
日本ハム 0 0 4 2 0 0 0 0 0 6

(ロ)○村田(1勝1敗)-土肥
(日)高橋一、●高橋里(1敗)、村上、宇田、成田-大宮
本塁打
(ロ)有藤1号2ラン(1回高橋一)、落合1号3ラン(5回高橋里)、水上1号3ラン(5回宇田)

ロッテは有藤道世の2ランなどで2イニングで早々と5点を先取。日本ハムは島田誠の連続タイムリーなどで一度は逆転したが、5回、落合の3ランが飛び出しロッテが再逆転。水上がダメ押しの一発を叩き込んだ。

第5戦

10月13日 後楽園 観衆24000人

ロッテ 0 0 0 0 0 1 3 0 0 4
日本ハム 3 1 0 2 0 2 0 0 X 8

(ロ)●仁科(1敗)、三井、倉持、三宅、梅沢-高橋博、土肥
(日)木田(1勝)、江夏-大宮
本塁打
(ロ)有藤2号ソロ(6回木田)、レオン1号2ラン(7回木田)、土肥1号ソロ(7回木田)

日本ハムは初回、柏原のタイムリーと岡持の2点タイムリー二塁打で3点を先制。その後も着々と加点し、5回までに6-0という一方的な展開。6回有藤の本塁打で1点を返したが、その裏さらに2点を追加し、8-1。ロッテはさらにレオン・リー土肥健二の本塁打で追い上げたが、反撃もここまで。7回途中から木田勇を救援した江夏が後続を抑え、日本ハムが19年ぶりの優勝を飾った。

表彰選手

テレビ・ラジオ放送

ラジオ中継

関連項目