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ジャパニーズ・ウイスキー

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サントリー「山崎12年」

ジャパニーズ・ウイスキー英語: Japanese whisky)とは、日本で生産されるウイスキー。日本でウイスキーが作りはじめられたのは1870年ごろであるが、販売用の生産が開始されたのは1924年のことである。ジャパニーズ・ウイスキーはアイリッシュ・ウイスキーよりもスコッチ・ウイスキーに近いとされており、英語表記の綴りもスコットランド風の "e" を省く表記が用いられている。

日本ではウイスキーを製造する会社が複数あるが、なかでもサントリー(2009年4月1日以降はサントリー酒類)とニッカウヰスキーの2社が挙げられる。この2社ではシングルモルトブレンデッドの両方を製造している。

歴史

竹鶴政孝の胸像

鳥井信治郎竹鶴政孝はジャパニーズ・ウイスキーの歴史に触れるうえで欠かせない人物である。鳥井はもともと薬種問屋で丁稚として奉公していたが、その後寿屋(のちのサントリー酒類)を設立する。最初は洋酒の輸入販売を行なっていたが、ポルトガルワインをもとに独自開発した「赤玉ポートワイン」を販売して成功する。ところが鳥井は赤玉ポートワインでの成功に満足せず、生涯の業績となるような新しい事業に着手した。その事業というのが日本人向けのウイスキーの製造であった。鳥井は社内の反対を押し切って、千利休が茶室を設けた大阪府島本村の山崎の地に日本初のウイスキー蒸留所の建設を決定した。

鳥井は山崎蒸溜所の所長として竹鶴を招く。竹鶴はスコットランドで蒸留技法を学んでおり、1920年代初頭にそこで得た知識を日本に持って帰っていた。寿屋で勤務していたあいだ、竹鶴は鳥井の山崎蒸溜所設置に重要な役割を果たす。1934年、竹鶴は寿屋を退職して大日本果汁(のちのニッカウヰスキー)を設立する。このとき竹鶴は北海道余市町余市蒸溜所を建設している。

蒸留所

サントリー山崎蒸溜所
ニッカ余市蒸溜所

日本にはおよそ10か所の蒸留所が設置されている。おもなものを会社別に挙げると以下のとおりである。

評価

かつてはスコッチ・ウイスキーの様式で製造されていてもスコットランドで生産されていないウイスキーは、伝統的なスコッチ・ウイスキーの基準を満たさないと考えられてきた。そのため近年までジャパニーズ・ウイスキーの市場はほぼ日本国内向けであった。

ところがその後、ウイスキーマガジンによるブラインド・テイスティングが多く催されているが、その場においてはスコットランドでも優秀とされる蒸留所で生産されたモルト・ウイスキーに並んで、ジャパニーズ・ウイスキーもテイスティングの対象となっている。一度ならずそのテイスティングの結果で、ジャパニーズのシングルモルト(とくに余市と山崎)はスコッチのシングルモルトよりも高い評価を受けている[1]

スタイル

ジャパニーズ・ウイスキーの製造はスコッチ・ウイスキーの製造方式を再現するというところから始められた。竹鶴などのジャパニーズ・ウイスキーの先駆者たちはスコッチ・ウイスキーの製造過程を学び、その製法を日本で再現しようと多くの苦労を重ねた。日本初の蒸留所が造られた山崎は経済的な制約があり、より便利な場所に建設することが重視されたが、余市はとくにその地形や気候がスコットランドに似ているため、蒸留所の設置場所として選定された。

ジャパニーズ・ウイスキーのスタイルの一面として、ブレンデッドウイスキーの生産方法や日本におけるウイスキー業界の異なる性質が挙げられる。シングルモルトの売上は近年伸びているが、世界におけるウイスキーの売上の多くはブレンデッドウイスキーによるものである。ブレンデッドウイスキーが作られるためには、スコットランドの蒸留所で生産されるモルトが多様であるという背景が欠かせない。それぞれの蒸留所では単一の製法に絞っており、ブレンダーはそれぞれの蒸留所が製品として求める味を作るためにウイスキーのブレンドを行なっている。あるブレンデッドウイスキーの銘柄は1またはそれ以上の蒸留所を持つ事業者が所有している一方で、さまざまな事業者とのあいだでモルトの売買がなされるということも一般的である。つまりブレンデッドウイスキーには多くの蒸留所のモルトが用いられるが、それぞれのモルトは異なる事業者が所有するということになる。

ところが日本ではこれとは異なるモデルが導入されている。日本のウイスキー事業者は蒸留所とブレンデッドウイスキーの銘柄の両方を所有しているのである。そのため競合する事業者とのあいだでは、モルトの売買がなされるということが少ない。そのため日本のブレンデッド・ウイスキーは同じ会社の複数の蒸留所で生産されるモルトウイスキーだけで作られていることが多く、一部ではスコットランドの蒸留所で作られたモルトを輸入して配合するということもある。

これはつまり、日本のブレンダーはそれぞれの製品を作るためのパレットをきわめて少なくしていたということである。このような状況がジャパニーズのブレンデッドウイスキーが、とくに日本国外で成功を収めるうえで制限要素となってきたと考えられている。

このため日本のそれぞれの蒸留所は近年、次第に多様なものへとなっていった。つまり日本では1か所の蒸留所において、アイラ・モルトのようなスモーキーでピートの香りの強いものからスペイサイド・モルトのような軽く繊細なものまで、幅広いものを作っているのである。

このような日本の蒸留所における多様化と工夫でジャパニーズ・ウイスキーは世界において高い評価を受けるようになっていった。また日本ではウイスキーの飲み方にも独特な特徴があり、ウイスキーと一緒に食事をしたり、また湯割りや水割りにしたりしている。

脚注

  1. ^ "YOICHI" marked the highest score among the 47 brands in the world” (英語). ニッカウヰスキー. 2009年5月17日閲覧。

参考文献

* Harold J. Grossman; Harriet Lembeck (English). Grossman's Guide to Wines, Beers, and Spirits (6th edition ed.). New York: Charles Scribner's Sons. pp. pp. 343-344. ISBN 9780684150338