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酒井 忠全(さかい ただやす、文化12年(1815年) - 文化14年11月3日(1817年12月10日))は、播磨姫路新田藩の第3代(最後)の藩主。第2代藩主・酒井忠質の子。
幼名は左京。1816年に父が死去したため、その後を継いだ。しかし翌年11月3日に死去。3歳で嗣子がいるはずもなく、ここに姫路新田藩は完全に廃藩となったのである。