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エスペラント母語話者

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

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エスペラント母語話者(-ぼごわしゃ)とはエスペラントを話す家庭(ほとんどの場合その他の言語も話される)に生まれたエスペラントを母語として話す人のことである。エスペラントでは Denaska Esperanto-parolanto (生まれながらのエスペラント話者)、あるいは単にdenaskulo (生まれながらの者)と呼ぶ。

家庭とエスペラント

人工言語であるエスペラントが発表された当時(1887年)、当然ながらエスペラントの母語話者はいなかった。その後、エスペラントが普及するにつれ、片方あるいは両方の親が、エスペラントを第一言語として子供とのコミュニケーションに使用する家庭が登場した。その子供は他の言語の母語を習得するのと同様にエスペラントを習得してエスペランティストになった。エスペラント母語話者であってもエスペラントのみで日常生活を送ることは困難なため、最低1つは他の言語を習得し、場合によってはもっと多くの言語を習得する。

エスペラントが家庭内で使用されるケースはさまざまである。「エスペランティストの集会などで知り合い国際結婚した夫婦の場合、多くは母語が異なるために家庭内でエスペラントが話される」というモデルケースはよく知られている。このほか、夫婦間ではエスペラントで話すが子供とは別の言語で話す場合もある。この場合、子供は両親と話すことはできても親同士での会話は理解できないことも起こりうる。

両親ともに同じ言語を母語としているにもかかわらず母語話者が生まれるケースもある。このケースでは多くの場合両親の一方(多くの場合父親)が英才教育を目的として子供との会話にエスペラントを使用する。子供をエスペランティスト同士の旅行や集会に連れて行ったり、エスペランティストの友人を自宅に招待したりすることも行われる。

エスペラント母語話者の語学力は流暢に話せるレベルからほとんど話せないレベルまでさまざまである。成長して熱心にエスペラント運動に取り組む母語話者もいるが、ほとんどエスペラントに関わらず、成長するにつれてエスペラントから完全に離れてしまう母語話者もいる。また、親の教育が成功した場合第一言語としてエスペラントを用いる母語話者もいる。

エスペラントに対しては「エスペラントは人工言語であるから感情を表現できない」などのエスペラントが人工言語であることを理由とした批判がある。エスペラント母語話者の存在はエスペラントを使用したコミュニケーションが家庭内で成立することを実証し、そのような偏見を覆すことに大きく貢献した。現在ではクレオール語や発展を遂げた人工言語も自然言語と対等の機能を担えることを多くの学者が認めている。

インターネットが発達した現在では外国のエスペランティストとSkypeでチャットを楽しむことも可能になっている。

母語話者の人口 

自身もエスペラント母語話者であるヨウコ・リンドシュテットは1996年にエスペラント使用者の習熟度別人口を発表した。この中でリンドシュテットはエスペラント母語話者の人口は1,000人ぐらいであるという調査報告をしている。2005年のエスノローグによれば200人から最大2,000人のエスペラント母語話者が存在しているとしている[1]

ピジンのクレオール化との比較

同じように元来は母語話者のいなかった言語が母語話者を獲得する事例としてピジンクレオール化があげられる。この場合もピジンが家庭内の第一言語となり、それを聞いた子供はピジンを母語とすることとなる。しかし子供が習得したピジンはもはや粗雑で未発達なピジンではなく精緻で完全な(その他の自然言語と同様に人間生活での全ての用途に耐えうる)言語となる。この場合その言語はもはやピジンではなくクレオールと呼ばれる。

この事実から導かれる疑問として、エスペラントが母語化した際同様の変化を蒙らないのかということが挙げられる。この問題に対してBenjamin.K.Bergenは語順の固定や二重否定形の出現などを理由にそのような変化が確実に起こるとしているが、ヨウコ・リンドシュテットはそのような特徴はもう一つの母語の干渉や子供ゆえの表現力不足に過ぎず、エスペラントはそのままの状態で充分通常の自然言語と同じように機能しうると主張している。

後者が正しいとすれば、エスペラントが第二言語として百年もの間使用される間に、普遍文法に照らして自然な形へと練られてきたことがその理由として挙げられるだろう。

母語話者とエスペラントの中立性

エスペラントは母語としてではなく、世界中の人々にとって平等な第二言語としての国際補助語を目指して創られた。故にエスペラント運動では原則として、エスペラントは誰の母語にもなるべきではないと(少なくとも建前の上では)謳われている。そのため母語話者の出現は母語話者と第二言語話者の間に不平等を生みだして、エスペラントの中立性を破壊するとする意見が強く、多くのエスペランティストが公式に不快感を示している。

一方、母語話者の出現はエスペラントを自然言語と対等の完成された言語とする為に必要不可欠であり、エスペラントの発展の為に歓迎すべきだという意見もある。又、エスペラント母語話者は少なくとも直ちにこの言語の中立性を脅かす存在とはなりえないという主張もある。以下これらの考えを解説する。

一般に自然言語、若しくはそれと同等な機能を獲得したクレオール語、人工言語の母語話者は第二言語話者よりも語彙、発音、文法的・語法的直感など語学力の様々な面に於いて極めて有利な立場にある。これはエスペラントでも同様であるため、エスペラント母語話者の出現は第二言語としてのエスペラント使用者との間にエスペラントの使用能力の多大な格差を生んでしまい、エスペラントの根底である中立的国際語という概念を揺るがせるものだという主張が保守的エスペランティストの中には多い。誰の母語でもないということは、誰もが学習を通してでしか身につけられないということであり、其の限りに於いて中立的だといえるからである。

反対に母語話者の出現に賛同する人々もおり、彼等はエスペラントが母語話者を獲得することは、エスペラントを完全な意味で自然言語と対等の地平に立たせるために必要不可欠であり、エスペラントに言語としての魂を吹き込むことだと主張している。母語話者(正確には第一言語話者)という存在は一般に其の言語を自由自在に操れる存在であるため、政治的思想を離れた純粋な言語としてのエスペラントの発展にとっては、母語話者の出現は良いことであるのは否定しがたいとされる。但しこの場合エスペラントの中立性を破壊する行為を推奨することにもなりかねない。

母語話者の出現は今の所中立性を破壊する心配はないという意見の擁護者は、エスペラントは民族語とは違い、未だ母語話者のコミュニティーを持たないため、母語話者といえども其の言語を第一言語として成長することは通常は不可能であり、必ず一つ以上ある他の母語を第一言語とするはずであるとし、その為エスペラント母語者が非母語話者に比べて有利であることは事実だが、多くの場合はエスペラントが最も得意な言語でないという意味で非母語話者と変わらず、自然言語の様な圧倒的な差は生まれないと主張している。

現実にエスペラント母語話者の多くがエスペラント語以外の言語を第一言語として成長することもこの見解を支持する要因である。但し、将来エスペラントが更なる広がりをみせ、母語話者の人数が拡大した場合この前提は崩れる可能性があり、エスペラントを第一言語とする人間が継続的に生まれうる環境が整う可能性もある。

エスペラントの中立性に対する楽観的見解を示すグループの中にはもう一つの意見もある。彼等によればエスペラントは極めて文法的規則性が高く習得しやすい言語であり、たとえ幼い頃からエスペラントだけで育った完全な母語話者(当然エスペラントを第一言語とする)がいたとしても、第二言語としてのエスペラント学習者は最終的にその水準までエスペラントの能力を高めることが可能だという。但し現在の言語学に於ける主流的見解からすれば、文法的規則性や文法規則の少なさは実際には言語全体の優しさ、難しさには関係なく、全ての自然言語(とそれに準ずる言語)は中立的視点からすれば同等程度の難しさを持っているとされている。

現にエスペラントほどではないにせよ文法規則が少ない、または規則的であるとされるマレー語アイマラ語なども他の言語より習得が一般的に簡単であるという経験則は知られておらず、第一言語話者と第二言語話者の能力差も他の言語に比べて低いという証明もされていない。唯エスペラントはヨーロッパ諸語を元にしており、類似した言語の習得効率は一般にかなり高いためヨーロッパ諸語を第一言語としている人間の場合エスペラントの第一言語話者との言語能力的格差は一定程度縮まる可能性がある。

母語話者によるエスペラント運動

1967年イシュトヴァン・ネーメレは最初の母語話者のための組織を立ち上げた。同年、エスペラント家族のための最初の定期刊行物Gepatra Bultenoが発行された。1960年代、母語話者の子供のためのエスペラント雑誌、Nia voĉetoが登場した。

世界エスペラント大会とともに開催される国際子ども大会は6歳から14歳までのエスペラントを学ぶ子供が参加する大会であり、母語話者が参加して交流を深めている。

著名なエスペラント母語話者

世界エスペラント協会1966年の年鑑によれば、流暢に話す最初の母語話者はエミリオ・ガストンに1904年6月2日に生まれた娘、エミリア・ガストンである。

最初の母語話者のエスペラント運動家は、1906年9月12日に生まれたイネス・ガストンと1914年2月28日に生まれたイノ・コルベである。 1935年のエスペラント雑誌 Hungara Heroldoによれば、ブルガリア人ボリス・ヴァシレヴの当時2歳の娘ラウラは、「この時点では」エスペラントしか知らない幼児だった。

関連項目

参考文献

  1. ^ Gordon, Raymond G. Jr. (2005) (英語). Ethnologue: Languages of the World, (Fifteenth edition ed.). Dallas, Tex: SIL International. http://www.ethnologue.com/show_language.asp?code=epo 

外部リンク