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紫禁城の黄昏

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紫禁城の黄昏』(しきんじょうのたそがれ、Twilight in the Forbidden City)は、イギリス中国学者で朝最後の皇帝溥儀の家庭教師を務めたレジナルド・ジョンストンの著書。1934年3月にヴィクター・ゴランツ社から出版された。

概要

当時の清国中華民国内、溥儀皇帝周辺の情勢を記した第一級史料である。東京裁判では、弁護側資料として提出されたが、却下され裁判資料とはされなかった[1]

なお同書はジョンストンより溥儀へ捧げられている。溥儀の生涯を描いた映画『ラストエンペラー』(The Last Emperor)(1987年公開)でも文献が登場する。著者ジョンストンは、ピーター・オトゥールが演じた。

刊行本

原題

  • 「Twilight in the Forbidden City」 Reginald F. Johnston

日本語訳

岩波文庫版の未邦訳問題

岩波文庫版(入江曜子・春名徹訳)の日本語訳は、原書全26章中、第1章から第10章・第16章と序章の一部(全分量の約半分)が未邦訳である。岩波版の訳者あとがきでは、「主観的な色彩の強い前史的部分である第一~十章と第十六章『王政復古派の希望と夢』を省き、また序章の一部を省略した」とのみ述べている。

21世紀に入り、全26章と注釈を完訳した祥伝社版(上下、中山理訳・渡部昇一監修・解説、新版・祥伝社文庫上下)が刊行。なお訳者は英文学者で麗澤大学学長を務めている。

他に同じく全26章と注釈を完訳した、本の風景社版(岩倉光輝訳)が出版された。価格は祥伝社版に比べ相当に安いが、一般向けには購入し易いとはいえない[2]

なお本の風景社版には、1934年12月に発行された第4刷には(1)扇の写真の差替え、(2)康有為の亡命先に関する記述、(3)馮玉祥に監禁された曹錕に関する記述、(4)梁啓超の言葉に対して「私はその提言に従って本書を執筆した」という一文の挿入などの修正が加えられている、という記述があるが、岩波文庫版の凡例には、「訳者たちが依拠した国会図書館の蔵本は一九三四年十二月の第四刷であるが、第四刷への序文が加えられた他は、少数の誤植(主として中国音の表記法についての)を含めて初刷(同年三月)との異同はない模様である」と述べている。

戦前版は1934年7月に大樹社書房から出版された『禁苑の黎明』(荒木武行訳)と、1935年1月に関東玄洋社から出版された『禁城の熹光―満洲国皇帝陛下御生立記』(非売品)がある。

祥伝社版の出版社によるキャッチコピーと内容紹介では「戦前のシナと満洲、日本の関係を知る第一級資料の完全訳。『東京裁判』と『岩波文庫』が封殺した歴史の真実を明らかにするために岩波文庫版未収録章を含む原著全26章を完全収録した完訳版を発行した」と述べている。

岩波版で省略された章には、当時の中国人が共和制を望んでおらず清朝を認めていたこと、満州が清朝の故郷であること、帝位を追われた皇帝(溥儀)が日本を頼り日本が助けたこと、皇帝が満州国皇帝になるのは自然なこと、などの内容が書かれている。

岩波版への批判

祥伝社版の監修者渡部は、岩波版について痛烈に以下批判している。

 「ところがこの文庫本は、原書の第一章から第十章までと、第十六章を全部省略しているのだ。その理由として訳者たちは「主観的な色彩の強い前史的部分」だからだという。この部分のどこが主観的というのか。清朝を建国したのが満洲族であることの、どこが主観的なのか。第十六章は満洲人の王朝の皇帝が、父祖の地にもどる可能性について、当時どのような報道や、記録があったかの第一級資料である。日本政府が全く関与しないうちに、それは大陸での大問題であった。溥儀がジョンストンと日本公使館に逃げ込んできた時の芳沢公使の当惑、その後も日本政府がいかに溥儀にかかわることを嫌ったか、その側にいたジョンストンの記述ほど信用なるものはない。また岩波文庫では、序章の一部を虫が喰ったように省略している。そこを原本に当たってみると、それは溥儀に忠実だった清朝の人の名前が出てくるところである。つまり岩波文庫訳は、中華人民共和国の国益、あるいは建て前に反しないようにという配慮から、重要部分を勝手に削除した非良心的な刊本であり、岩波文庫の名誉を害するものであると言ってよい」

岩波版の訳者の英語力にも疑問を呈している。

 「訳者の略歴は記されていないので不明であるが、思想的には東京裁判史観の人らしいし、英語力にも問題がある。一例だけ挙げておく(原書450ページ、文庫本437ページ)

I need hardly say that the last persons in the world to whom the emperor would have appealed for sanctuary were Chiang Kai-shek and Chang Hsueh-liang;

(岩波訳:皇帝が誰かに庇護を求めるとすれば、世界中で一番最後に頼る人物が蒋介石と張学良であることは、あらためていうまでもない)

この岩波文庫訳では意味がちょうど反対になってしまっている。つまりthe last(最後の)という単語の意味が理解されていない。He is the last person to do such thing(彼はそんなことをやる最後の人だ=そんなことは絶対にしない人だ)というのは旧制高校向けの入試参考書にも出てくる例文である。しかし、誤訳は誰にでもあることだから、それ自体は大したことではないだろう。しかし溥儀が、蒋介石と張学良を世界中で一番最後に頼る人物だと考えていたと訳するのは、このジョンストンの本の内容 がまるで解っていなかったということになる。原文は「皇帝が庇護を求める場合、誰に頼るとしても、世界中でこの人たちだけには絶対頼りたくないのが蒋介石と張学良だった」という内容である。 こんなことはジョンストンの記述をそこまで読んでくれば当然に解るはずなのだ。訳者たちが正反対に誤訳したのが単なる語学力の欠如なら許せるが、読者を誘導する意図があったとしたら―歴史の削除のやり方からみて、その可能性がないとは限らない―許せない犯罪的行為であろう。」(祥伝社版、監修者まえがき、11頁)

また渡部は、岩波文庫版が「主観的な色彩の強い」として原著の重要部分を省いたことは、原作者に対する著作者人格権の侵害にあたるという批判見解も出している[3]

関連文献

小野忍新島淳良野原四郎共訳、筑摩書房[筑摩叢書]/新版ちくま文庫、1992年)
  • 『溥儀日記』 王慶祥編、(銭端本ほか訳、學生社 1994年)
  • 李淑賢 『わが夫、溥儀 ラストエンペラーとの日々』 王慶祥編、(林国本訳、學生社、1997年)
  • 愛新覚羅溥傑 『溥傑自伝 「満州国」皇弟を生きて』 (金若静訳注、河出書房新社、1995年)
  • 『溥儀 1912-1924 紫禁城の廃帝』 秦国経編著、(宇野直人・後藤淳一訳、東方書店、1991年)
  • 入江曜子 『溥儀』 (岩波新書、2006年)
  • エドワード・ベア 『ラスト・エンペラー』(田中昌太郎訳、ハヤカワ文庫NF:早川書房 1987年) 映画化に併せ刊行
  • 中田整一 『満州国 皇帝の秘録 ラストエンペラーと「厳秘会見録」の謎』(幻戯書房、2005年)

脚注

  1. ^ 満州は日本の侵略ではない / 渡部昇一 web-will
  2. ^ Amazon.co.jpでは購入できるが、紀伊国屋書店では入手できず、ジュンク堂では扱っていない。
  3. ^ 渡部昇一『日本を賎しめる「日本嫌い」の日本人 いま恐れるべきはジパノフォビア』徳間書店、2009年