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ノート:樺太朝鮮人虐殺事件

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出典要求テンプレート剥がしについて

「ただし、朝鮮人による証言以外の確実な証拠はない」との記述に対し、出典要求したところ、テンプレートが剥がされたので、記述をコメントアウトします。この記述は、編纂者が単に知らないとの意味ですか。あるいは、編纂者が独自研究をして、世界中の資料を検討した結果、存在しないことを確認したとの意味でしょうか。それとも、どこかの学術論文等に、書かれているのでしょうか。編纂者の不勉強や独自研究ならば、記述を削除してください。出典に基づく記述であるならば、出典明示のうえコメントをはずしてください。

ところで、この文章、ちょっとおかしくありませんか?出典に書かれている内容の前後をはしょったために、おかしな文章になっている可能性はありませんか。「朝鮮人の証言以外確実な証拠は無い」と書くと、「確実な証拠には朝鮮人の証言がある」との意味にもとれますが、一般に、事件の証拠というものは、被害者の証言・物証・加害者の証言・目撃証言などを総合的に判断するものであって、特定のものが確実な証拠ということは、あまり無いと思いますが、「この事件では朝鮮人の証言が確実な証拠となった」との研究があるのでしょうか。「林えいだい」らの著書によれば、樺太朝鮮人虐殺事件では、グラスノスチ以降、KGB捜査記録や、ホルムスク裁判における被告人証言、などが明らかになった事件もあります。これらのものを総合的に判断した結果も、確実な証拠では無いとする研究があるならば、出典を示してください。

出典要求のテンプレートはずしに「証拠がないの出典って? 」とお書きです。「証拠が無い」と歴史教科書や学術論文に書いてあるならば、当然にそれが出典です。歴史的事件に対して、「証拠が無い」ことの証拠は無いかも知れないけれど、「証拠が無い」とする学術論文など、いくらでも有ります。出典を明示しないで「証拠が無い」と書くと、編纂者が不勉強なために証拠があることを知らないのか、学術研究成果なのか、読者に分らないので、出典の提示を願います。Lib 1964 2010年3月1日 (月) 02:35 (UTC)[返信]

ちょっと気になったもので横槍を入れさせていただきます。Lib 1964さんの主張はごもっともなのですが、「存在しないこと」の証明はいわゆる悪魔の証明となりますので、そこに出展を要求するのはいささか非建設的なのではないかと思います。それよりはLib 1964さんのおっしゃられる他の証拠を出典として該当の記述を否定された方が話が早いのではないでしょうか。ただ、"林えいだい"氏についてざっくり調べた印象では鵜呑みにするのが危うい作家のようには思えますが。--Griefwalker 2010年3月1日 (月) 05:42 (UTC)[返信]
まず、この記述を初めて書いた方は別の方なので、一体どのような意図で記述を書いたのかは私には分かりませんが、この事件があったという根拠は林えいだい氏と崔吉城氏の本で、その本も朝鮮人の証言という物が掲載されている以外に有力な証拠があって書かれているのではないようです。多分、記述を書いた方はこのことから「ただし、朝鮮人による証言以外の確実な証拠はない」と書いたのでしょう。
ここからは私の考えですが、証言を鵜呑みにしているだけの本ほどアホらしいものはないと思います。証言なんて、いくらでも捏造できるんですから。こういう事件の証拠というのは、状況証拠(いわゆる「動かぬ証拠」)がないと話にもなりません。で、その動かぬ証拠が今現在存在しないんですよ。動かぬ証拠がない中、あたかも「こんな事件があったんですよ〜」と言わんばかりの記事をほったらかしにしておくのは問題があります。本来だったら、大げさですが記事の本文全てに要出典を貼っても良いくらいです。私は、以上のことから呼んでいる人に誤解を与えないように記述を目立つようにしましたが、それに要出典を付けられてしまうというのは心外です。--Jisyoutetuota 2010年3月2日 (火) 11:36 (UTC)[返信]
Griefwalkerさまは、『「存在しないこと」の証明はいわゆる悪魔の証明となりますので、そこに出展を要求するのはいささか非建設的なのではないかと思います』とお書きですが、私が出典を要求したのは、Wikipediaの三大方針の一つである検証可能性の要件を満たすためです。もし、「存在しないとの記述は検証可能でなくても良い」とのご主張であるならば、検証可能性のところで議論の上、合意を取った後に記述を訂正してください。また、「"林えいだい"氏についてざっくり調べた印象では鵜呑みにするのが危うい作家のようには思えます」とお書きですが、ざっくり調べた印象は編纂の根拠にならないので、しっかり調べてその結果を学術論文等に執筆した後、それを根拠に議論くださいますようお願いします。Lib 1964 2010年3月3日 (水) 02:27 (UTC)[返信]
そう身構えられても困ります。別段「存在しないとの記述は検証可能でなくても良い」などと主張するつもりは無く、明確な根拠足り得る出典をご存知ならそれを提示して編集した方が方が手っ取り早い上に反論の余地も無いので楽ですよね、という提案です。Lib 1964さんとしては出典の無い記述は除去されて当然で反証を挙げるまでも無い、とお考えなのかもしれませんが、事実はご覧の通り単純な編集では片付かずノートでの議論にまで発展しています。どうも否定的な論調で口を挟んだせいで論敵のように見なされてしまっているようですが、私はこの記事の内容については門外漢ですので特段関与するつもりはありません。記事の内容以前の編集の手法について非合理的な所があるように見えましたので一言申し上げたまでです。--Griefwalker 2010年3月3日 (水) 04:22 (UTC)[返信]
検証可能性のところに、「記事には、信頼できる情報源が公表・出版している内容だけを書くべきです」「出典が明示されていない編集は、誰でも取り除くことができます」と書かれているので、出典が無い記述は原則として削除しないといけないと思います。また、この基準は「すべての利用者が従うべきだと考えられています」とあるので、個人個人の賛否とは別に、執筆する以上、従わなくてはならないと思います。Lib 1964 2010年3月3日 (水) 05:28 (UTC)[返信]
Jisyoutetuotaさまご指摘のように、本文の記述では「この事件があったという根拠は林えいだい氏と崔吉城氏の本」が出典となっています。Wikipediaの記述で求められている信頼できる情報源に該当するので、これらの本を出典とすることは、Wikipediaの記述方針上、問題ありません。また、Jisyoutetuotaさまは、「その動かぬ証拠が今現在存在しないんですよ」とお書きですが、独自研究はWikipedia執筆の根拠になりません。もし、林・崔らと異なった研究成果をお持ちならば、学術論文等に執筆して、その論文を出典としてWikipediaの記述に追記してください。ウィキペディアの内容に関する三大方針に従った編纂をお願いします。Lib 1964 2010年3月3日 (水) 02:27 (UTC)[返信]
Lib 1964さんがおっしゃる「信頼できる情報源」ですが、林・崔両氏の本はそれには含まれません。林氏はあくまで「社会人類学者ノンフィクション作家」で、崔氏に至っては「ノンフィクション作家社会人類学者」であり、専門の学者ではありません。そのため、情報源として有効とされている一次資料から三次資料のいずれにも当てはまりません。ましてや一次資料や二次資料を要約したものでもありません。だから、両氏の本は信頼できる情報源とは言えないんです。いくら活字になったものとはいえ、専門知識があるわけでもないような人が書いたものを信用することはできないでしょう?--Jisyoutetuota 2010年3月3日 (水) 13:56 (UTC)何でこんなミスを・・・--Jisyoutetuota 2010年3月8日 (月) 11:04 (UTC)[返信]
林氏と崔氏の経歴を取り違えているようですがさておいて、素人が研究者を信頼できないと呼ばわっても検証可能性を満たしません。それこそ信頼できる情報源による批判を提示して下さい。johncapistrano 2010年3月3日 (水) 14:04 (UTC)[返信]

お邪魔します。主張は主張として曖昧に書かず正確に書きましょう(Wikipedia:言葉を濁さない#基本的ガイドライン)。訂正させていただきました。--220.147.34.194 2010年3月8日 (月) 05:09 (UTC)[返信]

訂正ご苦労様です。--Jisyoutetuota 2010年3月8日 (月) 05:49 (UTC)[返信]
初版作成者でないし文献そのものや関連する新聞記事を把握してませんが、報道により事実と認識されうる範囲と林氏の取材結果と崔氏の研究成果とを検証した結果として「言葉を濁さない」を適用したのであれば方針に従っているでしょうが、IP:220.147.34.194会話 / 投稿記録 / 記録 / Whoisによる編集内容を見る限り、根拠を示さないまま両氏が信頼できないかのように仄めかしただけで寧ろより言葉を濁しているように見えます。5w1hは関係が薄いので無視します。調べたければご自身で履歴を確認すれば済むでしょう。johncapistrano 2010年3月8日 (月) 08:12 (UTC)[返信]
利用者:Griefwalker会話 / 投稿記録 / 記録氏などの主張/編集を引継いだり林氏や崔氏が信頼できないと主張するのであれば方針文書を確認して出典を提示しては如何ですか? 人類学者でもマムダニがルワンダ紛争を扱ったり松田素二がケニアの紛争を扱って評価を受けています。研究次第でしょう。研究内容に問題があるというなら出典が必要です。信頼できる情報源の裏付けのない利用者個人の主張は不要です。ノートでごねれば主張が反映できるのであれば方針文書の意味がありません。また無駄な議論は除去やログ化でいいですが、問題の部分は打消し線で訂正を入れた方がいいでしょう。johncapistrano 2010年3月8日 (月) 10:57 (UTC)[返信]
※途中の元の議論と直接関係のない議論
一体何をもって取り違えていると判断なさったのでしょうか?林氏は、[1]に書かれているように、ノンフィクション作家です。崔氏はWikipediaの記事にもあるように、文学博士・社会人類学者です。本人のホームページ([2])でもほぼ同様に書かれています。社会人類学とは、人間の生活様式全体(生活や活動)の具体的なありかたを研究する人類学の一分野です。歴史上の事件の研究とは関係ありません。
私は確かに素人かも知れませんが、両氏も研究者というわけではありません。だから、両氏の本は信頼できる情報源に入らないと言っているんです。まあ、「何かしら研究をしている人全てが研究者」という素晴らしい論理が成り立つとおっしゃるのなら、話は別ですが・・・。--Jisyoutetuota 2010年3月4日 (木) 06:55 (UTC)[返信]
約3日経ちましたが皆さん議論に復帰していただけないため、とりあえず記述を復帰します。--Jisyoutetuota 2010年3月7日 (日) 00:34 (UTC)[返信]
何日経ったかと出典の有無は関係ありません。私に関してはご自身の編集を自覚されない、出典も挙げないということで議論の価値を感じません。johncapistrano 2010年3月7日 (日) 03:24 (UTC)[返信]
出典の有無とかそう言う問題以前に、議論に3日参加しないという時点でもう議論する気はないと判断せざるを得ません。そうなればページを元の状態に戻すのは当然のことです。
で、議論に戻っていただけましたので、話を戻します。まず、「ご自身の編集を自覚されない」、これは一体どういうことでしょうか。あなたの「林氏と崔氏の経歴を取り違えているようですが」とおっしゃるのでわざわざ両氏の経歴が載っているリンクを張ったのに、3日議論に参加せず、やっと参加したと思えば、その態度は何なんでしょう?一インターネットユーザーとしてのマナーが微塵も感じられません。はっきり言っておきますが、朝鮮人の証言しか証拠がないような事件をWikipediaに載っていたら、このページを見た人は洗脳されますよ。--Jisyoutetuota 2010年3月7日 (日) 04:55 (UTC)[返信]

林氏はあくまで「社会人類学者」で、崔氏に至っては「ノンフィクション作家」であり、Jisyoutetuota 2010年3月3日 (水) 13:56 (UTC)より

これのどこが取違えていないんですかね。信頼できないだとか、研究者でないとか、朝鮮人の証言しか証拠がない、洗脳だというのはあなた個人の主張ですから本文に記載する余地はありません。
現物は見ていませんがこちら[3]に問い合わせれば新聞記事のコピーも頂けるかも知れません。johncapistrano 2010年3月7日 (日) 05:18 (UTC)[返信]
>>これのどこが取違えていないんですかね。
どこが取り違えているんですか?
(以下、goo辞書より引用)
とりちがえる —ちがへる 【取(り)違える】
(動ア下一)[文]ハ下二 とりちが・ふ
(1)まちがえて他の物を手に取る。
「弟のかばんと—・えて持ってきてしまった」
(2)話の内容や意見をまちがえて理解する。誤解する。
「話の内容を—・える」
(3)たがいちがいにする。取りかわす。
「諏方五郎と播州とは手に手を—・へ/太平記 29」
(引用終わり)
>>「信頼できないだとか、研究者でないとか、朝鮮人の証言しか証拠がない、洗脳だというのはあなた個人の主張ですから本文に記載する余地はありません。」
はじめの2つと最後の1つについては誰も記載してほしいなんて言ってないんですがね・・・。「朝鮮人の証言しか証拠がない」については、私が太文字強調する以前から書かれてあったものなので私個人の主張ではありません。詳しいことはページの履歴をご覧下さい。
>>現物は見ていませんがこちら[4]に問い合わせれば新聞記事のコピーも頂けるかも知れません。
欲しいのであればご自分で問い合わせて下さい。私は欲しくはないので。
最後に。話をそらさないで私の質問にお答え下さい。一つ目、『一体何をもって取り違えていると判断なさったのでしょうか?』。二つ目、『「ご自身の編集を自覚されない」、これは一体どういうことでしょうか。』。--Jisyoutetuota 2010年3月7日 (日) 05:33 (UTC)[返信]
林えいだい氏はノンフィクション作家、崔吉城氏は社会人類学で13:56 (UTC)の編集では明らかに取違えてるでしょう。それすら認めないのでは議論が成立しなくても無理がないですね。出典を示す責任は掲載を希望する側にもどうぞ。johncapistrano 2010年3月7日 (日) 05:48 (UTC)[返信]
「明らか」のような曖昧な言葉で答えられても分かりません。5W1Hってご存じですか?それと、いい加減質問に答えていただけないでしょうか?人の質問に答えないのでは議論が成立しなくても無理がないですね(言葉をお借りしました)。--Jisyoutetuota 2010年3月7日 (日) 05:57 (UTC)[返信]
疑問の根拠を示さずに言葉を濁しているのはそちらですね。利用者:Kanbun会話 / 投稿記録 / 記録氏の初版と比べて根拠が示されないまま却って林氏や崔氏が前提としたものと取材・研究成果とを誤認させるような記述になっていると思います。johncapistrano 2010年3月8日 (月) 06:32 (UTC)[返信]
5W1Hが全く意識されていない文ですね。
誤認させるとは、どの記述が誰にどのような誤解をさせるということですか?今までに私が解答を求めている質問と一緒にお答え下さい。あと、根拠を示さずに「取り違えている」と言い張っておきながら、この場に及んで別の話題(誤認がどうたらこうたら)に勝手に移るのはおやめ下さい。--Jisyoutetuota 2010年3月8日 (月) 07:25 (UTC)[返信]
根拠は何度も示してますが[5][6]取違えでないと言い続けるので日本語が通じないんだとご自身で書いてましたね[7]
Jisyoutetuotaによる2010年3月3日 (水) 13:56 (UTC)の書込みで記録作家の林氏を「社会人類学者」人類学者[8]の「崔氏に至っては「ノンフィクション作家」」と書いてあるのを取違えでないとすれば「単なる書き間違い」だろうけど、書き間違いだとして脳内で経歴を取違えた以外にどう理解できますかね。これを指摘しても通じないので自身の編集を理解していないと書くことに何の問題があるんですかね…。johncapistrano 2010年3月8日 (月) 07:51 (UTC)ノートで強調を使うのは好みでないですが、強調が正、斜体がJisyoutetuota 2010年3月3日 (水) 13:56 (UTC)です。一部修正。johncapistrano 2010年3月8日 (月) 07:57 (UTC)[返信]
お答えいただきありがとうございます。疑問が解けて良かったです。本当は始めからこのくらい説明していただきたかったのですが・・・。--Jisyoutetuota 2010年3月8日 (月) 09:53 (UTC)[返信]

 記事のソースについて 

主張されている事件の重大性に比して、ソースが決定的に弱いです。主に二つの事件があげられていますが、一つ一つの論証が一つの論文しか参照されておらず、このケースの論証としては弱すぎます。崔吉城氏の主張についても林氏の主張についても別人による、一次ソースを検証したものがないかぎり、テンプレにあるとおり「単一の出典」であり、ソースとしてはPOVを内包せざるをえません。ソースを求めます。Nakata88 2011年1月20日 (木) 08:14 (UTC)[返信]

ソースが一つ、あるいは少ないからPOVだというのは意味不明です。複数の結論の異なる研究があって、意図的に一つのソースしか挙げていないのならば問題ですが。POVは出典の数を問題にする方針文書ではありません。現在の記事内容がPOVだというのなら、検証可能な文献を挙げて論じてください。--Kanbun 2011年1月20日 (木) 12:44 (UTC)[返信]
また「この事件は、訴訟など公的な場での立証がまだなので、実際に主張の通りの立証があったと断定するのは未だ無理。」などと履歴コメントにありますが、これは著しく意味不明。そもそもこの問題は刑事裁判で問われている刑事事件ではありません。--Kanbun 2011年1月20日 (木) 12:52 (UTC)[返信]
  • 主張してる人が一人しかいないならその人の名前を挙げるべきでしょう。それで事実がどちらにしろハッキリします。このケースは情報が必要なケースですから情報を集めるためにも現状をハッキリさせるべきです。Nakata88 2011年1月20日 (木) 13:26 (UTC)[返信]
この事件に関して日本政府を相手取り賠償請求がなされているのですから、主張している人は一人ではありません。論文を発表した研究者が一人なだけです。「このケースは情報が必要なケースですから情報を集めるためにも現状をハッキリさせるべきです。」というのは論理的に成り立っていません。--Kanbun 2011年1月20日 (木) 13:37 (UTC)[返信]
  • 損害賠償請求の時効による棄却は本案請求ではなく形式的な棄却です。したがって、内容についての証明力はありません。また、請求自体は信頼できる二次ソースでもありません。そもそも請求は判決によって担保されない限り真実を担うとはいえないものです。このケースではソースはそれぞれ一つしかありません。Nakata88 2011年1月20日 (木) 13:46 (UTC)[返信]
請求が裁判で認められたかどうかは全く問題ではありません。請求した者がいた時点で主張している人は一人ではないことは明白です。また、ソースが一つしかないから信用性がないという論拠は単純におかしいです。本事件に関する論文は学術的な論文集に採録されているのですから、反証研究が挙げられないうちは事実として取り上げるのがまっとうな方法です。「そもそも請求は判決によって担保されない限り真実を担うとはいえないものです。」というのも論拠がおかしいし、また事実誤認を含んでいます。当該請求の棄却事由は時効ですから、事実認定は問題にされていません。つまり、裁判所は事件がなかったなどとは一言も言っていません。--Kanbun 2011年1月20日 (木) 13:53 (UTC)[返信]
  • そもそも、歴史的事実の存否が問題なのですから、信頼できる二次ソースが一つあるかないかではその証明が緩いのは否定しようがありません。また、請求は認められなければ事実に対する証明力はありません。つまり、「反証研究が挙げられないうちは事実として取り上げるのがまっとうな方法」などではありません。その段階では単なる仮説の一つです。学会などのコミュニティなど信頼できるソースの元で事実と認められ学会誌に査読付きで載るなどの段階ではじめてソースの信頼性が揺るぎないものとなるのです。ですから、信頼できるソースが必要なのです。Kanbunさんはひとりでも主張している人間がいれば事実としてあつかえと行っていますが、それはウィキペディアのスタイルではありません。信頼できる情報源を読み直してみてください。
  • 時効判決について言えば、裁判所は「事件があった」とも「なかった」ともどちらも言っていないのです。時効とは時間の経過による証拠の散逸により訴訟を忌避する制度です。つまりどちらにも証明力はありません。Nakata88 2011年1月20日 (木) 14:00 (UTC)[返信]
本論文が掲載されている論文集は学術的なものであり、全く「信頼できる情報源」です。Nakata88さんはご自身の主張のソースを示しもしないで、ひたすら事件を「一人の人物が主張している」と繰り返していますが、そもそも何人がこの事件を真実として認めているかなどわかりはしません。したがって、情報源が信頼できるものであれば、まずはそれに基づいて記述するというのがウィキペディアの方針です。
時効判決については全くその通りですから、事件の真実性について、肯定の材料にも否定の材料にもなりませんから、問題にするのはナンセンスです。--Kanbun 2011年1月20日 (木) 14:06 (UTC)[返信]
つまり、Nakata88さんが本事件が一人の人物によるねつ造であるとか、一人の人物による主張に過ぎないとか記事に書き加えたいのであれば、ちゃんとソースを示して論じてください。--Kanbun 2011年1月20日 (木) 14:08 (UTC)[返信]
  • 歴史的事実の存在を証明する場合、それを論ずるものが一人しかいない場合は、一つの学説としか言いようがありません。したがって、その論者の名前を出すのが適切です。歴史学コミュニティからは周辺領域にある比較法制史の学会の一つの論文でそれが満たされているとはいえません。論者が一人しかいないのですからその名前を挙げて論ずるべきだというのが私の主張であり、それはそのような学説が一人説であることを明示しろという要求にすぎません。つまり事実を書けと言っているわけです。
  • 時効判決についてはKanbunさんのいうとおり取り上げる意味がありません。ですから、Kanbunさんのとりあげた請求も証明力がないということになります。それはわかっていますか?Nakata88 2011年1月20日 (木) 14:16 (UTC)[返信]
「信頼できる情報源」を完全に誤解しています。ウィキペディアはソースの数ではなく、ソースの信頼性を基本的に問題にしているのです。学会で編集されて刊行されている論文集は基本的に申し分なく「信頼できる情報源」です。そしてその「信頼できる情報源」に事実として書かれていれば、それに基づいて書かれた記述は一応ウィキペディア的には事実として扱われるのです。
「歴史的事実の存在を証明する場合、それを論ずるものが一人しかいない場合は、一つの学説としか言いようがありません。」私は一応歴史学の専門家の端くれですが、この主張は歴史学的に完全に意味不明です。まず歴史学において、歴史事実なるものはすべて歴史学者個人によって叙述されるもので、歴史学上のあらゆる発見、つまりあらゆる歴史事実は一つの学説であります。で、歴史学ではいちおう反証研究が出ない限り、先行する研究を真実として受け入れます。それを支持する人数で事実認定するのではありません。
次に、賠償請求を取り上げたのは、あくまでこの事件をあるものと考えている人物が一人ではないことを証明するためで、この事件が事実であるかどうかを証明するためではありません。後者であれば、賠償請求は肯定の材料にも否定の材料にもなりませんが、前者であれば、請求が棄却されようとも、請求者がいた時点で、少なくとも崔吉城以外に本事件があったと考えている人物が複数いることが明白になります。--Kanbun 2011年1月20日 (木) 14:27 (UTC)[返信]
  • 「歴史学者個人によって叙述されるもので、歴史学上のあらゆる発見、つまりあらゆる歴史事実は一つの学説であります」とかかれていますが、それはあたりまえです。しかし、それが事実として受け入れられるかどうかはそれに賛同者がいるかどうかによります。
  • 一人説の段階では、それについて反論も同意もないのですから、一人説とわかるように書けと言っているのです。それいじょうでもそれいかでもありません。
  • つまり、「いちおう反証研究が出ない限り」という状況をありのままに書けと言っているのです。
  • そして、そのことにより、反証あるいは賛同研究が発見されあるいは書かれることを期待してるわけです。
  • Kanbunさんは研究者だと書かれていますが、この分野で十分な資料集めをされたということなのでしょうか?そうでないなら、Kanbunさんは研究者であろうとなんだろうと一般人と全く立場が同じです。
  • なお、裁判の請求は全く信頼できる二次ソースでないため、本事件があったと考えた人間が崔吉城と独立にいたという理由にはつかえてえも、事実を証明する信頼できる二次ソースには成り得ないことは前述の通りです。時間的には、むしろ崔吉城氏の論文が訴訟をするきっかけになったのではないですか?Nakata88 2011年1月20日 (木) 14:34 (UTC)[返信]
普通歴史学では、しかるべき学会誌や学会の編集する論文集に載った時点で、歴史学説を事実たりうるものとして認めていることになります。つまり、Nakata88さんのいう「賛同者」なるものは論文集に採録されている時点で、少なくともその編集者はかなり信頼できるものと保証しているわけです。そして反証研究が出ない限り、それは歴史事実として妥当であると一応みなされるわけです。
「一人説」などというわけのわからない、全く歴史学的でない概念は論じません。上で述べたことでわかると思います。
「つまり、『いちおう反証研究が出ない限り』という状況をありのままに書け」というわけのわからない主張については、それについてソースを示すことができるのか、と問えば済むと思います。
請求については、「本事件があったと考えた人間が崔吉城と独立にいたという理由に」つかえるだけで十分です。それを認めてくだされば、本事件が崔吉城一人の頭の中にあるものではないことだけはわかりますよね。「時間的には、むしろ崔吉城氏の論文が訴訟をするきっかけになったのではないですか?」については、私にはわからないので、知りたければ自分で調べてください。ただ、私には請求の年月日と論文の発表年月日をみると、明らかに請求が先にある気がしますが。--Kanbun 2011年1月20日 (木) 14:43 (UTC)[返信]
  • 残念ながら、「普通歴史学では、しかるべき学会誌や学会の編集する論文集に載った時点で、歴史学説を事実たりうるものとして認めていることになります。」というのはウィキペディアの立場ではありません。反証がなければ事実だとあつかうというのもウィキペディアの立場でもありません。信頼できる情報源#複数の情報源を確認するを読んでください。
  • わたしは歴史学徒ではありませんがある分野の研究者です。しかし、説が一人の場合は説が一人であることを意識するのは、学問的な分野では当然にある習慣だと思っていました。歴史学がもしそうなら非常に特殊な学問空間だと思います。
  • 以上より、論者が一人であることを明示することは必要だと考えます。
  • なお、Kanbunさんがおっしゃる歴史学の分野で一人説が強固に事実と扱われているという論証を見せてもらえませんか?ちょっと信じられませんね。
  • なお、Kanbunさんが歴史学の一分野の研究者であることは、この分野について発言力があることを全く意味しません。社会学や歴史学などの分野は高度に細分化されているため、その分野について本当に調べたものでなければ、他に資料がないなどという断言ができないことは研究者の端くれなら当然知っていることだからです。そうであるにもかかわらず、研究者などという立場を持ち出してきた時点で逆に、Kanbunさんが研究者であることがちょっと信じられない感じがします。Nakata88 2011年1月20日 (木) 14:49 (UTC)[返信]
私にはあなたの言っていることは正直さっぱりわかりません。ウィキペディアの信頼できる情報源とは情報源の信頼性を問題にしているのであって、それによって情報の信頼性を担保しようということです。つまり、ウィキペディアの「信頼できる情報」とは公刊された、なるべくなら学術的な資料に基づく情報ということになります。で、本事件情報のソースは学術的な論文集ですから、全く問題ありません。以上です。
「説が一人の場合は説が一人であることを意識するのは、学問的な分野では当然にある習慣だと思っていました。」これはすでに日本語ではないと思うのですが。意をくんでお答えすれば、そもそも説が一人にしか受け入れられていないということはどのように証明するのか。それがそもそもわかりません。「崔吉城の論文に~とある」と言えても、「~という事実は崔吉城による主張である(にすぎない)」というのはしかるべき証明が必要です。その意味で、Nakata88さんの編集行為はソースの裏付けがない、いい加減なものになります。
「なお、Kanbunさんがおっしゃる歴史学の分野で一人説が強固に事実と扱われているという論証を見せてもらえませんか?」について。「一人説」という言葉が意味不明なので、すでに日本語として意味をなしていない気もしますが、これについては、一般的に歴史学の論文が歴史学者個人によって出されていると言えば済むでしょう。
なお、私の発言能力なるものを疑うのであれば、私はそもそもNakata88さんの日本語能力なるものに懸念を持っていることをお伝えします。--Kanbun 2011年1月20日 (木) 15:01 (UTC)[返信]
  • 信頼できる情報源#複数の情報源を確認するで、「注意すべき論点 複数の独立した一次資料を使った二次資料がありますか? 」をよまれましたか?
  • 崔吉城以外に独立した情報源でそれを述べている事例がありますか?
  • 説が一人にしか受け入れられていないのではなく、そのような説を述べている人が一人であるということです。それは反証が可能でしょう。誰か述べてる人がいればあげればいいわけですから。
  • わたしが求めているのはその点です。つまり、同意する説あるいは、反証がない孤立した説であるということを記述からわかるようにするべきであると言うことです。
  • それは、信頼できる情報源#複数の情報源を確認するで、「注意すべき論点 複数の独立した一次資料を使った二次資料がありますか? 」で、求められていることでもあります。
  • 日本語能力、云々はばかばかしいから反論はしませんが、そもそも学問において畑違いであればその情報の欠如がどれだけ深刻であるかはやはり、意識せざるを得ないと思います。そのいみ畑が違えばで研究者と一般人は同じです。どれだけ言ってみたところでわからないものはわからないわけです。ぎゃくにいえばそこがわかっている人は多分研究者なんじゃないかと思えるわけですが、Kanbunさんはそこら辺の謙虚さが感じられないので疑いをもったわけです。調べてもいないのにわかるわけないじゃないですか。Nakata88 2011年1月20日 (木) 15:13 (UTC)[返信]
独立する複数の情報源としては、今回の場合、林えいだいと崔吉城、サハリンレポートの3つがあります。ただし、今回の場合相互に参照している可能性はあります。
そもそもこの事件が客観的事実か一人の説に過ぎないのかは、学術論文が一つであるということからは導き出せません。当たり前ですよね。(実際事件を事実として認識している人物は複数います。)
「反証がない孤立した説であるということを記述からわかるようにするべきである」というのは根拠がありません。ソースを示して論じてください。
「注意すべき論点 複数の独立した一次資料を使った二次資料がありますか? 」については、新たな資料が出ない限り何とも言えません。本文をよく見てください。この事件は事実であったとは記述されていません。あくまで、<ref>はどこに情報があるかを示しているのであり、本文はすべて崔吉城ほかの論文に「~という情報がある」という構造をとっており、そういう風に書かれているのです。
しかし、Nakata88さんが主張する、本事件の経過が崔吉城の主張だという記述を加えるためには、そのように論じる学術論文が必要です。
あと末尾の妄言については、Nakata88さん自らの身を顧みて謙虚さの意味を噛みしめてもらいたいと思います。--Kanbun 2011年1月20日 (木) 15:29 (UTC)[返信]
  • Kanbunさんは、「本文はすべて崔吉城ほかの論文に「~という情報がある」という構造をとっており、そういう風に書かれているのです。」とおっしゃてますが、その情報を削除されてますよ?だからわたしはそれをリバートしてるわけです。確認してください。
  • わたしは、「本事件の経過が崔吉城の主張だという記述を加える」などのことはしてませんが?そもそも経過を「報告」したのが崔吉城氏の論文だからそのように書かれるべきだと主張して、リバートしてるわけです。そもそも経過を崔吉城氏以外に報告した人間がいてそれが信頼できるならならなんの問題もないでしょう。経過が主張なのではなく、一次情報を評価して報告した人が崔吉城氏なわけです。一次情報の評価についてはそれを「信頼できる(かどうかはさておいて)」人(つまり名前出して行動してる人)を一応信頼するというのがウィキペディアのスタイルなのです。そこら辺理解してください。
  • Kanbunさんは、この事件の経過について崔吉城氏以外に報告した人がいるとおっしゃってるみたいですがいませんよね。また、一次ソースは信頼できる二次ソースつまり研究者の目をへて信頼できるのであって崔吉城氏さんがそれを満たすとしても一次情報の方は彼の目を経た情報として評価されるのです。
  • ここらへんは、アメリカの裁判の証拠法のあり方とよく似てる気がしますが、ウィキペディアはそういう立場をとってるわけです。それで一定成功してるわけですね。
  • とりあえず、一次情報と二次情報の違い、ウィキペディアはどうそれを評価しているかを信頼できる情報源をもう一回読んで確かめておいてください。Nakata88 2011年1月20日 (木) 15:40 (UTC)[返信]
私が削除したのは「崔吉城によれば、~とされている」というソースのない記述です。これは「崔吉城が~と主張している」ということになります。この場合、「崔吉城の論文によれば~である」ならば、実情に近くなりますが、そもそも事件を起こったと考えているのは崔吉城だけではないので、この記述は「偽」です。
「この事件の経過について崔吉城氏以外に報告した人」はいます。記事を見てください。参考文献を。
「また、一次ソースは信頼できる二次ソースつまり研究者の目をへて信頼できるのであって崔吉城氏さんがそれを満たすとしても一次情報の方は彼の目を経た情報として評価されるのです。」……だから信頼できる情報だということです。
「ここらへんは、アメリカの裁判の証拠法のあり方とよく似てる気がしますが、ウィキペディアはそういう立場をとってるわけです。それで一定成功してるわけですね。」……意味不明。感想ですか?そもそもどこがどうアメリカの裁判と似ているのか。ちゃんとソース使って発言してください。
「とりあえず、一次情報と二次情報の違い、ウィキペディアはどうそれを評価しているかを信頼できる情報源をもう一回読んで確かめておいてください。」……Nakata88さんにそのまま返したいです。--Kanbun 2011年1月20日 (木) 15:51 (UTC)[返信]
  • とりえあず、「崔吉城の論文によれば~である」というかたちでよいですから書き直してください。なお、この事件は少なくとも二つ以上の事件の総称であることは本文を見ればわかるわけですから、その一つ一つの事件経過について、論者が完全に一致しているというのでなければ、誰々が述べていると書くべきです。研究が不足している場合に、そうじゃなくみせるのは一種の大言壮語です。よろしくお願いします。
  • 「「崔吉城の論文によれば~である」ならば、実情実情に近くなりますが、そもそも事件を起こったと考えているのは崔吉城だけではないので、この記述は「偽」です。 」とかかれていますが、これは偽じゃないですよ。正です。独立事象でしょ。だいじょうぶなんでしょうか。なんかいろいろ心配です。Nakata88 2011年1月20日 (木) 15:58 (UTC)[返信]
事件経過については相違点を特記していない限り、参考文献の論者はすべて一致しています。なお、概要節を「崔吉城の論文によれば~である」とするのは事件を事実であると報告する書籍が複数あるので不適切であるということは前に述べました。
「これは偽じゃないですよ。正です。」云々は全く意味不明です。偽の反対は真です。っていうか、Nakata88さんは本当に研究者の端くれなんですか。私は本当にいろいろ心配しています。--Kanbun 2011年1月20日 (木) 16:04 (UTC)[返信]
  • 「事件経過については相違点を特記していない限り、論者はすべて一致しています。」とかかれていますが、これはソースが必要ですし、そう書くべきです。逆に言うと、ソースがない場合は、かけないと言うことです。
  • 偽の反対は真でしたか。なんかごちゃごちゃしてますね。すみません。しかし、Kanbunさんの書かれてる事柄は真でしょう。ちょっと本当に頭痛がしました。
  • どっちにしろ、ソースがすべて一致してるならそれは特筆事項ですしそう書くべきです。そうじゃないならそう書くべきです。たった二人しかソースがないわけですから簡単だと思います。逆に言うと二人しかいないのですから、論者1、論者2、論者1+2以外の記述は、排除するのが妥当だと思います。二人しか論者がいないというのは非常に弱いソースですからそれを明示するべきですし、それは可能だからです。Nakata88 2011年1月20日 (木) 16:16 (UTC)[返信]
私には「非常に弱いソース」というのはソースが弱いとか強いとかそういう概念がわからないです。ソースは信頼できるかどうかの二択であって、強いとか弱いとかっていうのはなんですか。どこからそういう話が?
「論者1、論者2、論者1+2以外の記述は、排除する」のなら、出典のない記述がまず排除されるべきと思いますが、要出典が貼られている部分はなぜ消さないのです?消し忘れですか?
つまり、端からNakata88さんは、ソースを問題にしているのではなくて、結局自分から見て、気に食わない記述を改変しようとしているようにしか私には思えません。--Kanbun 2011年1月20日 (木) 16:26 (UTC)[返信]
  • もちろん、出典のない記述はすべて排除が可能です。それはウィキペディアの原則です。信頼できる情報源などをよんでください。
  • この記事では情報源が二人しかいないケースですから、情報源を明示しない場合削除をしてしまうよりも、Kanbunさんが知っていると主張している論者の名前を書いてもらう方が妥当だと言うことです。
  • ウィキペディアでは原則、ソースがなければ削除なので、ソースがない記述は削除をした方がいいというならそうします。それがいいのですか?
  • 以上、まとめると、記述をするには、最低限、論者1のソースか論者2のソースがあげられている必要がある。両方ともないばあいは、削除するのがウィキペディアの原則である。
  • だれもソースがあげられていなければ、「論者1.2に共通した証言である」というルールはウィキペディアではありません。
  • つまり、Kanbunさんは、わたしが論者1の情報であることを明示する記述を残すことに反対しておられましたが、それはだれでも削除していい状態にあるということです。Kanbunさんがソースがあるというならそれは妥当でないとおもうので、きちんとそれを書いておいてくださいとお願いしてるわけです。
  • これは、ウィキペディアの記述では凄く当たり前の話です。Nakata88 2011年1月20日 (木) 16:30 (UTC)[返信]
ウィキペディアで出典を示す方法をご存知ですか?<ref>とか、参考文献について理解していますか?
「この記事では情報源が二人しかいないケースですから、情報源を明示しない場合削除をしてしまうよりも、Kanbunさんが知っていると主張している論者の名前を書いてもらう方が妥当だと言うことです。」……日本語勉強してください。「Kanbunさんが知っていると主張している論者」という箇所は意味不明。「参考文献」とかって意味わかってます?
「つまり、Kanbunさんは、わたしが論者1の情報であることを明示する記述を残すことに反対しておられましたが、それはだれでも削除していい状態にあるということです。」……日本語になってません。
まずは要出典箇所を削除してから、論じましょうか。--Kanbun 2011年1月20日 (木) 16:42 (UTC)[返信]
  • なんで要出典を削除するって話になるんでしょうか?意味わかりません。ソースが足りないことは十分に述べているはずですが?複数の事件について、それぞれ独立した一次ソースに当たった二次ソースが十分にあるといえると言うことなんですか?
  • そもそも全体の事実経過自体が、この事例では二人の論者以外言ってないわけですよね。そしたら、ここの事実経過についてすべて、具体的に誰がいってるかを明示してくれといってるわけです。Kanbunさんによれば、二人で言ってるのか一人でいってるのかの違いですよね。
  • 参考文献は参考にする文献ですよね。二次ソースとなる引用とは違いますよ?Nakata88 2011年1月20日 (木) 16:50 (UTC)[返信]
Nakata88:「論者1、論者2、論者1+2以外の記述は、排除する」→出典のない記事は当然削除。
この記事では事件の情報源は参考文献に記載されています。
「参考文献は参考にする文献ですよね。二次ソースとなる引用とは違いますよ?」……Nakata88さん。あなた、研究者じゃないでしょ。参考文献っていうのは参考にした文献のことです。だから、記事を検証したりより深い知識を得る場合に参考にするんでしょ。
「二次ソースとなる引用とは違いますよ?」……引用って意味わかってますか。研究者ならこんなあほな日本語使わないですよね。そうですよね???--Kanbun 2011年1月20日 (木) 16:56 (UTC)[返信]
  • Kanbunさん。ここはウィキペディアで話しているのはウィキペディアの記述ルールの話です。論文の記述様式の話ではありません。
  • ウィキペディアで記述を維持するためには、参考文献であげるだけでは不十分で、信頼できる二次ソースによる引用などが必要だという話です。すべての記述についてです。
  • Kanbunさんは、わたしがのこそうとした論者1の記述であることを明示する記述を、せっせと削除されたので、その場合、いつでも誰でも削除していいという状態になっているよといってるわけです。
  • Kanbunさんが、まだわからないようなので、ソースがない記述は削除という方向で一応次回から対処しますがよろしいですか?Nakata88 2011年1月20日 (木) 17:05 (UTC)[返信]
「ここはウィキペディアで話しているのはウィキペディアの記述ルールの話です。論文の記述様式の話ではありません。」……ウィキペディアで参考文献というのは基本的に出典情報を指します。Wikipedia:出典を明記する#記事末尾に参考文献を記載するを見てくださいね。
「信頼できる二次ソースによる引用などが必要」……まともなウィキペディアンはこんなことは言いません。引用のガイドラインで揉めていること知っていますか?
「わたしが論者1の記述であることを明示する記述を、せっせと削除されたので、その場合、いつでも誰でも削除していいという状態になっているよといってるわけです。」出典のある記述がどうして削除してもいい状態にあるのか、私には理解できかねます。
はっきり言うと、Nakata88さんの脳内にあるウィキペディアのルールで話をされても困るんですよ。方針文書を少しかじって都合の良いところだけ拾ってきて、都合よく解釈するのはいい加減やめてくれませんかね。あと人の発言消さないでください。--Kanbun 2011年1月20日 (木) 17:15 (UTC)[返信]
  • ここで言ってるのはそういう意味ではありません。各記事について、それぞれにどの部分が参照されているのかを明示しなければならないという要請です。
  • Kanbunさんは、二人の論者をあげておられるんですよね。そのどちらの、どの参考文献からの引用なのかを明示しなければならないという要請です。二人の論者が完全に一致することは無いわけですから当然必要になります。
  • それがない場合、「両方の論者が一致する」と読むルールはありません。したがって、もし一致してるならそう書いておいてください。よろしくお願いします。
  • なお、以上のように、ソースが明示されない場合、要引用から削除をする方向で、編集参加します。それが本来ですね。私が知らない分野ですから。
  • なお、なんか、編集競合の時、間違って削除してしまったみたいです。失礼しました。Nakata88 2011年1月20日 (木) 17:32 (UTC)[返信]

Nakata88 2011年1月20日 (木) 17:32 (UTC)[返信]

とりあえずNakata88さんの論理はわからないので、いろいろ編集を試してみてください。不適切なのはリバートしますから。--Kanbun 2011年1月20日 (木) 17:35 (UTC)[返信]
  • そんな訳のわからないことを言ってるつもりはないんですが。
  • 何も書かなければ、二人の論者が一致した見解だなんていう読み方は、ウィキペディアにはないということです。
  • これがわからないのはちょっとびっくりしますが、なんでわからないのかを理解するのは多分不可能なので、ふつうに要引用とかしていきます。よろしく。Nakata88 2011年1月20日 (木) 17:39 (UTC)[返信]

こちらの編集を拝見しました。これでは意見が事実になってしまっています。方針違反です。誰がそのように主張しているのかをはっきりと提示して記載してください。--211.133.61.77 2011年1月21日 (金) 17:06 (UTC)[返信]

本事件が一個人の意見ではないことは本ノートですでに証明されております。崔吉城氏の意見に過ぎないと言いたいのであれば、検証可能な文献を示して論じて下さい。--Kanbun 2011年1月22日 (土) 13:33 (UTC)[返信]
  • Kanbunさん。反証なきかぎり事実と扱うのはウィキペディアの立場ではありません。ウィキペディアはあらゆる物事がひとつの主張として処理されます。これ以上、特殊な主張をコミュニティに押し付けられないようにお願いします。Nakata88 2011年1月23日 (日) 06:18 (UTC)[返信]
>反証なきかぎり事実と扱うのはウィキペディアの立場ではありません。
つまり、すでに反証をあきらめたということですか。
>ウィキペディアはあらゆる物事がひとつの主張として処理されます。
これはすでに内容が理解不能です。--Kanbun 2011年1月23日 (日) 14:55 (UTC)[返信]
  • Kanbunさん。ウィキペディアは独自研究を書くところではありません。Kanbunさんが実名で何らかの研究をこれについて発表されても、即時にここで書くこともできなければ、Kanbunさんの研究を書くこともできません。反証をあきらめたのではなく、そのままを書くということです。反証があるならかく、ないならないで書かない。一人しか主張してないならそれがわかるようにかく、そういうことです。Nakata88 2011年1月23日 (日) 17:56 (UTC)[返信]
複数の文献で言及されており、インターネット上にも情報があり、賠償請求もなされており、ソ連による裁判記録もある。そういったことを一切無視して「一人しか主張していない」という主張を無根拠に繰り返すNakata88さんの独自研究を私は問題にしているのです。何らかの検証可能なソースを示していただかない限り、あなたの独自研究を記事に載せるわけにはいきません。--Kanbun 2011年1月23日 (日) 18:23 (UTC)[返信]
  • 複数の研究者が同一の事象についてかたっているならそれを書けばいいのです。また、ソ連による裁判記録は一次資料であって二次資料ではありません。二次資料と一次資料の区別をつけるようにしてください。Kanbunさんはウィキペディアの記述スタイルについての理解が不足しています。Nakata88 2011年1月24日 (月) 05:21 (UTC)[返信]
ウィキペディアは一次資料のみで記述するのを禁止しているのであって、二次資料によって一次資料を示すことは問題ありません。要は一次資料を勝手に解釈するなということです。こんな基本的なこともNakata88さんはご存じないのですか。ご自分の主張の根拠となる検証可能なソースを示して議論をしていただかない限り、Nakata88さんの編集行為を認めるわけにはいきません。--Kanbun 2011年1月24日 (月) 08:28 (UTC)[返信]
  • もちろん、一次資料を二次資料が参照している場合に、それを書くのは問題ありません。しかし、ソースの数は二次資料の数でカウントされるのであって、一次資料の数ではありません。Kanbunさんはウィキペディアの編集スタイルに対する理解が少し不足していると思います。あくまでも、二次資料の数なのです。その意味で、樺太朝鮮人虐殺事件については二次資料が不足しており、その状態にあることを記事中に明示することは、ウィキペディアの編集スタイルの要請です。信頼できる情報源などをお読みください。Nakata88 2011年1月24日 (月) 11:28 (UTC)[返信]
それで、樺太朝鮮人虐殺事件が崔吉城らの主張に過ぎないというあなたの意見について、いつになったら検証可能な文献を示して議論して下さるのでしょう?--Kanbun 2011年1月24日 (月) 13:27 (UTC)[返信]
  • Kanbunさんは、まだ、ウィキペディアの記述スタイルがわかっておられません。必要なのは各記事について、どのような二次ソースがあるのかがわかることです。この場合、二人しか、述べていないため、現在のところソースは二人とみなされます。それに基づいて記述するなら、だれがどれを述べているのかを明示する必要があります。それがソースの多寡をそのまま示すという意味です。
  • わたしは、「樺太朝鮮人虐殺事件が崔吉城らの主張に過ぎない」などとまったくいっていません。
  • いっているのは、「この事件の研究者は二人であり、そのソースはこれこれであり、そのソースに基づいてこれらのことが言える」ということです。これが研究者が3人になり100人になり常識になったらそれは記述の仕方が違ってくるでしょう。
  • 現状を「ありのままに」書くことを理解してください。Nakata88 2011年1月24日 (月) 14:57 (UTC)[返信]


Kanbun氏へ。意見を事実のように書かないでください。「一個人の意見ではないことは本ノートですでに証明されております」とのことですが、どこでしょう?どこでこの事件の説明が「事実」であると確定したのでしょう?まさか2名の者の意見と裁判から「事実」としたのではないでしょうね?誰がそのように主張したのか曖昧にせず、はっきりと記載してください。ウィキペディアはこのような意味での事実だけを記述することに捧げられています。意見を述べたいような時には、その意見を誰かの意見として提示することで事実の記述に変えます。wikipedia:中立的な観点#この方針の言い換え:事実、様々な意見に関する事実も含めた事実を書け――だが意見は書くな)をしっかりお読みください。「意見」でなく記載内容が「事実」だとするなら、その確かな出典・根拠を求めます。それが出来ない限り保護解除後に戻させていただきます。--218.217.129.228 2011年1月24日 (月) 16:34 (UTC)[返信]
樺太朝鮮人虐殺事件は事実であり、意見ではありません。意見であるとする検証可能な文献を示して論じて下さい。--Kanbun 2011年1月24日 (月) 22:42 (UTC)[返信]
ヨークお読みください。ウィキペディアはこのような意味での事実だけを記述することに捧げられています。意見を述べたいような時には、その意見を誰かの意見として提示することで事実の記述に変えます。wikipedia:中立的な観点#この方針の言い換え:事実、様々な意見に関する事実も含めた事実を書け――だが意見は書くな)。現在出ている出典から、林やら崔吉城の論しかないのが実情であり、それは彼らの意見として書くことで「事実」にできます。まさかこれらの研究者の意見で内容が事実に確定するなんて主張はしないですよね?意見であるとする根拠はWIKIPEDIAの方針です。現状では林やら崔吉城の論しかないですからね。学会だろうがなんだろうが意見は意見です。学会が事実を提供するものではありません。「事実であり、意見ではありません」とする根拠を聞いています。ご提示ください。どこでこの事件の内容が事実になったのかの根拠をお待ちしています。--218.217.129.228 2011年1月24日 (月) 23:38 (UTC)[返信]
この事件が崔吉城氏の意見に過ぎないという反証研究が検証可能な文献で示されるのなら、わかります。現状ではそのようなものは示されていませんから、崔吉城らの意見であるとする記述は事実に反します。wikipedia:中立的な観点#この方針の言い換え:事実、様々な意見に関する事実も含めた事実を書け――だが意見は書くなについては、樺太朝鮮人虐殺事件否定説があるならいざ知らず、これを否定する検証可能な文献がない以上、この場合全く関係ありません。--Kanbun 2011年1月25日 (火) 00:33 (UTC)[返信]

(インデント戻す)「崔吉城氏の意見に過ぎないのではないとするならばその出典を求めます。現在では崔吉城と林なる人物の論しかありません。--218.217.129.228 2011年1月25日 (火) 00:35 (UTC)[返信]