コンテンツにスキップ

マーク・ヴィドゥカ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。221.191.237.138 (会話) による 2011年3月4日 (金) 22:37個人設定で未設定ならUTC)時点の版であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

マーク・ヴィドゥカ
名前
本名 Mark Anthony Viduka
カタカナ マーク・アンソニー・ヴィドゥカ
基本情報
国籍 オーストラリアの旗 オーストラリア
生年月日 (1975-10-09) 1975年10月9日(48歳)
出身地 オーストラリアの旗メルボルン
身長 188cm
体重 91kg
選手情報
在籍チーム 無所属
ポジション FW
利き足 右足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1992-1995
1995-1998
1998-2000
2000-2004
2004-2007
2007-2009
メルボルン・ナイツ
ディナモ・ザグレブ
セルティック
リーズ・ユナイテッド
ミドルズブラ
ニューカッスル・ユナイテッド
49 (40)
84 (40)
37 (30)
130 (59)
72 (26)
38 0(7)
代表歴2
1993-1995
1994-1996
1994-2009
オーストラリアの旗 オーストラリア U-20
オーストラリアの旗 オーストラリア U-23
オーストラリアの旗 オーストラリア
20 (32)
18 (17)
43 (11)
1. 国内リーグ戦に限る。2009年8月14日現在。
2. 2009年8月14日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

マーク・アンソニー・ヴィドゥカ(Mark Anthony Viduka, 1975年10月9日 - )は、オーストラリアメルボルン出身の同国代表サッカー選手。ポジションはFW。現在は無所属である。クロアチアとウクライナにルーツを持つ。

略歴

オーストラリア代表でのヴィドゥカ

1994年、地元のクラブチームであるメルボルン・ナイツに入団。翌年には父親の故郷・クロアチアクロアチア・ザグレブへと移籍。1996-1997シーズンには18得点を挙げる活躍を見せた。

1999年にはセルティックFCへ移籍したが、そのシーズンには25得点をマークし、スコットランドリーグの最優秀選手に選ばれた。2000年にはリーズ・ユナイテッドFCへ移籍。同年のオセアニア年間最優秀選手に選ばれた。

2004-2005シーズンからはリーズが2部降格したのに伴い、ミドルズブラFCへ移籍した。

2006年、名将フース・ヒディンクに率いられオーストラリア代表としてドイツW杯に出場。グループリーグ3試合と決勝トーナメント1試合の全4試合に先発フル出場したものの、長期の怪我明けだったため試合勘が戻らないままノーゴールに終わった。

2007年6月7日、ミドルズブラのライバルであるニューカッスル・ユナイテッドFCに移籍した。2年契約で移籍金は発生しない。新監督に就任したサム・アラーダイスが獲得した最初の選手だった。8月11日のボルトン・ワンダラーズFC戦でプレミアリーグデビューし、8月26日の古巣ミドルズブラFC戦で初得点を決めた。9月23日、ウェストハム・ユナイテッドFC戦では2ゴールを決めた。12月23日、ダービー・カウンティFC戦で再び2ゴールを挙げた。怪我による離脱の後、新監督に就任したケビン・キーガンが採用した4-3-3システムでオバフェミ・マルティンスマイケル・オーウェンとトリオを組み、その新システムのおかげで降格を逃れた。最終節を前にしてアキレス腱を負傷し、半年もの離脱を強いられたが、2008年11月29日のミドルズブラ戦でオバフェミ・マルティンスとの途中交代で復帰し、怪我によりヴィドゥカのキャリアが終わることを心配していたジョー・キニアー新監督を安心させた。12月下旬には鼠径部の負傷で再びピッチを離れたが、ビドゥカは現役でプレーすることを強く望んだ。復帰後、フラムFC戦でシーズン唯一の得点を決めたかに思えたが、主審のハワード・ウェブケヴィン・ノーランが相手GKのマーク・シュワルツァーを妨害したとしてヴィドゥカの得点を認めなかった。2008-09シーズンは18位となり、2部リーグ降格が決定した。

契約が切れた彼はオーストラリアに戻り、Aリーグで所属先を探したが、2009-10シーズンは無所属で開幕を迎えた。

プレースタイル

巨体を生かした強靭なフィジカルを持つとともに繊細なテクニックを持ち合わせている。得点を挙げるのは勿論の事、ポストプレーも無難にこなす万能FW。1999年から5年連続で2桁得点をするなどとても得点感覚に優れている。2004年からは怪我などによる不調が続いたが2006-2007シーズンには19ゴール(リーグ戦14ゴール、カップ戦5ゴール)をマークした。