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康勝

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康勝(こうしょう、生没年不詳)は、鎌倉時代仏師運慶の四男。湛慶は兄。慶派

建久8 - 9年(1197 - 1198年)、東寺南大門の金剛力士(仁王)像(現存せず)の造立に運慶らとともに携わったのが、史料上の初見である。運慶が一門の仏師を率いて建暦2年(1212年)に完成させた興福寺北円堂復興造仏にあたっては、四天王のうちの多聞天像を担当しているが、この四天王像は現在、所在不明である(現在、興福寺北円堂に安置する四天王像は全く時代の違う平安時代初期のもの)。

現存する康勝の作品としては、日本の肖像彫刻として屈指の著名作である空也上人像(六波羅蜜寺蔵)、後世の弘法大師像の規範となった東寺御影堂の弘法大師(空海)像などがある。

東大寺念仏堂の地蔵菩薩坐像(康清作)の銘記から、この像が造られた嘉禎3年(1237年)より以前に康勝が没していることが知られる。

作品

六波羅蜜寺 空也上人像
  • 東寺御影堂 弘法大師坐像(国宝) - 天福元年(1233年
  • 六波羅蜜寺 空也上人立像(重要文化財) - 制作年不明。口から6体の阿弥陀仏の小像を吐き出している特異な姿の像。6体の阿弥陀仏は「南無阿弥陀仏」の6字が仏と化したことを意味する。
  • 法隆寺金堂西の間 阿弥陀三尊像(銅造、重要文化財) - 貞永元年(1232年)。当初安置されていた阿弥陀三尊像が盗難にあった後、飛鳥様式を模して造られた像。両脇侍のうち勢至菩薩像は明治時代初期に寺から流出して、パリのギメ美術館の所蔵となっている。
推定作

外部リンク