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名鉄キハ8500系気動車

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名鉄キハ8500系
特急「北アルプス」

名鉄キハ8500系気動車(めいてつキハ8500けいきどうしゃ)は、名古屋鉄道(名鉄)がJR高山本線直通特急「北アルプス」用に導入した気動車である。名鉄での用途廃止から会津鉄道に譲渡され、以降会津鉄道キハ8500系気動車(あいづてつどうキハ8500けいきどうしゃ)となっている。

沿革

名鉄時代

名鉄時代のキハ8500系

1991年(平成3年)3月16日、名鉄が乗り入れていた東海旅客鉄道(JR東海)高山本線で運行していたエル特急ひだ」に使用されているキハ85系との車両格差を是正することと、当時運行していた特急北アルプス」で従来から使用していたキハ8000系が老朽化し走行性能も大幅に劣るため、キハ85系と性能を揃えて製造された車両である。また、特急「北アルプス」の間合い運用で、名鉄線内(名古屋本線常滑線)の特急としても使用されていた。

また、同時に行われたJRのダイヤ改正では春秋の多客期を中心に「ひだ」の臨時列車を併結するダイヤが設定され、閑散期は「北アルプス」の単独運行が行われていたが、「北アルプス」自体の利用者の減少に伴い1999年12月4日のJR東海のダイヤ改正より、常時定期列車に併結されるダイヤとなった。

名鉄では「北アルプス」を最上級の列車として扱い、この列車に限っては回数券定期券など、多少でも割引された乗車券類は使用(乗車)できなかった。詳細については「名鉄特急」にある記事も参照。

会津鉄道への移籍および経過

会津鉄道移籍後のキハ8500系

名鉄は、2001年(平成13年)9月30日をもって、利用客の減少ならびに特急「ひだ」や高速バス等の代替交通機関があることなどを理由として特急「北アルプス」の運行を廃止した[1]。そのためキハ8500系は使用目的がなくなり、しばらくは須ヶ口駅に隣接する新川検車区に留置されていたが、製造から約10年と比較的新しいこともあって、同年12月に会津鉄道が購入することになり、12月22日から24日にかけて会津鉄道へ甲種輸送された。会津鉄道への移籍に伴う大きな改造は行われておらず、名鉄の伝統である大窓や折り戸ドア、塗装や外観・内装、名鉄独特の書体による車両番号や警笛など名鉄時代からほとんど変わっていない。塗装に関しては、当初は塗り替える予定だったが「北アルプス号の塗装のままにしてほしい」という要望が名鉄沿線住民からかなり寄せられた[2]ため塗り替えを取りやめている。

一般公募で決まった「AIZUマウントエクスプレス」の愛称を与え、2002年(平成14年)3月23日から同社会津線浅草駅発着の東武直通急行南会津」と連絡する会津若松駅 - 会津田島駅間の快速列車に充当される。名鉄時代と異なり、ミューチケットのような特別車両券、特別急行券を一切必要としない。

なお、「AIZUマウントエクスプレス」は会津鉄道でのキハ8500系の愛称(列車名ではない)であるため、会津田島駅 - 会津高原尾瀬口駅(旧・会津高原駅)間の普通列車としても使用される。また、2003年(平成15年)10月1日より東日本旅客鉄道(JR東日本)磐越西線喜多方駅まで乗り入れを開始した。そのため、名鉄では本来の用途であった私鉄⇔JR線の直通運転は会津鉄道への移籍後も継続している[3]

2005年(平成17年)3月1日より、急行南会津」が廃止になったことにより、野岩鉄道会津鬼怒川線を経由して東武鬼怒川線鬼怒川温泉駅まで乗り入れを行い、浅草駅発着の特急「きぬ」及び新宿駅発着のJR直通特急「(スペーシア)きぬがわ」に接続する快速列車に使用されている。

元々は高速運転することを前提に設計・製造された車両のため、短距離での加速・減速を繰り返す「AIZUマウントエクスプレス」としての運用は本来のエンジンの特性に合わず、結果として老朽化を早めてしまった。そのため「AIZUマウントエクスプレス」には後継車両を導入することになり、2010年(平成22年)5月30日をもって営業運転を終了[4]、後継車両としてAT-700形・AT-750形が導入された。

2010年12月現在、1編成が会津田島駅の車両基地内に、もう1編成が会津下郷駅の側線に留置されており、これら車体の売却先を募集している[5]。2011年3月26・27日に会津田島駅構内でさよなら運転のイベントを開催する予定であったが、地震の影響で中止になった。

車両の概要

1991年に、貫通形先頭車4両 (8501 - 8504) と中間車1両 (8555) の5両が日本車輌製造にて製造された。「ひだ」で運用されるキハ85系の最高速度120km/hと同等の走行性能を有するために、アメリカカミンズ社製のエンジン「NTA855-R1」を搭載している。しかし、名鉄の車両限界がJRのそれより小さいことから、車体断面はキハ85系の幅を狭めた形で、車両側面は名鉄の1000系「パノラマsuper」と同形状の大型窓(天地寸法は1000系より85mm大きい985mm)とし、床面は座席部分だけ嵩上げされたキハ85系に対して全体の高さを1300mmと高く取ることで側窓框高さを座席肘掛け高さに合わせ、下方の視野をよくしている。キハ85系と同等のドア位置を保つため、車端部分に2箇所片開き折り戸ドアを有している。また、8501と8502はキハ85系との併結に対応するため、運転台側の貫通路の高さと連結器の長さをキハ85系に合わせている。客室は1000系よりも大型のリクライニングシートを備え、天井は間接照明としている。長さの最大寸法はキハ8500形が21.415m、キハ8550形が21.53mで、名鉄では歴代最長の車両であった。車体幅は狭いとはいえ、キハ8000系と異なり2,740mmと名鉄の限界ほぼ一杯に取っていた[6]車内放送のチャイムはJR東海キハ85系と同一品が設置されている。名鉄時代は「北アルプス」として運行するときに使っていた[7]。会津鉄道に移籍してからも時々使用されることがある。キハ8000系で搭載されていたミュージックホーンは搭載されていない。

会津鉄道では2両編成2本として使用し、中間車の1両 (8555) は使われずに会津下郷駅に留置されていたが、喜多方乗り入れに伴い、多客時には増結車として使用されるようになった。

その後8555は2007年(平成19年)3月31日付けで廃車された[8]。長らく解体はされず、部品取り用として会津田島駅構内に留置されたままとなっていたが2010年1月に解体された。それ以外の4両も2010年5月末をもって営業運転を終了した。

脚注

  1. ^ その代替として名古屋 - 高山間の高速バス「ひだ高山号」を1本増発した。
  2. ^ 譲渡当時の『中日新聞』記事より。
  3. ^ 厳密に言えば、会津鉄道の会津若松駅発着列車は会津若松駅 - 西若松駅間でJR東日本只見線に乗り入れているため、2002年の会津鉄道運用開始当初からJR線へ乗り入れている。
  4. ^ 池口英司「会津鉄道AIZUマウントエクスプレスへの賛歌 〜キハ8500系引退に寄せて〜」 『鉄道ファン』2010年4月号(通巻588号)、交友社、pp102-105
  5. ^ [1] 「会津鉄道キハ8500系「AIZUマウントエクスプレス号」 4両 お譲りします。」会津鉄道HP
  6. ^ キハ8000系とは逆にオーバーハングを長くして車端を絞り、台車間を短く取ることによって可能となった。
  7. ^ 間合い運用で特急に使用された際も、始発駅出発直後にチャイムを流していたことがある。
  8. ^ 鉄道ジャーナル』2007年11月号による。

外部リンク

関連項目