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織田信清 (戦国武将)

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織田 信清
時代 戦国時代
生誕 不詳
死没 不詳
改名 十郎左衛門、犬山鉄斎
官位 下野守
犬山城
氏族 織田氏
父母 父:織田信康
犬山殿織田信長妹)
津田信益、娘(藤堂高刑室、高虎養女)
特記
事項
織田信長の従兄弟
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織田 信清(おだ のぶきよ、生没年不詳)は戦国時代武将。通称は十郎左衛門、下野守。号は鉄斎。津田鉄斎犬山鉄斎と称した。津田姓も名乗った。犬山城主


来歴

父信康が「織田伊勢守家」当主の織田信安の後見人となっていたことから、その配下となっていたが、織田信秀死亡後は、犬山城で独自の勢力を保ち、信長の領地を押領して疎遠となったが、信長より妹を貰い受けると、弟の広良同様仕える身になった。永禄元年(1558年7月12日浮野の戦い岩倉城攻略で信長を支援。だが国外に追い出した織田信賢の旧領地の分与を巡って信長といさかいを起こし、永禄5年(1562年)反旗を翻し、楽田城を攻め取る。だが信清の支城は信長軍によって次々と落城し、永禄7年(1564年5月には居城の犬山城も陥落。遂に信清は逃亡した。甲斐へと逃げ込み武田氏の元で犬山鉄斎と称した。

脚注

参考文献

登場作品

関連項目

外部リンク