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波切神社 (志摩市)

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波切神社
波切神社
所在地 三重県志摩市
大王町波切1番地
位置 北緯34度16分43秒 東経136度53分59秒 / 北緯34.27861度 東経136.89972度 / 34.27861; 136.89972
主祭神 国狭槌神ほか17柱
社格 郷社
創建 明治5年(1872年)
本殿の様式 神明造
鉄筋コンクリート造
例祭 -
主な神事 わらじ祭
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波切神社(なきりじんじゃ)は、三重県志摩市にある神社

概要

所在地は志摩市大王町波切1番地。神紋花菱。境内敷地面積は4,505m²である[1]

毎年9月の「わらじ祭」は大きなわらじを舞台で曳いた後に浜から流す祭りで、「波切のわらじ曵き」として三重県の無形文化財[2]に指定されている。沖に浮かぶ大王島にいたダンダラボーシの悪行に困り、村人あるいは韋夜神が知恵を絞り「村にも大男がいるぞ」と大きなわらじなどを作ったところ、それを見たダンダラボーシが驚いて逃げ去ったという伝承に由来するとされる。

所管社

西参道口近くに恵比寿を祀る蛭子神の祠がある。

歴史

この神社の由緒は不詳である。

正徳3年(1713年)の『志陽略誌』では、八皇子社・八幡宮・熊野権現・荒見天神・翁明神・道祖神等とされた。現在社殿がある場所には、以前春日四社の祠が4つあり四宮と呼ばれた。明治5年(1872年)に郷社となるとともに、現社名の波切神社に改称された。明治40年(1907年)、無格社4社、韋夜社(葦夜権現)など13社を合祀した[3]

祭神

韋夜(いや)神[4]は波切の産土神とされる[5]熊野を「いや・ゆや」とも読むが、大王町文化財調査委員を務めた地元大慈寺の住職であった秀森典嶺は、波切には別に熊野社が祀られていたことから熊野とは無関係と断定し、出雲揖夜神社とも音韻が似ている以上の関係はなく、大王崎沖の岩礁大王島の古名「イヤが島」に起源を求めた[6]。三重県を中心に民俗調査を行なった堀田吉雄は、志摩では「イヤ」は親(オヤ)に通じると指摘した[7]

祭事

わらじ祭
  • わらじ祭:以前は旧暦8月の申の日(申の日が2つあれば前者、3つあれば2つ目)であったが、現在は新暦9月に変更され、大王ふれあい祭の開催日にわらじを流すようになっている。
  • 大祭

社殿

台風の被害が大きい場所であるため、昭和49年(1974年)5月2日に鉄筋コンクリート造(106.43m²)の拝殿を持つ鉄筋コンクリート神明造の社殿(9.11m²)へ遷宮された。それ以前は木造の社殿であった。

交通

  • 最寄駅:近鉄志摩線鵜方駅から約10km。
  • 最寄バス停:大王崎灯台バス停下車徒歩2分。鵜方駅より御座港行または越賀中学校前行バス約18分。
  • 一般国道:国道260号大王崎入口交差点を南東方向に約2km。
  • 駐車場:付近に民間の有料駐車場がある。

関連項目

参考資料

  • 『大王町史』(平成6年8月1日発行、編集:大王町史編さん委員会、発行:大王町)
  • 『波切の神祭り』(昭和53年6月1日初版、平成3年3月1日再版、秀森典嶺著、大王町教育委員会発行)
  • 『三重県神社誌』(平成5年10月10日発行、編集・発行:三重県神社庁)295ページ
  • 『日本の神々 第6巻 伊勢・志摩・伊賀・紀伊≪新装復刊≫』(2000年7月5日発行、編者:谷川健一、発行:白水社)
  • 『大王町再発見』(2008年3月志摩市観光協会大王支部内大王ガイドボランティア発行)
  • 『海の神信仰の研究 上』(堀田吉雄著、1978年光書房発行)

脚註

  1. ^ 『三重県神社誌』
  2. ^ 『大王町史』817ページ
  3. ^ 『大王町史』887-888ページ
  4. ^ 『大王町史』887・889ページでは「韋夜神」、『大王町史』815・817ページ、『波切の神祭り』8ページ。『大王町再発見』57・77ページでは「葦夜権現」、仙遊寺に伝わる『仙遊寺文書』では「葦夜叉神」(『大王町史』816ページ)、『三重県神社誌』では「葺夜神」および「韋夜神」と表記されている
  5. ^ 『波切の神祭り』20ページ
  6. ^ 『波切の神祭り』8ページ
  7. ^ 『海の神信仰の研究 上』53ページ

外部リンク