本保県
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本保県(ほんぼけん)は、1868年(慶応4年)に越前国内の幕府領・旗本領を管轄するために明治政府によって設置された県。管轄地域は現在の福井県嶺北および敦賀市に分布している。
概要
越前国には福井藩とその支藩や幕府領、旗本領、国外の大名の領地もあり、多数の領主によって分割統治される状態が明治まで続いた。幕府領・旗本領は頻繁に管轄が変更され、複雑な統治形態であったが、幕末には本保代官所、福井藩預所、飛騨郡代に集約された。幕末の本保代官所は飛騨郡代の管轄下にあった。
1870年(明治3年)、明治政府は本保陣屋に本保県を設置した。
1871年(明治4年)、廃藩置県後の第1次府県統合に伴い越前国内の5県が福井県に統合されたことにより廃止された。
沿革
- 1868年(慶応4年)2月3日 - 福井藩が越前国内の代官支配地取締を命じられる。
- 1870年(明治3年)12月22日 - 明治政府が本保代官所が置かれた越前国丹生郡本保村(現在の福井県武生市本保町18)にあった本保陣屋に本保県を設置。
- 1871年(明治4年)11月20日 - 第1次府県統合により越前国の5県が合併して福井県が成立。同日本保県廃止。
管轄範囲
「旧高旧領取調帳」では太字部分の福井藩が足羽県と記載されている。また、幕府領については福井藩預所、福井藩支配所、本保預所、本保支配所、飛騨郡代支配所など様々な記載が見られるが、前2者を福井藩預所、後3者を飛騨郡代の管轄(本保代官所も管轄)と比定した。
歴代知事
- 1870年(明治3年)12月22日 - 1871年(明治4年)1月14日 : 不在
- 1871年(明治4年)1月14日 - 1871年(明治4年)3月2日 : 権知事・小原忠寛(前大垣県大参事、元大垣藩士)
- 1871年(明治4年)3月2日 - 1871年(明治4年)11月20日 : 不在
関連項目
先代 福井藩預所、飛騨郡代 (越前国内の幕府領・旗本領) |
行政区の変遷 1870年 - 1871年 |
次代 福井県(第2次) |