伏羲
伏羲(ふっき・ふくぎ、- Fu HsiまたはFu Xi、紀元前3350年~紀元前3040年)は古代中国神話に登場する神または伝説上の帝王。宓羲・包犠・庖犠・伏戯などとも書かれる。伏義、伏儀という表記も使われる。三皇の一人に挙げられる事が多い。姓は鳳(凤)姓。兄妹または夫婦と目される女媧と同様に、蛇身人首の姿で描かれる。なお、中国語のFuxiの発音は、「富士」に当てる発音と同じである。
『易経』繋辞下伝に天地の理(ことわり)を理解して八卦を画き、結縄の政に代え、蜘蛛の巣に倣って魚網を発明したとされる。現在、房総半島の九十九里浜に、有結網として10種類の結び方やその連ね方の伝承が遺る。漢字が黄帝の史官蒼頡によって開発される以前の文字に関する重要な発明とされる。また漢代に班固が編纂した「白虎通義」によると、家畜飼育・調理法・漁撈法・狩り・鉄製を含む武器の製造を開発し、婚姻の制度を定めたとある。
洪水神話
中国古典論者の聞一多が雲南省を中心に説話を採集した。それによると、伏羲と女媧の父がかつて自身が閉じ込め、自分の子供たちによって解放された雷公と戦ったが、雷公が洪水を起こして攻めたために二人を残して人類が滅亡してしまう。兄妹は雷公を助けた時に彼からもらった種を植えて、そこから生った巨大な瓢箪の中に避難して助かり、結婚して人類を伝えたとある。聞一多は、伏羲が時に庖羲とも書かれる点に注目し、伏羲とは方舟を指しており、女媧がこれに乗って洪水の難を逃れたのではと推論している。
祭祀
伏羲は女媧と同じく中国少数民族の苗族が信奉した神と推測されており、洪水神話は天災によって氏族の数が極端に減少してしまった出来事が神話に反映したと言われている。
伏羲と日本との関係
現代中国の人文学会では、アイヌを伏羲の一部族とする説が有力視されている。また、富士は、伏羲の音から字が当てられたとする説を、長春理工大学の宮玉海教授が説いていることも知られている[1] 。
脚注
- ^ 長春理工大学宮玉海教授http://gongyuhai.spaces.live.com/