東映アニメーション研究所
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東映アニメーション研究所(とうえいアニメーションけんきゅうじょ)は、東映アニメーション株式会社によって1995年に設置された人材育成機関。学校法人ではなく、制作現場が求める人材を業界最大手の制作会社が自ら育成するものである。
概要・沿革
原点は、東映動画内の勉強会・養成所にある。そもそも日本初のカラー長編アニメーション映画『白蛇伝』を制作するにあたって、日本ではアニメーション制作を学ぶ教育機関は存在していなかったため、広く人材を募集し、制作現場でOJTによって育成を行っていた。
1990年代に入り、マルチメディアやコンピュータグラフィックスが広まり始め、ディズニーがフル3Dアニメーションによる劇場用映画『トイストーリー』の制作を行い、また、環境問題や経済的不合理性からセルの製造中止が発表されたり、アニメ制作技術が抜本的に変わらざるをえない兆しを見せていた。加えて、70〜80年代のアニメ制作を支えた人材の多くが一斉に定年を迎え始めていた。70年代中盤以降、アニメの制作工程の多くは海外の下請けに回され、若手の採用は控えられていたため、制作現場はいびつな年齢構成となっており、技術・ノウハウの継承が危ぶまれた。にもかかわらず、当時のアニメ教育機関は制作技術の変革に備えることもなく、現場で要求する即戦力にはほど遠いレベルの教育を行っていた。こうした情勢は、アメリカにおいてディズニーがカルアーツ(カリフォルニア芸術大学)を通じて組織的・継続的に高度な人材育成を行っていたのとあまりに大きな差であった。
そんな時、社長に就任した泊懋はこうした状況に危機感を覚え、次世代の制作現場の即戦力となる人材を育成するために、1995年4月、東映アニメーション研究所を東京お茶の水・神田駿河台に設立した。Lightwave3DやMayaを使った3DCG、RETAS! Proを使ったデジタル彩色、Avidを使ったノンリニア編集、液晶タブレットを使ったデジタル作画など制作現場の変化を先取りした、当時としては画期的なカリキュラムによる人材育成を行った。
以来、東映アニメーションはもとより国内の主要アニメ制作スタジオ・プロダクション、また、コミックス、ゲーム、実写、特撮、声優、俳優などの各分野に対して、1000人あまりの卒業生を輩出した。
2000年代に入り、日本のコンテンツ産業への注目が高まり、アニメ教育機関が乱立する事態となった。東映アニメーション研究所はそうした他のアニメ教育機関と差別化し、より高度な人材を育成するため、2006年4月、東京練馬・東大泉の東映アニメーション大泉スタジオの一角に移転した。
クリエーターを講師として、少人数制で制作実習が行われる。研究生の一部は技能五輪でメダルを受賞している。作品は東京国際アニメフェアや練馬アニメーションフェスティバルなどで賞を受けている。こうした教育内容は「オープンスクール」と称して年に一度、周辺住民や学生などを対象として施設を解放し公開されている。近年は日本を代表するアニメーション人材育成機関として、国際的な注目も高まり、アメリカ、フランス、中国、韓国、フィリピン、タイなど海外の教育機関が視察に訪れるまでになっている。
※2009年6月29日に、2010年度の生徒募集を行わない旨が公式ホームページ上に掲載された。
歴代所長
- 泊懋
- 山口康男
- 小林一喜
- 松本昭雄
- 大山秀徳
- 吉岡修
- 有迫俊彦(現在)
設置学科
2009年現在
- ディレクター専攻
- アニメーター専攻
- 美術デザイナー専攻
一括で募集し、1年後期から専攻毎に分かれる。入所に際しては、試験が課せられる。
かつて設置されていた学科・専攻
(主なもの)
- 声優科・声優タレント研究科
- コミックアート学科
- ゲーム学科
- デジタル映像研究科
講師
閉校時
- 青山充
- 明田川進
- 明比正行
- 飯島由樹子
- 井手武生
- 伊藤尚往
- 上田芳裕
- 上野ケン
- 遠藤勇二
- 葛西治
- 門由利子
- 門田英彦
- 川田武範
- 湖川友謙
- 小田部羊一
- 小松こずえ
- 小和田良博
- 芝田浩樹
- たいらまさお
- 爲我井克美
- 千田国広
- 角田紘一
- 長峯達也
- 梨沢孝司
- 原口正宏
- 前川淳
- 八島善孝
- 行信三
- 横山健次
- 吉池隆司
- 吉沢孝男
- 吉田小南美