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中国聯合準備銀行

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中国聯合準備銀行(ちゅうごくれんごうじゅんびぎんこう)とは、日中戦争の最中に親日政権の発券銀行として設立された銀行である。

概要

中国聯合準備銀行が発行した紙幣の例

中国大陸へ侵攻した日本軍であったが、占領地域のひとつである、中国華北地区から中華民国(国民党)系の発券銀行の通貨(中国銀行や中央銀行など複数の発券機関があった)である法幣を排除し、新たに親日傀儡政権による通貨(事実上の軍用手票ともいえる)を発券する機関として、1938年6月に設立したのが中国聯合準備銀行であった。[要出典] ※聯合準備銀行は、本位制による兌換券発行銀行である。

日本側の目論見では、華北の経済圏を切り離し、日本側に取り込んだ上に、中国聯合準備銀行券と交換して得た国民党側の通貨を使って準備金を奪おうとする計画であり、経済戦争の一環であった。[要出典]しかし実際には国民党側の通貨の方がイギリスなどからの経済協力によって有力であった。[要出典]

また、発行準備金は朝鮮銀行(朝鮮における日本円の発券銀行)との預け合いにより行われていた。そのため架空の信用力しかなく、[要出典]額面上の発行高はインフレもあって急増していたが、実質発行高は1942年末をピークに急激に減らしていったという。なお中国聯合準備銀行の本店は北京におかれていたが、同じように日本側の思惑で[要出典]南京の中華民国維新政府の下で作られた本位制兌換券発券銀行に華興商業銀行があり、更に汪兆銘政権下でも本位制兌換券発券銀行として中央儲備銀行が創立された。 いずれの銀行も現在の中国では「日偽政権銀行券」と分類され、蒐集の対象物になっている。またアメリカ合衆国のクラウゼ出版(Krause Publications)による「標準世界紙幣カタログ」は、当銀行を"Japanese Puppet banks"(日本による傀儡銀行)と分類している。

紙幣のデザインは、初期は清朝時代の大清銀行兌換券のものを流用し、後には岳飛孔子などの中国の偉人の肖像や万里の長城などの建築物が使われていた。日本敗戦で中国聯合準備銀行および中央儲備銀行の発行した紙幣は紙切れ同然にまで暴落した。なお、預け合いによる負債であるが、日本政府が清算のため金塊3トンを中国に送って、その売却益でまかなった。[要出典] ※金本位制兌換紙幣なので、金塊3tを売却したのでは意味がない。

と言われているが。現在の資料によると以下の通り

中国聯合準備銀行設立委員には、天津中国銀行経理ベンハクビ外六名の経理により、銀行条例及び章程の作成をし、設立参加を募り、其の結果、中国銀行450万円、交通銀行350万円、冀東銀行50万円、其の他銀行80万円の引き受けを予定し、昭和13年2月1日までに払込を行い設立を完了する予定とした。

米国紙「ヘラルドトリビューン」の上海特派員Victor Keenは以下の様な記事を書いた。

 一.中国連銀の設立目的は支那旧法幣の為替相場を下落せしむるの外対支貿易上日本に有利なる手段を提供するにあり、即ち連銀券の公定対外価格と支那旧法幣の対米為替相場との開きは日本品をして同種米国品に比し八割方廉価の輸入を可能ならしめ、又過般

   臨時政府施行の輸出入「リンク」制は米国向け輸出業者をして連銀券の公定対外価格、即ち米価27仙半(公開市場相場は約16仙)を払わざるを得ざらりめ、為替取引上日本向け輸出業者に対し七割の利益を与えつつあり

 二.客年6月1日維新政府公布の関税法規は著しく日本品に有利にして米国品に不利なり

 三.上海其の他に於いて鮮(すく)なからざる日本品が(軍配給品の名目の下に)無税輸入されつつあり

参考文献

  • 日本紙幣収集辞典 原点社
  • 華興商業銀行券の機能 德永淸行 著
  • 神戸大学 電子図書館システム --一次情報表示--