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新幹線200系電車

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国鉄 / JR東日本
200系新幹線電車
リニューアル済み200系K42編成(宇都宮駅)
基本情報
製造所 川崎重工業近畿車輛東急車輛製造日本車輌製造日立製作所
主要諸元
編成 8両(8M[2] / G・K編成)
10両(10M[2] / G・K編成)
12両(12M[2] / E・F・H編成)
13両(12M1T / H編成)
16両(14M2T[2] / H編成)
軌間 1,435 mm
電気方式 交流25,000V 50Hz
架空電車線方式
最高運転速度 210 km/h[2](E・G編成)
240 km/h[2](F・K編成)
245 km/h(H編成)
275 km/h[2](F90 - F93編成)
設計最高速度 250 km/h
起動加速度 1.6 km/h/s[2]
減速度(常用) 2.6 km/h/s
編成定員 749名(K編成10両・先頭車1500番台売店無)
895名(F編成12両・先頭車1500番台)
1,235名(H編成16両・先頭車2000番台)[3]
885名(E編成12両・全車0番台)[2]
いずれも組成方法や組込み車両の相違により総定員は多少異なる
編成重量 697t[2](F編成)
編成長 250.3m(10両K編成)[1]
全長 25,150/26,050 mm[2]
25,000 mm(中間車)[2]
全幅 3,380 mm[2]
全高 4,470 mm[2]
車体高 4,000 mm[2]
台車 IS式ダイレクトマウント空気ばね台車
DT201(電動車)
TR7002(付随車)
主電動機 直巻整流子電動機MT201形 (230kW)
主電動機出力 230kW
駆動方式 WN駆動方式
歯車比 2.17
編成出力 12,880kW(16両H編成)
11,040kW(E,F,12・13両H編成)
9,200kW(10両G,K編成)
7,360kW(8両G, K編成)
制御装置 サイリスタ連続位相制御[2]
制動装置 電気指令式空気ブレーキ(チョッパ連続制御)
保安装置 ATC-2型DS-ATC
備考
第23回(1983年
ローレル賞受賞車両

カテゴリ / テンプレート

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新幹線200系電車(しんかんせん200けいでんしゃ)は、日本国有鉄道(国鉄)と東日本旅客鉄道(JR東日本)が設計・製造した新幹線車両である。

国鉄分割民営化後はJR東日本が保有している。

概要

1982年昭和57年)の東北新幹線および上越新幹線の開業に合わせて、962形試験車を基本として量産化され1980年(昭和55年)に発表された。100系よりも発表が早い(1985年登場)にもかかわらず系列・形式番号が大きいのは、登場当時東北・上越新幹線系統の車両は百の位が偶数、東海道山陽新幹線系統の車両は百の位が奇数になるように付番したからである。

また、系列番号が定められた新幹線電車は本系列が最初である。当時0系は系列番号がついておらず、単に「新幹線電車」と称するのが正式名称だったためで、本系列の登場を受けて「0系」と命名された。

国鉄分割民営化後には、100系に準じた2階建て車両も登場した。生産両数は700両だった。ただ、1999年には200リニューアルというものが登場した。 200リニューアル

構造

車体

先頭車は、国鉄時代に製造された0系に似た「丸目丸鼻」と国鉄分割民営化後に製造された100系に似た「流し目」(シャークノーズ・ロングノーズ)の2種類の前面形状(200番台、2000番台)がある。200番台は225形もしくは226形中間車からの改造車、2000番台は新製車である。なお、0系タイプの先頭車の運転側窓は、0系と同じく2枚の状態で落成されていたが、JR化後の1990年代初期から1枚式のものに交換されていった。

雪切り室への外気取り入れ口

デザインは0系をベースとしているが、車体下部まで一体のボディーマウント構造とし、機器をボディー内に配置することで耐雪・耐寒性を向上させた。ただし、この構造を0系と同様に普通鋼製車体とした場合、重量がかさむことからアルミ合金製となった。951形を設計のベースとし、構体骨組は加工性や溶接性に優れた7N01(Al-Zn-Mg)を、車体外周部には耐食性に優れた5083(Al-Mg)を、車体側面部から屋根にかけての曲線部には7N01よりも押し出し加工性に優れた7003(Al-Zn-Mg)を使い分けることで、構体重量7.5t(0系比3tの軽量化)を実現した[4]。ただし後年登場した2階建て車両(248形・249形)は、製造コストや電動機非搭載の観点から普通鋼製となった。

電動機を冷却する際に、外気とともに取り込んだ雪を分離するために、雪切り室が設けられた。先頭部のスカートはスノープラウと一体化した形状である。豪雪地帯を走ることから、線路面上に積雪があっても支障なく走行出来るよう設計され、確認試験も行われた。

車体塗装は、クリーム色をベースに窓の部分に緑14号の帯を配した。この色使いは寒冷地を走行するため雪解けの新芽のイメージから選んだとされている。登場時には「緑の疾風(みどりのはやて)」の愛称があった。

200系リニューアル

1999年3月に登場した新しい新幹線。主に昔のを改造したのではなく、まったく新しい新幹線として登場した。おもな違いは、先頭のまどが、滑らかに湾曲しており、色も変わった。

リニューアル済みK51編成
(2008年7月5日 大宮駅)


リニューアル済みK47編成
(2011年1月16日 大宮駅)

おもに色が上はクリーム色から真っ白になり、下はミッドナイトブルーになり、緑色の帯は東海道新幹線のようなものから、他の上越新幹線のようなものに変更されている。他にもライトを昔は電球で幕を使って赤くしていたが、リニューアルは、LEDを使用している。他にも壁、椅子、床、ドアなど細かいところまで大幅に更新された。内装の細かいところは普通車座席をE4系と同等な回転可能なものに、グリーン車座席をE2系と同等なものに交換、普通車座席が既に回転可能なものになっている場合、モケットの変更のみ実施、天井パネル・照明グローブ・腰板・床敷物などの内装を変更、客室妻部に情報案内装置を設置、窓ガラスのグリーンガラス化と窓キセがロールカーテン内蔵のFRP製に変更、 便所が洋式・和式併設にされ、洗面所および便所手洗い器をセンサー式に変更、枠および枠ばりを新品に交換信頼性維持のためプリント基板など劣化した電子部品の交換、車体塗装は「飛雲ホワイト」と「紫苑ブルー」のツートーンを基調に、境界部に「200系を表す」緑色の帯が入るカラーリングに変更、行先表示板やライトを発光ダイオード使用のものに変更等。 1999年と、上越新幹線では最新で、最高時速は275キロと上越新幹線では最速、全体から見ても速いほうになった。昔の200系は、あまり見かけなくなったが、こちらはよく見かけられる。いまでもクリーム色の200系も見かけるが、これは塗装は昔のデザインだが、塗装だけを復元しただけのものであって色以外は、ふつうのリニューアルと同じである。形は0系だが、新しいので、今後も活動を続ける。また、形が0系にとてもよく似るため、人気が高い。

走行機器

電源・制御装置

架線からの交流25kVを主変圧器で降圧した上で、シリコン整流器で整流して直流電源とした。その直流電源で主電動機を駆動した。

MM'ユニットを採用し、M車(221形・225形)には主制御器と抵抗器が、M'車(222形・226形)には主変圧器・整流装置・補助電源装置・空気圧縮機・集電装置が搭載される。

主制御器は電動カム軸方式(CS47)を採用する[5]。発電ブレーキにおいてバーニアチョッパ制御が行われるため、転換カムと抵抗カムのほかにフリーホイールダイオードや過飽和変流器を搭載している[5]。重量は940kgである[5]

主変圧器(TM202)は2,350kVAの容量を備え送油風冷式である[5]。主回路用の二次巻線は2,100kVA、補助電源回路用の三次巻線は250kVAの定格容量を備える[5]。ボディーマウント構造内の空気を電動送風機による送風で冷却風として油冷却器を通し車外に排風することにより冷却され、それにより車内の主変圧器や主整流器から発生する熱で周辺の温度上昇を抑止する効果もある。またシリコーン油とポリアミド絶縁物を主体とする特別A種絶縁を採用することで小型・軽量化を図った[5]

主回路制御は0系の低圧タップ制御に替えて、半導体素子(不等6分割)を用いたサイリスタ位相制御が採用されている[6]

主電動機(MT201)は直流直巻式である。連続勾配や降雪時の走行抵抗増加対策で連続定格出力が230kWに増強され、冷却方式の変更によってファンが排除されている[5]。冷却ファンを撤去したスペースを活用して鉄心を20mm延長し、MT200Bと同寸法ながら出力を向上させた[5]。さらに、ブラシ摩耗代の拡大と軸受け構造の見直しにより、無保守走行距離の延長を図っている[5]

台車

電動車台車はDT201、付随車台車はTR7002と呼称され、0系と同等のものを装着する。着雪による動作不良を防ぐために、バネ部分にカバーが装着されている。

ブレーキは、電動車は0系と同じく発電ブレーキを高速域での減速に使い、低速域では空気ブレーキを使う。H編成組成時に新製された2階建て車両の248・249形は200系唯一の付随車であったが、同じく付随車2階建て車両を有していた100系とは異なり、渦電流ブレーキを設置せず、ディスクブレーキを車軸に2枚設置した。

IS式軸箱支持装置、枕バネの採用は0系と同じである。

集電装置

パンタグラフは0系から引き続き下枠交差型が採用された。PS201と呼称される。当初、電動車の各ユニットごとに1基のパンタグラフが搭載されていたが、走行時の騒音源となっていた。そこで、F・H・K編成では天井に這わせた高圧ケーブルによる特高圧引き通しを実施し、パンタグラフの実使用数を削減することにした。0系とは違い、車両に設置されている空調室外機が車端部2箇所に集約されているため、引き通しが可能になった。使用しないパンタグラフはすべて撤去するのではなく、一部を予備として折り畳まれた形で車体に搭載したままとしている。

この引き通し線だが、新製時から引き通しがなされているF1 - F21編成の場合はすべて山側に設置されたが、新製後に改造して設置された編成(E編成から改造されてF編成に編入されたものなど)の内、225形などの奇数形式は海側に、226形などの偶数形式は山側に設置されている。

パンタグラフカバーは、常時使用のパンタグラフでは、四方から囲む形で、予備のパンタグラフは、車両サイドのカバーが省略されている。

運転台

0系ではアナログ指針式の速度メーターであり、故障機器の状況は人間が故障個所まで行き対処しなければならなかったが、本系列では、運転台にいながらにして機器の遠隔解放ができるシステムが装備された。日本の鉄道車両では初めて運転台キャラクタディスプレイによるモニタ支援装置を装備した。9.6kbpsのFSK (Frequency Shift Keying) モデム伝送によるもの。ドットマトリクスによる片仮名アルファベット数字のみを、8行×33文字(合計264文字を同時に表示可能)で表示していた。

たとえば走行中は、2行目に「ウンテンジョウタイ」、4行目に「TIME 00:00:00 キロ 12.2」、5行目に「SPEED 206 ノッチ B 3 」、6行目に「ATC 110 ジョウヨウ * 」7行目に「カイホウ」などのように表示されていた。

これらは21世紀初頭の現在においても通用する設備であり、乗務員の作業が大幅に軽減された。

車内設備

普通車の座席は0系と同様の海側3列の合計横5列配置で、0系で試行されたオレンジ基調の簡易リクライニングシート (D-23, D-32) が採用された。本系列では座席前後間隔は980mm、3列座席は集団離反で回転出来ないものとなった。後年、モケットは交換された。

1987年に登場した200, 2000番台は100系と同じ1,040mm間隔となり、フリーストップ式のリクライニングシート、3列座席も回転出来るようになった。ただしこの200, 2000番台は先頭車のみで、当時、中間車は3列座席回転不可能だったため、格差が生じていた。

後年、JR東日本では3列席を「本体部のみ回転」させる方式を考案。これは両端の手すりを残して回転させるもので、座席間隔を広げることなくフリーストップのリクライニングシート化を実現させた。まずは1990年(平成2年)にH編成の中間車のうち、指定席普通車となる車両を座席交換し、さらに該当車両は拡大した。なお、この方式は西日本旅客鉄道(JR西日本)でも0系で採用した。

後述のK編成リニューアルに関しては、簡易リクライニングだったものに関してはE4系と同等品に交換された。普通車の3列座席も全体が回転する構造となっているが、両端のひじ掛けを曲げる、背すりを鉛直にするなどの工夫で座席間隔980mmのまま回転可能とした。既に「本体部のみの回転」だったものに関してはモケットの張り替えのみが行われた。

空調機器は多雪地域・寒冷地を走行する事から冷房専用のAU82となり、暖房は電気ヒーターを別に使用した。0系のAU56・57 (ヒートポンプ式)では比較的温暖地の東海道・山陽でも暖房能力が不足気味であった事から変更された。

形式および車種

本系列に属する各形式名とその車種は以下のとおり。

16両H編成の248形と249形以外は、奇数形式と偶数形式でペアを組んでMM'ユニットを構成する。

車両新製時に0番台は最高速度210km/h対応、1000番台は240km/h対応だが、F編成組み込みの際に240km/h対応の0番台が出現している。

新製車両

215形 (MS)
グリーン席。偶数各形式とペアを組んで使用される。主制御器・抵抗器、電動発電機などを搭載する。
221形 (MC)
普通席を備える制御電動車。偶数各形式とペアを組んで使用される。東京向き運転台、便所、洗面所、業務用室を備え、主制御器・抵抗器、電動発電機などを搭載する。0系タイプと100系タイプの先頭車形状が存在する。
222形 (M'C)
普通席を備える制御電動車。奇数各形式とペアを組んで使用される。八戸・新潟向き運転台を備え、集電装置・主変圧器・整流装置・空気圧縮機などを搭載する。先頭形状は221形と同じ。1991年以降、-25, 26, 30, 34, 35, 1001 - 1003, 1510 - 1510, 1512, 1515, 1517, 1518には400系もしくはE3系との併結用に分割・併合装置が先頭に納められている。
番台 定員
221形/222形
シートピッチ 製造時
最高速度
製造数
221形/222形
生産次/種車 形状 備考
0番台 45名/55名 980mm 210km/h 36両/36両
(全廃車)
第1 - 5次車(1980 - 1982年) 0系タイプ
1000番台 45名/55名 980mm 240km/h 3両/3両
(3両/3両現存)
第6次車(1983年) 0系タイプ
1500番台 50名/60名 980mm 240km/h 18両/18両
(8両/8両現存)
第7 - 9次車(1984 - 1985年) 0系タイプ 1000番台と性能の面では同一
200番台 50名/55名 1040mm 240km/h 7両/7両
(全廃車)
0番台から6両と1000番台から1両(221形)
0番台から5両と1000番台から2両(222形)
100系タイプ 225形/226形中間車を先頭車化
シートピッチと窓間隔を拡大
2000番台 50名/60名 1040mm 240km/h 2両/2両
(全廃車)
第10次車(1987年) 100系タイプ H編成のみ使用
225形 (M, Mk)
普通席を備える中間電動車。偶数各形式とペアを組んで使用される。便所、洗面所を備え、主制御器・抵抗器、電動発電機などを搭載する。グリーン車215形を普通車化したものは、100番台を名乗る。車販準備室を備えている車両は400,1400番台を名乗り、略号も「M」ではなく、「Mk」とされた。
226形 (M')
普通席を備える中間電動車。奇数各形式とペアを組んで使用される。集電装置・主変圧器・整流装置・空気圧縮機などを搭載する。
237形 (MB)
半室ビュフェを備える中間電動車。便所、洗面所、身障者対応設備を備え、主制御器・抵抗器、電動発電機などを搭載する。
248形 (T'SBd)
グリーン席とカフェテリアを併設する2階建て付随車。1階にカフェテリア、2階にグリーン席が設置された。249形とともに、200系唯一の普通鋼製の車体である。H編成でしか使用されなかったため、6両のみの製造にとどまった。
249形 (TSd)
普通席とグリーン席を併設する2階建て付随車。1階には1人用グリーン個室が3室と2人用グリーン個室が1室、4人用普通個室が5室、2階はグリーン席が設置された。248形とともに、200系唯一の普通鋼製の車体である。H編成でしか使用されなかったため、6両のみの製造にとどまった。
形式 車両番号 定員 製造数 製造総数 備考
215 1 - 36 52名 36両 57両
1001 - 1021 21両 車内設備は0番台と同様。
221 1 - 36 45名 36両 59両
1001 - 1003 3両 車内設備は0番台と同様。
1501 - 1518 50名 18両 車内設備は0番台とほぼ同様。
2001, 2002 2両 シートピッチを1,040mmに拡大。
222 1 - 36 55名 36両 59両
1001 - 1003 3両 車内設備は0番台と同様。
1501 - 1518 60名 18両 車内設備は0番台とほぼ同様。
2001, 2002 2両 シートピッチを1,040mmに拡大。
225 1 - 72 80名 72両 171両
401 - 436 70名 36両 売店付き。
1001 - 1042 80名 42両 外観、車内設備は0番台と同様。
1401 - 1421 70名 21両 外観、車内設備は400番台と同様。
226 1 - 180 95名 180両 285両
1001 - 1105 105両 外観、車内設備は0番台と同様。
237 1 - 36 28名 36両 57両
1001 - 1021 21両 外観、車内設備は0番台と同様
248 1 - 6 40名 6両 6両
249 1 - 6 55名 6両 6両

改造車両

この他、長期に渡る使用の過程で、運用の見直しなどにより以下の各形式について改造による番台区分が発生している。特に記載のない場合、普通車のシートピッチは980mmである。

215形 (Ms)
100番台
普通車225形をグリーン車化したもの。当初は900番台 (901, 902) を名乗っていた。
225形 42 57
215形 901 → 101 902 → 202
200番台
普通車225形を半室グリーン車化したもの。シートピッチは、全席グリーン車と同じ1,160mmに統一。
225形 44 17
215形 201 202
300番台
グリーン車215形を半室グリーン車化したもの。シートピッチは、全席グリーン車と同じ1,160mmに統一。
215形 10 19 10 21 22 23 24
215形 301 302 303 304 305 306 307
221形 (Mc)
200番台
普通車225形を先頭車化したもの。先頭形状は100系に似たデザインで、シートピッチを1,040mmに拡大の上3列側の座席も回転可能にされた。
201 - 204はH編成に組み込まれ、車体側面にピンストライプが追加されていた。
225形 43 7 8 25 26 1011 69
221形 201 202 203 204 205 206 207
222形 (M'c)
200番台
普通車226形を先頭車化したもの。先頭形状は100系に似たデザインで、シートピッチを1,040mmに拡大の上3列側の座席も回転可能にされた。
201 - 204はH編成に組み込まれ、車体側面にピンストライプが追加されていた。
226形 104 42 44 62 64 1017 1019
222形 201 202 203 204 205 206 207
225形
100番台 (Mcon)
225形400番台の車販準備室を車掌室に改造したもの。101 - 105の5両のみ製作。
225形 407 1404 430 1407 406
225形 101 102 103 104 105
110番台 (Mcon)
グリーン車215形を普通車化したもの。111の1両のみ製作。窓と座席の配置がずれている。
215形 1004
225形 111
450番台 (Mpk)
普通車225形0番台に車販準備室、電話室、車椅子対応設備の設置、シートピッチ拡大をしたもの。窓配置はシートピッチに合わせられている。451 - 453の3両のみ製作。
225形 40 18 13
225形 451 452 453
460番台 (Mpk)
普通車225形400,1400番台に電話室と車椅子対応設備の設置をしたもの。461 - 463の3両のみ製作。
225形 435 1409 1406
225形 461 462 463
470番台 (Mpk)
ビュフェ車237形を普通車化したもの。シートピッチを1,040mmに拡大。471 - 477の7両のみ製作。
237形 10 19 20 21 22 23 24
225形 471 472 473 474 475 476 477
480番台 (Mpk)
ビュフェ車237形を普通車化したもの。481,482の2両のみ製作。
237形 29 28
225形 481 482
490番台 (Mpk)
ビュフェ車237形を普通車化したもの。480番台の車両とは、車販準備室と業務用室の位置が異なる。491 - 507の17両のみ製作。
237形 30 1007 1006 1009 26 35 1012 1002 1001 1021 1010 1018 1020 1003 1013 1011 1015
225形 491 492 493 494 495 496 497 498 499 500 501 502 503 504 505 506 507
237形 (MB)
100番台
普通車225形をビュフェ車化したもの。101, 102の2両のみ製作。当初は901, 902を名乗っていた。
225形 41 53
237形 901 → 101 902 → 202

運用

2010年12月4日改正

定期運用としては、東北新幹線の「やまびこ」(東京駅那須塩原駅 - 仙台駅間)・「なすの」と上越新幹線の「とき」・「たにがわ」で運用されている。

路線 種別 列車名 運転区間 備考
東北新幹線 やまびこ 155・212・214号 東京駅 - 仙台駅
227号 上野駅 → 盛岡駅 臨時列車
291号 那須塩原駅 → 仙台駅間
なすの 261・278号 東京駅 - 郡山駅
251・269・280号 東京駅 - 那須塩原駅間
上越新幹線 とき 301・305・306・308・314・319・
320・323・327・328・331・335・
336・342・346・347・361号
東京駅 - 新潟駅 361号は主に金 - 日曜日運転の臨時列車。
たにがわ 401・404・405・407・410・412・425・428号 東京駅 - 越後湯沢駅 425・428号以外はガーラ湯沢駅まで運転時あり。
470・471・475・478号 東京駅 - 高崎駅 471号は休日運休

編成の種類

2010年平成22年)2月現在、後述する延命工事が施工された10両K編成11編成のみが現存している。

それぞれの概要は以下のとおりである。

E編成

E1編成

12両編成、0系タイプの前面形状。東北・上越新幹線開業開始と同時に投入された編成。210km/h走行対応。開業直後に仙台第一新幹線運転所新潟新幹線第一運転所にそれぞれ18編成ずつの計36編成(E1 - E36編成)が配置された。

1980年(昭和55年)から製造された第1 - 5次車、0番台のE1 - E36編成(第1次車:E1 - E4編成、第2次車:E5 - E9編成、第3次車:E10 - E22編成、第4次車:E23 - E29編成、第5次車:E30 - E36編成)と、1983年(昭和58年)に製造された第6次車、1000番台のE37 - E39編成で構成された。1000番台のE37 - E39編成はすぐにF1 - F3編成に改名された。E37 - E39編成は落成時に既に後のF編成に準拠した性能を持っていた。

編成中に連結されている225形のうち、5号車には、車販準備室を備える225形400番台の車両が連結された。

F編成登場後は、240km/h対応ATC改造やブス引通しといった対応工事を施したうえで車両番号そのままにF編成化されたり、短編成化されてG編成を組成した。1993年(平成5年)9月にF編成組み換え改造が完了したことに伴い消滅した。

E編成 編成表(落成時)
 
← 東京
盛岡・新潟 →
号車 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
編成 221形
(Mc)
226形
(M')
225形
(M)
226形
(M')
225形
(Mk)
226形
(M')
215形
(Ms)
226形
(M')
237形
(MB)
226形
(M')
225形
(M)
222形
(M'c)
座席 普通車 グリーン車 普通車 ビュフェ車 普通車
E1 1 1 1 2 401 3 1 4 1 5 2 1
E2 2 6 3 7 402 8 2 9 2 10 4 2
E3 3 13 6 14 403 15 3 11 3 12 5 3
E4 4 16 7 17 404 18 4 19 4 20 8 4
E5 5 21 9 22 405 23 5 24 5 25 10 5
E35 35 171 69 172 435 173 35 174 35 175 70 35
E36 36 176 71 177 436 178 36 179 36 180 72 36
  • 1991年5月9日 - 6月25日にかけて、7号車と11号車の入れ替えを実施。それ以後はグリーン車が11号車となった[7]

F編成

F17編成
(1990年ごろ 大宮駅)
F19編成
(2006年3月4日)
F5編成(小山駅)

1983年(昭和58年)11月にデビュー。12両編成、0系タイプの前面形状だったが、一部(F5, F8, F40編成)はK編成用の先頭車両捻出のために100系タイプ(先頭車化改造の200番台)に置換された。240km/h走行対応。6 - 10次車グループの1000番台・2000番台で構成された。

最初にデビューした1000番台の3編成は当初E37 - E39編成を名乗ったが、後にF1 - F3編成に改番された。1985年(昭和60年)には第7 - 9次車のF4 - F19編成(第7次車:F4 - F11編成、第8次車:F12 - F19編成、第9次車:F20,F21編成)が増備された。これは両先頭車の構造が改良され、1500番台を名乗った。中間車は1000番台のまま変化なし。また、同時にE編成7本 (E30 - E36) に240km/h対応を施してF編成 (F51, F52, F61 - F65) に繰り入れられた。F61 - F65編成は当初ATC改造のみだったため、高圧引き通し工事終了後にF53 - F57編成に改番された。このあともE編成からF編成への改造が進み、最終的にはF1 - F21, F30 - F43, F51 - F59編成までになった。

100系タイプの2000番台先頭車(第10次車)がF52,F58編成に組み込まれ、F42編成にはピンストライプが入った100系タイプの200番台先頭車が組み込まれた。しかし、F5,F8,F40,F43編成に組み込まれた100系タイプの200番台先頭車にはピンストライプは入っていなかった。この置き換えによって捻出された先頭車両は、G・K編成組成に使用される。

主に東京駅 - 盛岡駅間の「やまびこ」で使われていたが、H編成とともに2004年(平成16年)3月13日のダイヤ改正で定期運用を終了した。その後、F編成は臨時列車などに充当されることがあり、上越区間の「Maxとき・たにがわ」(E1系使用列車)の代走運用に入った事例もあった。

2007年(平成19年)まで、新潟新幹線車両センターDS-ATCを搭載するF19編成が残存していたが、同年3月25日燕三条駅で開催された「さよなら200系F19編成展示会」を最後に運用を離脱し、5月9日に新幹線総合車両センターへ廃車回送され、5月11日に廃車[8]、F編成は消滅した。

F編成 編成表(落成時)
 
← 東京
盛岡・新潟 →
号車 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
編成 221形
(Mc)
226形
(M')
225形
(M)
226形
(M')
225形
(Mk)
226形
(M')
215形
(Ms)
226形
(M')
237形
(MB)
226形
(M')
225形
(M)
222形
(M'c)
座席 普通車 グリーン車 普通車 ビュフェ車 普通車
F1 1001 1001 1001 1002 1401 1003 1001 1004 1001 1005 1002 1001
F2 1002 1006 1003 1007 1402 1008 1002 1009 1002 1010 1004 1002
F3 1003 1011 1005 1012 1403 1013 1003 1014 1003 1015 1006 1003
F4 1501 1016 1007 1017 1404 1018 1004 1019 1004 1020 1008 1501
F5 1502 1021 1009 1022 1405 1023 1005 1024 1005 1025 1010 1502
F20 1517 1096 1039 1097 1420 1098 1020 1099 1020 1100 1040 1517
F21 1518 1101 1041 1102 1421 1103 1021 1104 1021 1105 1021 1518
  • 1991年5月9日 - 6月18日にかけて、7号車と11号車の入れ替えを実施。それ以後はグリーン車が11号車となった[7]

F80編成

第二千曲川橋梁をわたるF80編成(1998年2月18日)

12両編成、0系タイプの前面形状。240km/h走行対応。F17編成を改造して付番されたものである。車両番号に変化はない。

1998年(平成10年)2月長野オリンピックの臨時輸送用に、長野新幹線乗り入れのための発電ブレーキ容量増大、電源周波数50Hz/60Hz切り替え装置を搭載した。また、市販の時刻表においては「200系車両で運転」の注釈があった。電源周波数切り替え装置は臨時輸送終了後に撤去されている。

2004年(平成16年)6月18日付けで廃車となり、本系列による長野新幹線乗り入れ可能車両は消滅した。

200系F編成
元編成 該当編成
E37 - E39 F1 - F3
新造車 F4 - F21
E1 - E3, E5, E6,
E11, E14 - E17
F30 - F39
E25 - E27, E29 F40 - F43
E30 - E36 F51, F52, F61 - F65
→F51 - F57
E21 F58
保留車 F66 → F59
F17 F80
F54, F59, F14, F16 F90 - F93
臨時あさま時刻表
下り列車 東京 上野 大宮 高崎 軽井沢 長野 運転日
あさま603号 7時34分 7時40分 8時00分 8時25分 8時44分 9時11分 2月7 - 22日
あさま609号 13時20分 13時26分 13時47分 14時14分 14時33分 15時00分 2月7 - 22日
あさま613号 19時44分 19時50分 20時11分 20時40分 20時59分 21時25分 2月7, 9, 10,
12 - 14, 16 - 21日
上り列車 長野 軽井沢 高崎 大宮 上野 東京 運転日
あさま602号 11時19分 11時47分 12時05分 12時30分 12時50分 12時56分 2月7 - 22日
あさま608号 16時24分 16時52分 17時10分 17時38分 17時58分 上野終着 2月7 - 22日
あさま616号 22時03分 22時30分 23時10分 23時30分 23時36分 2月7, 9, 10,
12 - 14, 16 - 21日

F90番台編成

12両編成、0系タイプの前面形状。上越新幹線下り上毛高原駅 - 浦佐駅間で275km/h走行に対応するためにF54, F59, F14, F16編成を改造して付番されたものである。車両番号に変化はない。

具体的な改造内容は、

  • ATCの240信号を275に読み替えるトランスポンダ搭載[9]
  • 72%弱め界磁回路の追加[9]
    • 概ね、210km/h以上の速度で弱め界磁制御が行われる[10]
  • 275km/hからの7ノッチフルブレーキによる抵抗器の温度上昇を防ぐため、ブレーキカム軸進段停止装置の追加[9]
  • ブレーキ距離確保のために、ブレーキパターンを変更[9]
  • 222形運転台の計器板をデジタル化、信号「240」の「245」読み替え[9]
    • 275km/h運転を実施するのは下り列車のみなので、その時の運転台となる222形のみ実施
  • 6, 8号車のパンタグラフを撤去し、通常時では4, 10号車のパンタグラフのみで対応[9]
  • パンタグラフ数の減少に伴い、集電容量向上のためにパンタグラフの導線を交換[9]
  • 騒音低減のためにパンタグラフと特高圧引き通し線部分にカバーを装着[9]
  • 騒音低減のため、運転台側窓を平滑化[9]
  • 台車車輪検査の厳格化
    • 車輪径は通常は910mmであり、磨耗などで850mmまで減少されると交換となるが、F90番台編成は880mm以下で交換となった[11]
  • 発電ブレーキの容量増加[11]
  • 基礎ブレーキディスク圧力の向上[11]とブレーキディスクとライニングの材質の変更(鋳鉄 → 鍛鉄)[9]
  • 空転・滑走検知装置の出力調整の変更[9]

が行われた。F90 - F93編成の4編成が在籍していた。

1997年(平成9年)3月22日に、500系が山陽新幹線で最高300km/hでの営業運転を開始するまで、日本の営業列車としては最高速の275km/hでの運転を行っていた。ATCの信号現示が200系F90番台編成の場合は「275」、300系の場合は「270」であることから、1992年(平成4年)に営業運転を開始した300系より速かったと言われていた[12]。実際には、ATCの頭打ち速度は300系も275km/h[13]だったため、ATCの抑止速度で考えた場合、最高速は同速ということになるが、営業速度で考えた場合、このF90番台編成が最速であった。

275km/h運転は1999年(平成12年)12月4日まで続けられた[14]2002年(平成14年)にまず、F90, F92編成が廃車された。同年に東北新幹線開通20周年記念として「想い出のあおば号」がF93編成によって運行された。その後、残ったF91, F93編成も2004年(平成16年)に廃車となり、200系での275km/h走行編成は消滅した。

*1991年5月9日 - 16日にかけて、7号車と11号車の入れ替えを実施。それ以後はグリーン車が11号車となった[7]

G編成

G45編成
(1990年ごろ 大宮駅)
G47編成
(1990年ごろ 新潟駅)

上越新幹線の「とき」(当時は各駅停車タイプ)や東北新幹線の各駅停車タイプの「あおば」(1997年(平成9年)に消滅)の利用率の状況から、E編成の一部を10両編成に減車した編成、後に8両編成に短縮された。全車0系タイプの前面形状。

1987年4月から「とき」用に、E10・E20 - E24・E26・E27・E29編成の3・4号車が抜かれて(E23編成のみ5・6号車抜き取り)順次10両に短縮された(G10・G20 - G24・G26・G27・G29編成)。そしてその抜き取った車両とF58編成からの先頭車両を組み込んでG28編成が組成された。なお、G28編成のグリーン車とビュフェ車は225形普通車からの改造車が組み込まれた。

1988年3月には、さらに2両を抜いて8両編成化が実施された。このとき捻出された中間車を用いてG26・G27・G29編成は再度12両編成化され、E26・E27・E29(→F41 - F43編成)を名乗ったほか、200・2000番台先頭車両導入による余剰車を使用した2代目となるG27・G28編成が組成される。8両編成化に伴う編成番号の変更は行われていない。同時に、グリーン車の半室化工事とビュフェ車の普通車化(含車販準備室・車椅子対応設備)工事が実施されている。この工事のために新たにE9編成がG9編成になっている。G9・G10編成は後にG25・G26編成に改番されている。

1989年11月からは、「あおば」用としてG40 - G48編成の8両編成8本が組成された。E4・E7・E12・E13・E8・E18・E19編成から普通車ユニット4両を抜いてG40 - G43・G46 - G48編成が、余剰車を用いてG44・G45編成が組成された。

G20番台(新潟新幹線第一運転所配置)は半室グリーン車ビュフェなし、G40番台(仙台総合車両所配置)は全室グリーン車・ビュッフェあり(ただし非営業)という違いがあった。なお、例外はG45編成(新潟配置)で、一時期グリーン車が組み込まれていなかった。

最高速度が210km/hのままで高圧引き通しの改造はなされず(パンタカバーは設置)、このグループから廃車が始まった。

1997年6月1日付けでG43編成のうち226-61と225-413の2両が廃車となった。これは200系の中で初めての廃車となった。 226-63は、925形試験車「ドクターイエロー」の軌道検測車921-32に改造されたが、残りの5両は保留車となった上、同年10月6日付廃車になった[15]1999年(平成11年)の春までに全廃されている[14]

H編成

13両編成のH5編成
(1990年ごろ 大宮駅)
H6編成
(2002年6月1日 東京駅)

1990年代の東北新幹線のフラッグシップ車両として、「スーパーやまびこ」の通称で親しまれた東京駅 - 盛岡駅間の速達「やまびこ」を中心に使用された編成である。

100系タイプのシャープな前面形状の先頭車両(H3, H4が2000番台、他は先頭車化改造の200番台)、100系に似た側面の緑のピンストライプ塗装、2階建て車両を2両組み込んだ16両の長編成が特徴で、F43, F57, F52, F58, F42, F55編成を元としたH1 - H6までの6編成が組成されていた。ただしMM'ユニットの構成上、2階建て車両が100系(8・9号車)とは異なり9・10号車となっている。245km/h走行対応。

東北新幹線の歴史上では現在まで唯一の貫通16両編成であるが、当時最長12両編成対応だった上越新幹線に入線することはできなかった。2階建て車両にはグリーン席普通個室およびカフェテリアが備えられていた。その後、2000年(平成12年)12月[16]から2003年(平成15年)11月30日まで、マッサージ店の「てもみん」を展開するグローバルスポーツ医学研究所との提携で普通個室を使用して「トレインマッサージ」を営業する列車も存在した[16]

1990年(平成2年)6月23日、F編成の6, 7号車の間に2階建て車両(新製249形)1両を組み込んだ13両編成で営業運転を開始した。この時点では、H6編成の先頭車両が100系タイプのものに変更できていなかったため、0系タイプの先頭車両にピンストライプが入った珍しい編成となった。

H編成(13両編成) 編成表
← 東京
盛岡 →
1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13
221形
(Mc)
226形
(M')
225形
(M)
226形
(M')
225形
(Mk)
226形
(M')
249形
(Tsd)
215形
(Ms)
226形
(M')
237形
(MB)
226形
(M')
225形
(M)
222形
(M'c)
普通車 グリーン車
普通車
グリーン車 普通車 ビュフェ車 普通車

1991年(平成3年)3月8日、東北新幹線の東京開業を前に2階建て車両1両(新製248形)を9 - 10号車間に、普通車(225, 226形、E編成からの転用)2両を4 - 5号車間に挿入して16両編成となった。なお、13両編成で10号車となっていた237形は、16両化で新たに挿入された248形内のカフェテリアと供食設備が重複することから、同年6月以降から、車椅子対応設備を持つ225形200番台(H2編成のみ種車が225形1000番台であったことから、210番台を名乗る。他の車両は237形が種車)に改造された。また同時に、H6編成の先頭車両も100系タイプの221-204, 222-204に交換された。

H編成(16両編成) 編成表
← 東京
盛岡 →
1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16
221形
(Mc)
226形
(M')
225形
(M)
226形
(M')
225形
(M)
226形
(M')
225形
(Mk)
226形
(M')
249形
(Tsd)
248形
(T'sbd)
215形
(Ms)
226形
(M')
225形
(M)
226形
(M')
225形
(M)
222形
(M'c)
普通車 グリーン車
普通車
グリーン車
普通車
グリーン車 普通車

当初はグリーン車は9 - 11号車の3両連結されていたが、K編成組成のためや、バブル経済の崩壊による需要の縮小に伴い、11号車のグリーン車は普通車への格下げが行われ、225形100番台(車掌室付き。H6編成のみ215形を種車としたため110番台。それ以外は225形400番台を改造)となった。秋田新幹線開業とE2系への世代交代に伴って運用の場を狭め、H1 - H3, H6の4編成は2004年(平成16年)5月までに廃車とされた。

間合い運用で「なすの」にも使用されていたが、この場合、グリーン車は閉鎖、普通車は全車自由席となることがあった。

200番台、2000番台のトップナンバー車を先頭車としていたH4,H5編成 (221-2001, 222-2001, 221-201, 222-201) は、F編成とともに2004年(平成16年)3月13日のダイヤ改正で定期運用から離脱した。その後、2階建て車両(248形と249形)を含む5, 6, 9, 10号車を廃し、1, 2, 3, 4, 7, 12, 15, 14, 13, 8, 11, 16号車の順に、全車普通席の平屋建て12両編成(上越新幹線乗り入れを想定)に組み替えられた後、2004年(平成16年)8月、市販の時刻表で「グリーン車なし 12両」と表記される多客期臨時列車で運用された。この2編成も前者が2005年(平成17年)5月28日付けで、後者も同年8月28日付でそれぞれ廃車された。

H編成(12両編成) 編成表
← 東京
盛岡・新潟 →
1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
221形
(Mc)
226形
(M')
225形
(M)
226形
(M')
225形
(Mk)
226形
(M')
225形
(M)
226形
(M')
225形
(M)
226形
(M')
225形
(Mcon)
222形
(M'c)
普通車

K編成

10両編成。2010年(平成22年)現在、200系で唯一残存する編成であり、すべての先頭車が0系タイプの前面形状。240km/h走行対応。400系およびE3系併結用連結器および自動解結装置搭載。自動解結装置などは1999年(平成11年)12月4日のダイヤ改正でK編成による連結運用が消滅したため[17]、使用されていない。

未リニューアルK24編成
(2002年8月2日 日暮里駅付近)

8両K編成

1992年(平成4年)に山形新幹線400系併結用として8両編成のK編成が生まれた。F4, F6, F7, F9, F41, F51, F56編成とその他保留車からK1 - K11の11編成が組成された。

8号車の222形には併結用連結器および自動解結装置が搭載されている。

組成当初は、K1, K4, K6, K8 - K10編成の7号車に237形ビュフェ車を連結していたが、1992年9月から順次225形490番台に改造された。

K編成(8両編成) 編成表
← 東京
盛岡・新潟 →
1 2 3 4 5 6 7 8
221形
(Mc)
226形
(M')
225形
(M)
226形
(M')
215形
(Ms)
226形
(M')
225形
(Mpk)
222形
(M'c)
普通車 グリーン車 普通車



記念列車

想い出のあおば号

東北新幹線大宮開業20周年を記念して、2002年6月23日に大宮 → 仙台で運行された。ただし、駅電光掲示板では、「団体201号」と表示されていた。

F93編成が充当され、12号車の光前頭には「新幹線開業 祝 20周年」のマーキングが施された。また、休止していたビュフェが、この日に限り復活し、記念グッズなどが販売された。その他、車内放送でも開業当時のもの(民謡チャイムなど)が使用された。

「想い出のあおば号」に合わせて、「あおばリレー号」(上野:9時55分 → 大宮:10時20分)も運転された。

列車 大宮 小山 宇都宮 那須塩原 新白河 郡山 福島 白石蔵王 仙台
想い出のあおば号 11時02分 11時19分 11時32分 11時48分 12時00分 12時18分 12時34分 12時47分 13時03分
 
← 大宮
仙台 →
号車 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
編成 221
(Mc)
226
(M')
225
(M)
226
(M')
225
(Mk)
226
(M')
225
(M)
226
(M')
237
(MB)
226
(M')
215
(Ms)
222
(M'c)
座席 普通車 ビュフェ車 普通車 グリーン車 普通車
定員 50 80 95 80 70 80 95 80 28 80 52 55
編成 F93 1513 1076 1031 1077 1416 1078 1032 1079 1016 1080 1016 1513

復活とき号

上越新幹線大宮開業20周年を記念して、2002年11月16,17日に大宮駅 - 新潟駅間1往復の「復活とき号」が運行された。充当された編成はF80編成である。駅電光掲示板では、「団体408号」「団体409号」と表示されていた。

「復活とき号」に合わせて、「快速ときリレー号」(上野:9時32分 → 大宮:9時58分(11月16日)/大宮:12時07分 → 上野:12時33分(11月17日))も運転された。

列車名 運転日時 運転区間 停車駅 使用編成
復活とき号 11月16日 大宮 (10:44) → 新潟 (12:46) 熊谷高崎上毛高原
越後湯沢浦佐長岡燕三条
F80
11月17日 新潟 (9:52) → 大宮 (11:50) 燕三条、長岡、浦佐、越後湯沢、上毛高原、高崎、熊谷 F80
 
← 大宮
新潟 →
号車 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
編成 221
(Mc)
226
(M')
225
(M)
226
(M')
225
(Mk)
226
(M')
225
(M)
226
(M')
237
(MB)
226
(M')
215
(Ms)
222
(M'c)
座席 普通車 ビュフェ車 普通車 グリーン車 普通車
定員 50 80 95 80 70 80 95 80 28 80 52 55
編成 F80 1514 1081 1033 1082 1417 1083 1034 1084 1017 1085 1017 1514

東北新幹線大宮開業25周年記念号

やまびこ931号 (小山駅) 大宮駅にて
やまびこ931号
(小山駅)
大宮駅にて

東北新幹線大宮開業25周年を記念して、2007年6月23日に「やまびこ931号」が大宮駅 → 盛岡駅間で運行された。

K47編成が充当された。車体塗装が200系オリジナルのカラーリング(白地に緑帯)に戻され、両先頭車の光前頭には「新幹線開業 祝 25周年」のマーキングが施された。

列車名 運転日時 運転区間 停車駅 使用編成
やまびこ931号 6月23日 大宮 (10:30) → 盛岡 (13:18) 小山宇都宮那須塩原新白河
郡山福島仙台一ノ関
K47
 
← 大宮
盛岡 →
号車 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10
形式 221
(Mc)
226
(M')
225
(Mk)
226
(M')
225
(M)
226
(M')
225
(Mpk)
226
(M')
215
(Ms)
222
(M'c)
座席 普通車 グリーン車 普通車
定員 50 80 70 80 95 80 58 80 52 55
編成 K47 1510 1061 1413 1062 1025 1063 505 1065 1013 1510

上越新幹線大宮開業25周年記念号

上越新幹線大宮開業25周年を記念して、2007年11月10,15日に「あさひ190号」「とき25号」「とき318号」が記念列車として運行された。

「東北新幹線大宮開業25周年記念号」と同じく、かつての車体塗装が復元されたK47編成が充当された。列車番号の25は「25周年」から、「あさひ190号」は1982年11月15日開業時の上り1番列車名からとられた。

「とき318号」の新潟発車前に出発式が行われたほか、大宮,熊谷,高崎,上毛高原,越後湯沢,浦佐,長岡,燕三条,新潟の各駅で記念入場券が販売された。また、これにあわせて同年11月10日に新潟新幹線車両センターで新幹線ご利用感謝祭が実施された。

列車名 運転日時 運転区間 停車駅 使用編成 備考
あさひ190号 11月10日 新潟 (6:11) → 上野 (8:14)   K47 団体列車
とき25号 11月10日 大宮 (10:00) → 新潟 (12:07) 熊谷本庄早稲田高崎上毛高原
越後湯沢浦佐長岡燕三条
K47  
とき318号 11月15日 新潟 (9:36) → 東京 (11:04) 燕三条、長岡、越後湯沢、大宮、上野 K47 定期列車

保存車両

流山温泉駅前に保存されている200系

ラッピング

2003年(平成15年)7月から2004年(平成16年)4月にかけて、残存していた一部の編成についてディズニーの部分的なラッピングが施され、『ドリームキャンペーン号』として運行していた。

2008年(平成20年)7月19日からは、「ピカ乗りサマー2008」キャンペーンPRラッピングの一環としてK43編成にポケモンラッピングが施された。これに関しては他の系列にも波及し、JR東日本の公式ホームページで2日後までの運行情報が公開された。

2009年(平成21年)7月18日から、2008年同様「ピカ乗りサマー2009」キャンペーンPRラッピングの一環としてK26,K49編成にポケモンのラッピングが施されている。

2011年(平成23年)4月から、東日本大震災の復興推進キャンペーンと同時期に開始された青森デスティネーションキャンペーンステッカーを、JR東日本所属営業用車両全編成の先頭車両に貼付している(前者は東京寄り、後者は新青森・新潟・長野寄りに貼付)。

営業列車の脱線

ファイル:Dassen-TOKI-Shinkansen.JPG
脱線事故の現場
(2004年11月6日撮影)

2004年(平成16年)10月23日午後5時56分ごろ (JST) に発生した新潟県中越地震により、東京新潟行きの「とき」325号(K25編成)が時速約200kmで走行中、長岡駅手前約5kmの滝谷トンネル先の地点で被災し、10両中8両が脱線した。日本の新幹線史上初の営業運転中の脱線事故となった。

航空・鉄道事故調査委員会からは中間報告が出されたものの、直後に発生したJR福知山線脱線事故の調査が優先されるなどして長らく最終報告がまとめられていなかったが、事故から3年経った2007年(平成19年)11月30日、調査委員会から最終報告書が発表された。当初は瞬間的に車体が浮き上がったものと思われていたが、地震の揺れによって四股を踏んだような状態になり脱線に至ったものと結論付けられた。

この経験が後年に生かされ、2011年3月11日発生の東北地方太平洋沖地震東日本大震災)のときは脱線事故を起こさなかった。

今後の動向

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200系K編成は、2011年(平成23年)6月現在、JR東日本による200系の処遇についての正式な発表はない。

ただし、一部マスコミにより、JR東日本が2011年(平成23年)春以降200系とE1系を廃車、E2系とE4系を上越新幹線に転出させ、山形新幹線直通を除く東北・秋田新幹線の全車両を320km/h対応の新型車両E5系およびE6系に統一する予定であることが報じられている。2011年11月19日よりE5系3編成が新たに運行開始され200系は東北新幹線から姿を消す[18]

2011年11月18日に、200系が東北新幹線の定期運用を離脱する事が発表された。上越新幹線では2011年11月以降も定期運用を続ける[19]

脚注

  1. ^ 『鉄道のテクノロジーVol.1 新幹線』三栄書房、2009年、p.126頁。ISBN 9784779605345 
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 日本機械学会 編『高速鉄道物語 -その技術を追う-』成山堂書店、1999年、p.49頁。ISBN 4-425-92321-9 
  3. ^ 『新幹線電車データブック 2011』(交通新聞社)より
  4. ^ 鉄道車両における車体軽量化設計の実際 : 主として新幹線電車の車体について松田和夫、日本機械学會誌Vol.85, No.764(19820705)、pp. 716 - 721
  5. ^ a b c d e f g h i 日本国有鉄道200系新幹線電車用電気機器 (PDF) 富士時報 第55巻第6号(1982年)、富士電機
  6. ^ 『鉄道ピクトリアル2005年12月号』電気車研究会、2011年、p.21頁。 
  7. ^ a b c 山之内秀一郎 編『東北・上越新幹線 東北・上越から山形・秋田・長野新幹線まで20年の歩み』JTBパブリッシング、2002年、pp.156 - 157頁。ISBN 9784533045134 
  8. ^ 鉄道ファン 2008年7月号(車両配置表)』交友社、2008年、p.44頁。 
  9. ^ a b c d e f g h i j k 『鉄道ファン1996年11月号』交友社、1996年、p.53頁。 
  10. ^ 『鉄道ファン1996年11月号』交友社、1996年、p.56頁。 
  11. ^ a b c 『鉄道のテクノロジーVol.1 新幹線』三栄書房、2009年、p.77頁。ISBN 9784779605345 
  12. ^ 三好裕一 編『新幹線EXPLORER Vol.11 新幹線車両DATABOOK200系』イカロス出版、2009年、p.21頁。 
  13. ^ 東海道・山陽新幹線のATCは220信号以上での抑止速度は現示速度+5km/h(300のみ+3km/h)であるのに対し、東北・上越・長野新幹線では現示速度=抑止速度のため
  14. ^ a b 『名列車列伝シリーズ12 新幹線あさひ&上越特急とき+JR東日本の新幹線電車』イカロス出版、2000年、P.47頁。 
  15. ^ 山之内秀一郎 編『東北・上越新幹線 東北・上越から山形・秋田・長野新幹線まで20年の歩み』JTBパブリッシング、2002年、p.158頁。ISBN 9784533045134 
  16. ^ a b 列車マッサージ廃止 東北新幹線、車両取替で - 共同通信、2003年11月29日。
  17. ^ 但し、山形新幹線については2001年9月21日までK編成による連結運用が設定されていた
  18. ^ “はやてにもE5系 200系は姿消す”. 毎日新聞. (2011年9月12日). http://mainichi.jp/select/wadai/news/20110913k0000m040085000c.html 2011年9月14日閲覧。 [リンク切れ]
  19. ^ 『鉄道ファン2011年12月号』 交友社、2011年、p.17。

関連項目

外部リンク