コンテンツにスキップ

小川国夫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。まつたけ2010 (会話 | 投稿記録) による 2011年12月31日 (土) 08:32個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (→‎随想・紀行)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

小川 国夫(おがわ くにお、1927年昭和2年)12月21日 - 2008年平成20年)4月8日)は、日本小説家

経歴

静岡県志太郡藤枝町(現在の藤枝市本町)に小川富士太郎・まきの長男として生まれる。1933年、青島幼稚園に入園。1934年、青島小学校に入学。1938年、肺結核に腹膜炎を併発し入院、入院3ヶ月後に自宅療養となり、1941年に小学校に復学するまで、安静療養状態が続いた。1942年、旧制志太中学(現・藤枝東高校)に入学、学徒勤労動員で用宗海岸にある小柳造船所に通う。このときの経験は、のちの作品に色濃く投影されることになる。1946年旧制静岡高等学校(現・静岡大学)文科乙類に入学。この頃カトリック洗礼を受ける。洗礼名は、アウグスチノ。

1950年、東京大学国文科に入学。1953年、「東海のほとり」を『近代文学』に発表。その年の10月フランスへわたりパリ大学に3年間私費留学。スペイン北アフリカイタリアギリシアなど、ヨーロッパ各地をヴェスパで旅行する。1956年、フランス留学を終え帰国、大学には戻らずそのまま創作活動にはいる。

すぐに同人雑誌『青銅時代』を創刊。1957年、ヨーロッパを放浪した体験を自伝風に描いた『アポロンの島』を私家版で刊行したがまったく売れず、8年後にそれを唯一買った島尾敏雄が絶賛し、1967年から商業雑誌に登場。古井由吉黒井千次後藤明生らと共に内向の世代の作家と目された。自身の経験から深めた主題として、自然や神と人間との関わりを描いており、非現実や抽象に基づくイメージを交えた内省的かつ簡勁な文体、郷里の静岡県(方言が作品中に多く用いられている)や地中海を原形とする小さい共同体を多く扱うことが特徴である。主としてキリスト教、地中海世界を描いたものが多いが、能楽にも深い関心があった。

1986年「逸民」で川端康成文学賞、1994年『悲しみの港』で伊藤整文学賞、1998年『ハシッシ・ギャング』で読売文学賞、2000年日本芸術院賞受賞、2005年日本芸術院会員、2006年旭日中綬章受章。若い頃は友人で作家の丹羽正の影響もあり、賞嫌いとして知られていた(「賞で伸びる人間もいるが、伸びることができなくなる人間もいる。自分は後者」とは本人の言であり、芥川賞を固辞したとも言われている)。

立原正秋とは若いときから親交があり、その交流は立原の死まで続いた。

息子の母校である静岡聖光学院中学校・高等学校の校歌「聖光讃歌」の作詞をしている。

1990年4月 大阪芸術大学文芸学科教授に就任。平家物語芭蕉芥川などを講じる。のちに創作演習ゼミ、卒業制作ゼミを担当し、学生に小説の書き方を教えるかたわら、同大学発行の文芸雑誌『河南文学』『河南文藝文学篇』の編集人を務めた。2005年3月に退任。

2008年4月8日静岡市内の病院で肺炎のため死去。80歳没[1]

著作

小説

塵に 吾八ぷれす 1973

青銅時代 新潮社 1974 初出「波」昭和48年1月号~12月号

リラの頃、カサブランカへ 角川文庫 1976

温かな髪 河出文庫 1981
青い落葉 成瀬書房 1985

王歌 角川書店 1988 初出「月刊カドカワ」昭和61年1月号~6月号、原題「荒野のダビテ」
遠つ海の物語 絵・司修 岩波書店 1989 初出「静岡新聞・遊子随想」昭和63年8月20日~平成元年7月22日隔週土曜日連載

悲しみの港 朝日新聞社 1994 のち文庫

マグレブ、誘惑として 講談社 1995
ハシッシ・ギャング 文藝春秋 1998
あじさしの洲・骨王 小川国夫自選短篇集 講談社文芸文庫 2004
止島 講談社 2008
弱い神 講談社 2010
襲いかかる聖書 岩波書店 2010 ※後半が中編「明るい体」

蛇王 河出書房新社 『流域』1975—初出「高一時代」昭和49年3月号、原題「秘曲」
捨子 河出書房新社 河出文庫『温かな髪』1981—初出「メルヘンランド」(いんあーとりっぷ増刊号)昭和52年1月、原題「すて子」
骨王 小沢書店 『黙っているお袋』1995—初出「文學界」平成3年1月号、原題「白骨王」
少年ゴ・ニクレ 小沢書店 『黙っているお袋』1995—初出「文學界」昭和55年3月号、原題「苦しみ」

随想・紀行

かくて耳開け 集英社 1972

イエスの風景 写真・善養寺康之 講談社 1982
スペイン憧憬 写真・赤地経夫 講談社 1983
新富岳百景 写真・英伸三 岩波書店 1984
古都アッシジと聖フランシスコ 写真・菅井日人 講談社 1985

祈りの大聖堂シャルトル 写真・菅井日人 講談社 1986

聖書と終末論 岩波書店 1987/小沢書店 1998
回想の島尾敏雄 小沢書店 1987
或る過程 河出書房新社 1988—初出河出書房新社版『小川国夫作品集』後記六回分、「文藝」ある過程として七回掲載分

遊子随想 陽炎の道 岩波書店 1989—初出「静岡新聞」昭和60年8月3日より昭和63年7月23日まで、隔週土曜日連載「遊子随想」76回
藤枝静男と私 小沢書店 1993
私の聖書 岩波書店 1994
昼行燈ノート 文藝春秋 1997
夕波帖 随筆集 幻戯書房 2006
虹よ消えるな 講談社 2008
イエス・キリストの生涯を読む 河出書房新社 2009

書簡・対談他

その声に拠りて 対談集 小沢書店 1976
彼に尋ねよ 対談集 小沢書店 1977

光があった 地中海文化講義 下村寅太郎 朝日出版社レクチャー・ブックス 1979
西方の誘惑 対話 朝日出版社 1981
冬の二人 往復書簡 立原正秋 創林社 1982
闇のなかの夢想 映画学講義 埴谷雄高 朝日出版社レクチャー・ブックス 1982
青の諧調 小川国夫の手紙 小沢書店 1984(『小川国夫の手紙』丹羽正編・著 麦書房版を改題、新装版)

イエス・キリスト NHK人間大学、日本放送協会編 1995

襲いかかる聖書 岩波書店 2010 ※前半が「幻視者の手紙 埴谷雄高・小川国夫往復書簡」と、中篇

全集

翻訳

  • 遥かな海亀の島 ピーター・マシーセン 青山南共訳 講談社 1980
  • イエスの言葉 ジャン=イヴ・ルルー 紀伊国屋書店 1996

作詞

脚注

  1. ^ 静岡新聞 (2008年4月8日). “作家の小川国夫さんが死去 80歳、藤枝市出身”. 4月8日閲覧。accessdateの記入に不備があります。

関連人物

このページはウィキプロジェクト 作家のテンプレートを使用しています。