栃乃洋泰一
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基礎情報 | ||||
四股名 | 栃乃洋 泰一 | |||
本名 | 後藤 泰一 | |||
愛称 | タイチ | |||
生年月日 | 1974年2月26日(50歳) | |||
出身 | 石川県七尾市 | |||
身長 | 187cm | |||
体重 | 161kg | |||
所属部屋 | 春日野部屋 | |||
得意技 | 左四つ、寄り、投げ | |||
成績 | ||||
現在の番付 | 引退 | |||
最高位 | 東関脇 | |||
生涯戦歴 | 669勝700敗31休(96場所) | |||
幕内戦歴 | 556勝628敗31休(81場所) | |||
優勝 | 十両優勝2回 | |||
賞 |
殊勲賞3回 敢闘賞2回 技能賞1回 | |||
データ | ||||
初土俵 | 1996年1月場所 | |||
入幕 | 1997年5月場所 | |||
引退 | 2012年1月場所 | |||
引退後 | 年寄:竹縄 | |||
趣味 | 読書 | |||
備考 | ||||
金星12個 (曙3個、若乃花3個、武蔵丸3個、朝青龍3個) | ||||
2012年1月22日現在 |
栃乃洋泰一(とちのなだ たいいち、1974年2月26日- )は、石川県七尾市出身で春日野部屋に所属した大相撲力士。本名は後藤 泰一(ごとう たいいち)、愛称はタイチ。
現役時代は身長187cm、体重161kg、血液型はO型。趣味は「読書」。得意手は左四つ、寄り、下手投げ、掬い投げ、突き落とし。最高位は東関脇(2001年5月場所)。
現在は、年寄・竹縄を名乗り、春日野部屋で後輩達の指導に当たっている。
来歴
漁師の長男で、小学生の頃から相撲を始める。七尾商業高校(現・七尾東雲高校)を経て、拓殖大学3年生の時には全国学生相撲選手権大会で優勝し学生横綱になるなど活躍をした。拓大相撲部監督の兄であり、中学校、高校、大学を通じての先輩である千賀ノ浦(元関脇・舛田山)を頼って角界入りした。
1996年1月場所にて幕下付出で初土俵を踏み、初土俵から負け越し知らずで小結まで昇進。その後関脇まで昇進したが、2005年7月場所では西前頭6枚目で2日目から途中休場し、翌9月場所は東前頭17枚目まで一気に11枚も番付を落としてしまった。この場所は7勝8敗と負け越したが、東から西に番付がスライドされただけで、辛うじて幕内残留を果たした。しかし翌2005年11月場所、西前頭17枚目で3勝7敗から4連勝したものの、千秋楽に北桜に敗れ7勝8敗と負け越してしまい、翌場所では十両へ陥落となってしまう。この陥落により連続幕内在位記録が52で途切れたが、陥落したその場所で格の違いを見せつけ十両筆頭で13勝2敗と十両優勝し、一場所での幕内復帰を決めた。
得意の左四つから放つ強力な下手投げは上位陣さえ倒すほどで、ここまでで12個もの金星を挙げている。同じ石川県出身の元大関・出島(金沢市出身、現大鳴戸)とは、現役時代同学年のライバル同士であった。元横綱・輪島とも同郷であり、左四つからの左下手投げを得意とする相撲ぶりも似ている。栃乃洋の場合は左の下手投げに加え、土俵際での右の突き落としも知られている。
2004年9月に千賀ノ浦が春日野部屋から分家独立するに当たっては移籍話も挙がったが、春日野部屋からの慰留も強かった。「移籍する場合は年寄株を譲渡させない」との発言もあったとされる。結局、栃乃洋本人の意志で春日野部屋に留まった。
2011年7月場所途中に魁皇が現役を引退したため、関取最年長となった。
その後、2012年1月場所千秋楽に引退を発表し[1]、現在は年寄・竹縄として春日野部屋で後進の指導に当たっている。
珍記録・エピソード
- かつて日本相撲協会に本名の読み「ごとう たいいち」を「ごとう たいち」と誤って記録されていた。
- 不戦勝の数は10回と史上2位の記録をもつ(史上1位は出羽錦の11回)。
- とくに1999年3月場所の10日目の横綱・若乃花戦、翌11日目の同じく横綱・貴乃花戦と2日連続で不戦勝となった。これは史上初のことであり、しかも相手が横綱で兄弟という稀有なケースである。
- この栃乃洋という四股名は実は非常に発声しにくいらしく、アナウンサーにとっても「とちのなだぜき」と澱みなく読むのはニュース原稿よりも難しいとされている。また、フジテレビ『トリビアの泉』のコーナー「トリビアの種」(2004年2月18日放送分)で、「ニュースアナウンサーが一番いいづらい言葉は○○」という種が投稿されたとき、「とちのなだぜき」が第7位に入った。ただし放送時、栃乃洋本人は巡業のため海外におり、帰国時まで自身の四股名が話題になっていることは知らなかった。
- 大阪場所(3月場所)は縁起がよく、初土俵の1996年から2006年まで11年連続で勝ち越していたが、2007年は負け越した。2008年以降は再び勝ち越しを続けた。
- 金星が多いが、金星を獲得した場所は負け越すことが多かった。
- 前半で調子が悪い場合でも、後半で盛り返してきて勝ち越すことがよくあった。
- 引退を発表した日に、誉富士戦で記録した不戦敗が丁度通算700敗目であった。
主な成績
通算成績
- 通算成績:669勝700敗31休(96場所)
- 幕内成績:556勝628敗31休(81場所)
- 幕内在位:81場所
- 三役在位:8場所(関脇2場所、小結6場所)
- 不戦勝:10回
- 不戦勝数は歴代2位(歴代1位は出羽錦の11回)。
各段優勝
- 十両優勝:2回(1996年11月場所、2006年1月場所)
三賞・金星
- 三賞:6回
- 殊勲賞:3回(2001年3月場所、2003年11月場所、2004年9月場所)
- 敢闘賞:2回(1997年7月場所、1997年9月場所)
- 技能賞:1回(2001年1月場所)
- 金星:12個
場所別成績
一月場所 初場所(東京) |
三月場所 春場所(大阪) |
五月場所 夏場所(東京) |
七月場所 名古屋場所(愛知) |
九月場所 秋場所(東京) |
十一月場所 九州場所(福岡) |
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1996年 (平成8年) | 幕下付出60枚目 6–1 | 西幕下31枚目 6–1 | 東幕下13枚目 4–3 | 西幕下7枚目 6–1 | 西幕下筆頭 4–3 | 西十両13枚目 13–2 |
1997年 (平成9年) | 西十両4枚目 10–5 | 東十両筆頭 9–6 | 東前頭16枚目 9–6 | 東前頭11枚目 10–5 敢 | 東前頭2枚目 9–6 敢 | 東小結 6–9 |
1998年 (平成10年) | 西前頭2枚目 7–8 ★ | 東前頭3枚目 9–6 | 東前頭筆頭 7–8 ★ | 西前頭2枚目 5–10 ★ | 東前頭6枚目 7–8 ★ | 西前頭6枚目 6–9 |
1999年 (平成11年) | 東前頭9枚目 8–7 | 西前頭5枚目 9–6 | 東前頭2枚目 3–9–3[3] ★ | 東前頭8枚目 休場[4] 0–0–15 | 東前頭8枚目 5–10 | 西前頭12枚目 10–5 |
2000年 (平成12年) |
東前頭4枚目 6–9 ★ |
東前頭6枚目 9–6 |
東前頭筆頭 5–10 |
東前頭3枚目 7–8 |
西前頭3枚目 4–11 |
西前頭7枚目 10–5 |
2001年 (平成13年) |
西小結 9–6 技 |
西関脇 8–7 殊★ |
東関脇 4–11 |
東前頭3枚目 6–9 |
西前頭5枚目 8–7 ★ |
西前頭4枚目 7–8 |
2002年 (平成14年) |
東前頭6枚目 8–7 |
東前頭3枚目 8–7 |
西小結 7–8 |
東前頭筆頭 7–8 ★ |
西前頭筆頭 4–11 |
東前頭6枚目 6–9 |
2003年 (平成15年) |
東前頭10枚目 11–4 |
東前頭2枚目 9–6 |
東前頭筆頭 8–7 |
西小結 7–8 |
西前頭筆頭 8–7 |
東前頭筆頭 8–7 殊★★ |
2004年 (平成16年) |
東小結 6–9 |
東前頭3枚目 8–7 |
東前頭筆頭 5–10 |
西前頭6枚目 9–6 |
西前頭3枚目 11–4 殊★ |
西小結 6–9 |
2005年 (平成17年) |
西前頭筆頭 5–10 |
西前頭4枚目 8–7 |
西前頭2枚目 5–10 |
西前頭6枚目 0–2–13[5] |
東前頭17枚目 7–8 |
西前頭17枚目 7–8 |
2006年 (平成18年) |
東十両筆頭 13–2 |
西前頭12枚目 8–7 |
西前頭9枚目 6–9 |
東前頭12枚目 10–5 |
東前頭5枚目 7–8 |
西前頭5枚目 7–8 |
2007年 (平成19年) |
西前頭6枚目 6–9 |
西前頭9枚目 7–8 |
西前頭11枚目 8–7 |
東前頭9枚目 10–5 |
東前頭2枚目 4–11 |
西前頭7枚目 8–7 |
2008年 (平成20年) |
西前頭3枚目 5–10 |
西前頭8枚目 8–7 |
東前頭8枚目 9–6 |
西前頭3枚目 7–8 ★ |
西前頭4枚目 6–9 |
西前頭7枚目 5–10 |
2009年 (平成21年) |
西前頭10枚目 8–7 |
東前頭8枚目 8–7 |
東前頭5枚目 5–10 |
西前頭9枚目 6–9 |
西前頭12枚目 4–11 |
東十両2枚目 8–7 |
2010年 (平成22年) | 西前頭15枚目 5–10 | 西十両2枚目 10–5 | 東前頭14枚目 3–12 | 東十両6枚目 9–6 | 東前頭14枚目 8–7 | 西前頭13枚目 6–9 |
2011年 (平成23年) | 西前頭16枚目 9–6 |
八百長問題 により中止 | 西前頭14枚目 6–9 | 西前頭14枚目 6–9 | 東十両筆頭 4–11 | 東十両9枚目 8–7 |
2012年 (平成24年) | 東十両8枚目 引退 3–12–0 | x | x | x | x | x |
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。 優勝 引退 休場 十両 幕下 三賞:敢=敢闘賞、殊=殊勲賞、技=技能賞 その他:★=金星 番付階級:幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口 幕内序列:横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列) |
改名歴
四股名
- 後藤 泰一(ごとう たいいち) 1996年1月場所 - 1996年9月場所
- 栃乃洋 泰一(とちのなだ -) 1996年11月場所 - 2012年1月場所
年寄名
- 竹縄 泰一(たけなわ たいいち) 2012年1月22日 -
脚注
- ^ 日本相撲協会ツイッター
- ^ “Rikishi in Juryo and Makunouchi” (English). szumo.hu. 2007年9月24日閲覧。
- ^ 左肘内側側副靱帯損傷により途中休場。
- ^ 公傷
- ^ 右大腿屈筋腱損傷により途中休場。