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りりィ

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りりィ
出生名 鎌田小恵子
生誕 (1952-02-17) 1952年2月17日(72歳)
出身地 日本の旗 日本福岡県福岡市
ジャンル フォークJ-POP
職業 シンガーソングライター女優
担当楽器 ベース
活動期間 1972年 -
レーベル 東芝EMI
ビクターインビテーション
BMG JAPAN
コロムビア
事務所 アルファーエージェンシー
公式サイト Lily-Yoji Live Freak

りりィ(Lily、1952年2月17日 - )は福岡県福岡市天神町(現・中央区天神)出身のシンガーソングライター女優である。本名は鎌田小恵子。アルファーエージェンシー所属。音楽のほか女優としても活躍しており、ドラマ・映画・CMに多数出演している。長男はロックバンドFUZZY CONTROLのボーカル&ギター、JUON。長男の妻はDREAMS COME TRUEのボーカリスト・吉田美和

略歴

子役モデルとして芸能活動を始める。

1971年、下田逸郎のアルバム『遺言歌』に参加。レーニアという名前で「ひとりひとり」という楽曲のリードボーカルをつとめる。

1972年、東芝EMIより歌手デビュー。独特のハスキーヴォイスで一世を風靡。 1974年のシングル「私は泣いています」が97万枚を越える大ヒット[1]を記録する。

東芝EMI時代にはバックバンドとして「バイ・バイ・セッション・バンド」を従えていた。坂本龍一は著書で「その当時、在京のミュージシャンに最も人気の高いセッションバンドはサディスティック・ミカ・バンドバイ・バイ・セッション・バンドであり、多くのミュージシャンが入れ替わり立ち替わり参加していた」というようなことを述懐している。主なメンバーには木田高介土屋昌巳など。バイ・バイ・セッション・バンドは現在も再結成し全国のライブハウスなどで公演している。ただし、りりィとの共演は久しく行われていない。

1982年ビクター音楽産業に移籍。その後二度目の結婚をし芸能活動を休止。長男(後のJUON)をもうけた。子育て中は郊外に移り住んでメディア露出も控え、数年間主婦業に専念していたが、子育てが一段落したことから活動を再開した。

1999年からは斉藤洋士と「Lily-Yoji」(りりィアンドヨージ)というユニットを結成。全国各地で活動している。

2009年に放映された『救命病棟24時』第4シリーズの第5話に患者役として出演。同ドラマの主題歌でDREAMS COME TRUEの楽曲『その先へ』はJUONが所属しているバンド・FUZZY CONTROLをフィーチュアリングアーティストとして迎えて製作された物であり、親子競演となった。

ディスコグラフィー

シングル

  • にがお絵 (c/w 私の映画)(1972年5月5日)
  • クイズの賞金 (c/w 沖縄にて)(1972年10月5日)[2]
  • 心が痛い (c/w スプリング・ハズ・カム) (1973年7月5日) - オリコン72位
  • 私は泣いています (c/w 皮肉) (1974年3月5日)[3] - 両面ともシングル・バージョン。オリコン3位
  • 風のいたみ (c/w バイ・バイ・セッション・バンド)(1974年9月5日) - オリコン43位
  • しあわせさがし (c/w 春早朝) (1975年3月5日)[4] - オリコン40位
  • 月のセレナーデ (c/w あなたの影が去った時)(1975年)
  • 家へおいでよ (c/w オレンジ村から春へ) (1976年3月20日)[5] - オリコン14位
  • 涙のない町(c/w さようならになった日) (1976年10月)
  • ミス・キャロン・ターバット(c/w 心は夏に誘われて)(1977年5月)
  • 綺麗になりたい(c/w ラブ) (1977年)
  • さわがしい楽園(c/w 水鏡のなか) (1978年)
  • E・S・P(c/w 気にしないで ) (1978年)
  • ベッドで煙草を吸わないで(c/w ひとりよりふたり)(1978年9月)
  • おやしらず(c/w P.S. I LOVE YOU) (1979年)
  • 涙の第三京浜(c/w ジュリア) (1980年11月)
  • 涙のドライビング(c/w 天動説の女) (1981年4月)
  • モダン・ロマンス(c/w ペントハウスで恋をして)(1982年7月)
  • さらさら(c/w 誘惑) (1982年10月)
  • Wooman(c/w グッバイ・シティ)(1983年1月)
  • さよならアリス(c/w ハッピーバース)(1983年7月)
  • 風のバレリーナ(c/w 白い旅人)(1986年9月21日) - オリコン47位
  • さよならロンリネス(c/w Really Want You, Lover)(1988年5月21日)
  • Rescue you(c/w 天使の記憶)(1989年6月7日)
  • でも さよならが言えない(c/w 風の子守唄)(1995年2月22日)りりィ in PAB名義
  • にがお絵 (c/w 恋するリリィ)(1972年)B面のみ 角田ヒロ 高中正義 リリィ名義[6]

アルバム

  • たまねぎ(1972年)
  • Dulcimer(ダルシマ)(1973年7月)[7]
  • タエコ(1974年)
  • りりィLive(1974年) - ここまで木田高介プロデュース
  • ラブ・レター(1975年2月)
  • AUROILA(1976年)
  • りりシズム(1977年)
  • マジェンタ(MAGENTA)
  • 南十字星(1980年)
  • モダン・ロマンス (Modern Romance)(1982年)
  • Say(1983年)
  • Rescue You (1989年)
  • 愛(1995年)
  • りりィ in PAB(1995年6月21日)

ベストアルバム

  • I WANT YOU-scene 1974~1986-(1986年12月16日)
  • TWIN BEST りりィ(1996年11月27日)
  • ゴールデン☆ベスト りりィ(2004年11月17日)

主な出演作品

ラジオドラマ

テレビドラマ

その他のテレビ番組

ラジオ

映画

CM

脚注

  1. ^ これは累計の数字。古い資料によっては76万枚。りりィ公式HPでは大雑把に100万枚としている。
  2. ^ 1974年7月に別の品番で再発され、オリコン85位。オリジナル盤と若干ジャケットデザインが異なるが音源は同一。
  3. ^ このシングルまでの4枚は「リリィ(カタカナ表記)」名義。
  4. ^ B面曲「春早朝」は資生堂・1975年春のキャンペーンソングに使われた。
  5. ^ 前年に続き、B面曲「オレンジ村から春へ」が資生堂・1976年春のキャンペーンソングに使われた。 また、後年宮崎県で、「サンA」のブランドで知られている宮崎県農協果汁のオレンジジュースのCMソングにも使われた。
  6. ^ アルバム「たまねぎ」のプロモーションシングル。B面は角田ヒロが歌う英語詞の曲に乗って『名前はリリィ。あと28日で二十歳』など本人のナレーションが入る。非売品
  7. ^ LP盤レーベルに記載されていたでたらめな英語タイトル(当時の東芝EMIエキスプレスはよくそういうことがあった): 1.GOOD BY OF STRANGER 2.I LEFT MY BLUES 3.MY DEAR Mr.ROMANCE 4.JUN 5.PIPE LOVE 6.NOTHING BY MOUTH 7.SPRING HAS COME 8.DAY BREAK 9.DON'T EAT THE APPLE 10.AS I CAN'T SLEEP(2) 11.WHY

関連項目

外部リンク