トリー・ハンター
ロサンゼルス・エンゼルス #48 | |
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基本情報 | |
国籍 | アメリカ合衆国 |
出身地 | アーカンソー州パインブラフ |
生年月日 | 1975年7月18日(49歳) |
身長 体重 |
6' 2" =約188 cm 225 lb =約102.1 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 中堅手、右翼手 |
プロ入り | 1993年 ドラフト1巡目(全体10位) |
初出場 | 1997年8月22日 |
年俸 | $18,500,000(2011年)[1] |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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トリー・ケダー・ハンター(Torii Kedar Hunter, 1975年7月18日 - )はアーカンソー州パインブラフ出身[2]のアメリカメジャーリーグ、ロサンゼルス・エンゼルス所属の外野手。右投げ右打ち。
経歴
電気技師の父親と小学校教師の母親の間に生まれた[2]。高校時代から桁違いの身体能力の高さで、野球以外にもアメリカンフットボール、バスケットボール、陸上競技でそれぞれ大活躍を見せた[2]。アメリカンフットボールではオフェンスで強肩のクォーターバックとして、ディフェンスでハードヒットが売りのフリーセイフティとしてプレーした[2]。
1992年にはジュニアオリンピック全米代表に選ばれたが、家が経済的に厳しい状態であったため参加者負担金の500ドルが払えず、当時アーカンソー州知事であったビル・クリントンに手紙を書いて窮状を訴えたところ、すぐに500ドルの小切手を送ってくれたため参加できたというエピソードがある[2][3]。
1993年のドラフトでミネソタ・ツインズから1位指名(全体10番目)を受けキャリアをスタート。ドラフト前にはペパーダイン大学から奨学金つきのリクルーティングも受けていた[2]。
1997年8月22日のオリオールズ戦で代走としてメジャーデビューを果たした。この年はこの1試合のみでメジャー1年目を終えた。
1998年は4月29日にメジャーに昇格し、5月1日のオリオールズ戦でメジャー初安打を放った。5月12日に再びマイナーに降格しその後メジャー昇格はならなかった。
1999年、中堅手のレギュラーとなり、135試合に出場。292回の守備機会のうち失策はわずか1つだった。
2000年は開幕からメジャーでプレーをしていたが、5月25日にマイナーに降格した。7月28日に再びメジャーに昇格し、8月2日以降、打率.355の高打率をマークし、8月12日から15日にかけて3試合連続本塁打を放っている[4]。
2001年4月6日から21日かけて故障者リスト入りとなったが、本塁打を前年の5本からチーム最多となる27本にのばすなど打撃力も向上し、守備でもゴールドグラブ賞も初受賞した。以後2009年まで9年連続で同賞を受賞している。
2002年4月にはプレイヤー・オブ・ザ・マンスを初受賞し、オールスターにファン投票での初出場となった。これは球団史上1995年のカービー・パケット以来となるファン投票での選出となった[5]。シーズン終了後日米野球に参加。第1戦と第3戦では本塁打を放ち、また守備でも随所に好プレーを見せ、MVPに選出された。 4年総額3,200万ドルで契約延長し、チームの野手の中で最高年俸となり、責任感が強く感じるようになり、それがプレッシャーになったという[6]。
2003年は打率は.250と低迷したが、球団の外野手としては1996年のマーティ・コードバ以来となるシーズン100打点を達成した[7]。シーズン終了後に打撃を見直すため、打撃コーチ以外にカービー・パケット、ポール・モリター、ボビー・ボニーヤらにアドバイスを求め、スプリングトレーニングではリラックスを心がけた[6]。2004年は開幕直後の4月9日から24日にかけてハムストリングスの故障で故障者リスト入りとなったが、5月15日のホワイトソックス戦で4打数4安打、2本塁打を放ち、通算100本塁打を達成した[8]。しかし、6月2日のデビルレイズ戦でダイビングキャッチを試みた際に左手首を、8月19日のヤンキース戦ではフェンスに激突して首を、9月17日のオリオールズ戦では守備の際に左ヒザを負傷するなど、満身創痍でシーズンを終えた[9]。
2006年はトレードが噂されたが、チームがプレーオフ進出の可能性が出でてきたため残留[10]。8月・9月に15本塁打を放ち、自身初の30本塁打以上を記録した。
2007年は1,200万ドルでオプションを行使し、ツインズと再契約した。同年は自身2回目のオールスターゲームに出場し、自己最多の160試合、45二塁打、107打点を記録。シーズンオフにFA宣言をし、一時、シカゴ・ホワイトソックスと合意の見込みと報じられたが、下馬評に上がっていなかったロサンゼルス・エンゼルスに5年総額9,000万ドルでFA移籍した[11][12]。全体的に前年より成績を落としたが、打線の迫力不足のエンゼルスの5番打者として十分な働きを見せ、100勝しての地区優勝に貢献した。
2009年はボビー・アブレイユの打撃に刺激を受けて選球眼が向上し、その結果四球が増え、出塁率は過去最高の3割6分6厘を記録。初のシルバースラッガー賞を獲得した。ただしロザンゼルス・ドジャース戦でフェンスに激突し、5週間故障者リストに入っている。[13]
2010年8月、有望株のピーター・ボージャスにセンターのポジションを譲り、ライトへコンバートされた。
2011年は前年と同じく23本塁打を放ったものの、打率は.262と大きく落とす。更に盗塁数は5と成績を落とした。
選手としての特徴
守備の名手として知られ、2001年から2009年までに9年連続でゴールドグラブ賞を受賞した。2002年のオールスターゲームでバリー・ボンズの放った本塁打性の打球をジャンプしてもぎ取ったプレーが注目を浴びて以来、本塁打になりそうな打球をジャンプで捕球するプレーが代名詞となり、そこからホームラン・ハンターのニックネームがつけられている。同じく外野手をポジションとし、2001年から10年連続でゴールドグラブ賞を受賞しているイチローとは互いに意識しあっている[14]。
一方で、2006年からはUZRがマイナスに転落するなど、セイバーメトリクスの視点からは守備力の落ち込みが顕著になっており、ゴールドグラブ賞の受賞に疑問を呈する声も上がっていた[15]。2010年には遂に右翼手にコンバートされ、ゴールドグラブ賞の受賞も途切れた。
打撃ではスイングが大きいため打席から一塁までのスピードは4.4秒と平均を下回るが、バットスピードが速く、腕を伸ばしてボールを捉えることを好み、センター方向の打球が良く伸びる[16]。
特筆
ファンを大切にし、面倒見がよくチームメイトからも人気がある。ユーモアのセンスがありコメントを嫌がらないのでメディアの受けもいい。
社会貢献に熱心。恵まれない家庭の奨学金の付与や球場の建設、前立腺がん患者への支援を行っている。[17]アフリカ系アメリカ人の野球人口が減少していることに危機感を覚えており(1975年には27%に達していたが、2006年にはわずか8%まで低下したと6月2日付けのアメリカ有力紙、USA Todayは"Where are black ballplayers?"という記事で特集を組んでいる。2009年時点では10.2%。)、"Torii Hunter Project"と称する黒人野球選手振興プログラムを行っている。このプログラムでは他のアフリカ系のプレーヤーに呼びかけて寄付金を募り、それを大リーグ機構が行う振興プログラムとは全く別に4都市のリトルリーグチームをサポートするというものである。このプログラムには元チームメートのシャノン・スチュワート、通算500本塁打を記録しているゲイリー・シェフィールド、元シアトル・マリナーズのカール・エバレット、ピッツバーグ・パイレーツのデレク・リー、メジャーリーグ歴代5位となる630本塁打の記録を保持しているケン・グリフィー・ジュニアなどが賛同している。2007年にはこの功績が認められ、地域社会に貢献したプレーヤーに与えられるマービン・ミラー賞に選出された。2009年にはブランチ・リッキー賞も受賞している。
愛車はベントレー。
獲得タイトル・記録
- ゴールドグラブ賞 9回:2001年 - 2009年
- シルバースラッガー賞 1回:2009年
- MLBオールスターゲーム選出 4回:2002年、2007年、2009年、2010年
年度別打撃成績
年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
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1997 | MIN | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | .000 | .000 | .000 | .000 |
1998 | 6 | 19 | 17 | 0 | 4 | 1 | 0 | 0 | 5 | 2 | 0 | 1 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 6 | 1 | .235 | .294 | .316 | .610 | |
1999 | 135 | 422 | 384 | 52 | 98 | 17 | 2 | 9 | 146 | 35 | 10 | 6 | 1 | 5 | 26 | 1 | 6 | 72 | 9 | .255 | .309 | .380 | .689 | |
2000 | 99 | 358 | 336 | 44 | 94 | 14 | 7 | 5 | 137 | 44 | 4 | 3 | 0 | 2 | 18 | 2 | 2 | 68 | 13 | .280 | .318 | .408 | .726 | |
2001 | 148 | 603 | 564 | 82 | 147 | 32 | 5 | 27 | 270 | 92 | 9 | 6 | 1 | 1 | 29 | 0 | 8 | 125 | 12 | .261 | .306 | .479 | .785 | |
2002 | 148 | 604 | 561 | 89 | 162 | 37 | 4 | 29 | 294 | 94 | 23 | 8 | 0 | 3 | 35 | 3 | 5 | 118 | 17 | .289 | .334 | .524 | 858 | |
2003 | 154 | 642 | 581 | 83 | 145 | 31 | 4 | 26 | 262 | 102 | 6 | 7 | 0 | 6 | 50 | 7 | 5 | 106 | 15 | .250 | .312 | .451 | .763 | |
2004 | 138 | 569 | 520 | 79 | 141 | 37 | 0 | 23 | 247 | 81 | 21 | 7 | 0 | 2 | 40 | 4 | 7 | 101 | 23 | .271 | .330 | .475 | .805 | |
2005 | 98 | 416 | 372 | 63 | 100 | 24 | 1 | 14 | 168 | 56 | 23 | 7 | 0 | 4 | 34 | 3 | 6 | 65 | 8 | .269 | .337 | .452 | .789 | |
2006 | 147 | 611 | 557 | 86 | 155 | 21 | 2 | 31 | 273 | 98 | 12 | 6 | 0 | 4 | 45 | 2 | 5 | 108 | 19 | .278 | .336 | .490 | .826 | |
2007 | 160 | 650 | 600 | 94 | 172 | 45 | 1 | 28 | 303 | 107 | 18 | 9 | 0 | 5 | 40 | 10 | 5 | 101 | 17 | .287 | .334 | .505 | .839 | |
2008 | LAA | 146 | 608 | 551 | 85 | 153 | 37 | 2 | 21 | 257 | 78 | 19 | 5 | 0 | 1 | 50 | 6 | 6 | 108 | 15 | .278 | .344 | .466 | .810 |
2009 | 119 | 506 | 451 | 74 | 135 | 26 | 1 | 22 | 229 | 90 | 18 | 4 | 0 | 5 | 47 | 4 | 3 | 92 | 9 | .299 | .366 | .508 | .873 | |
2010 | 152 | 646 | 573 | 76 | 161 | 36 | 0 | 23 | 266 | 90 | 9 | 12 | 0 | 5 | 61 | 6 | 7 | 106 | 22 | .281 | .354 | .464 | .819 | |
2011 | 156 | 649 | 580 | 80 | 152 | 24 | 2 | 23 | 249 | 82 | 5 | 7 | 0 | 3 | 62 | 2 | 4 | 125 | 24 | .262 | .336 | .429 | .765 | |
通算:15年 | 1807 | 7303 | 6647 | 987 | 1819 | 382 | 31 | 281 | 3106 | 1051 | 177 | 88 | 2 | 46 | 539 | 50 | 69 | 1301 | 204 | .274 | .332 | .467 | .800 |
- 2011年度シーズン終了時
脚注
- ^ “Torii Hunter Stats, News, Pictures, Bio, Videos” (英語). ESPN.com. 10月8日閲覧。accessdateの記入に不備があります。
- ^ a b c d e f “Torii Hunter Biography”. jockbio.com. 2010年9月22日閲覧。
- ^ 友成那智、村上雅則『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2009』廣済堂出版、2009年、197頁頁。ISBN 978-4-331-51370-5。
- ^ “Torii Hunter 2000 Career Highlights” (英語). 4月14日閲覧。accessdateの記入に不備があります。
- ^ “Torii Hunter 2002 Career Highlights” (英語). 4月14日閲覧。accessdateの記入に不備があります。
- ^ a b 「各球団マンスリー・リポート ミネソタ・ツインズ / 主砲が昨年の反省を踏まえ、ヤル気 ハンターのテーマは“リラックス”」『月刊メジャー・リーグ』2004年6月号、ベースボールマガジン社、2004年、雑誌 08625-3、53頁。
- ^ “Torii Hunter 2003 Career Highlights” (英語). 4月14日閲覧。accessdateの記入に不備があります。
- ^ “Torii Hunter 2004 Career Highlights” (英語). 4月14日閲覧。accessdateの記入に不備があります。
- ^ 『月刊スラッガー』2004年12月号、日本スポーツ企画出版社、71頁
- ^ 友成那智、村上雅則『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2007』廣済堂出版、2007年、118頁頁。ISBN 978-4-331-51213-5。
- ^ 友成那智、村上雅則『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2008』廣済堂出版、2008年、197頁頁。ISBN 978-4-331-51300-2。
- ^ “The Official Site of The Los Angeles Angels of Anaheim: News: A marriage made in heaven” (英語). 4月14日閲覧。accessdateの記入に不備があります。
- ^ 村上雅則監修 友成那智編著 『メジャー・リーグ完全データ選手名鑑2010』廣済堂出版、2010年、197ページ。
- ^ 丹羽政善 『イチローとハンター 互いに意識し合う最高のセンター』 2007年8月16日付
- ^ Dave Cameron (2010-08-03), Torii Hunter, Right Fielder, FanGraphs Baseball(英語), 2010年11月20日閲覧
- ^ スカウティング・レポート『月刊スラッガー』2003年7月号、日本スポーツ企画出版社、雑誌15509-7、9-11頁。
- ^ 村上雅則監修 友成那智編著 『メジャー・リーグ完全データ選手名鑑2010』廣済堂出版、2010年、197ページ。
外部リンク
- 選手の通算成績と情報 MLB、ESPN、Baseball-Reference、Fangraphs、The Baseball Cube、Baseball-Reference (Register)
- トリー・ハンター48・ドット・コム