日本エスペラント協会
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創立者 | 小坂狷二 |
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団体種類 | 一般財団法人 |
設立 | 1926年7月2日 |
所在地 | 東京都新宿区早稲田町12-3 |
法人番号 | 1011105005411 |
主要人物 | 柴山純一(理事長) |
活動地域 |
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活動内容 | エスペラントの研究、大会の主催、エスペラント書籍の出版・販売など |
収入 | 5480万円(2007年度)[1] |
基本財産 | 1億6743万円(2007年度末)[2] |
会員数 | 1194人(財団法人の維持員 2010年度末)[3] |
ウェブサイト | http://www.jei.or.jp/ |
2012年4月1日に公益法人から一般財団法人に移行 |
一般財団法人日本エスペラント協会(にほんエスペラントきょうかい、エスペラント: Japana Esperanto-Instituto, JEI)は、エスペラントの普及活動を目的とする一般財団法人である。
概要
東京都新宿区早稲田町に事務所、図書館をおき、山梨県北杜市に八ヶ岳エスペラント館という研修施設・図書館分館を持つ。
目的として次のことを掲げている。「本会は国際語エスペラントの普及発展を図るを以て目的とし併せて国際語エスペラントに依る我国文化の世界的発揚に資せむことを期す」(寄附行為第2条[4])
目的を達成するための会の事業として、次の4点を掲げている。(寄附行為第3条[4])
- 国際語エスペラントに関する各種の研究調査及其の発表
- 講演会及講習会の開催及其の後援
- 雑誌及図書等の刊行
- 其の他本会の目的を達成する為必要と認むる事業
実施事業
- エスペラントの書籍の出版・販売
- 月間機関誌La Revuo Orienta(ISSN 0035-4406)の発行
- エスペラントのイベントの主催
- 日本エスペラント大会の共催
- エスペラントの研究
- エスペラント学力検定試験の実施
- 世界エスペラント協会(UEA)において、日本を代表する国別団体(Landa Asocio)の役割
沿革
- 1919年12月20日 - 任意団体として日本エスペラント学会が発足。この当時の中心者は小坂狷二である。
- 1920年 - La Revuo Orientaを創刊。
- 1926年7月2日 - 文部省(現:文部科学省)に認可され、財団法人日本エスペラント学会になる。初代理事長は中村精男。
- 1936年 - 国際エスペラント連盟に加盟。
- 1939年 - エスペラント学力検定試験が始まる。
- 1940年 - 国際エスペラント連盟を脱退。
- 1956年 - 世界エスペラント協会に加盟。
- 1965年 - アジア初開催となる第50回世界エスペラント大会を東京に招致。
- 2004年6月 - La Revuo Orienta 1000号記念号。
- 2007年 - 第92回世界エスペラント大会を横浜市に招致。
- 2012年4月1日 - 公益法人制度改革に伴い公益法人から一般財団法人に移行。併せて日本語名称を一般財団法人日本エスペラント協会に変更。ただし、エスペラント名称は変更せず、Japana Esperanto-Institutoを引き続き使用している[5]。主務官庁制度廃止前の所管は文部科学省研究振興局学術研究助成課。
過去の同名の団体
過去に2期、この名前の全国的なエスペラント団体が存在した[6]。
- (第1期)日本エスペラント協会(Japana Esperantista Asocio) - 1906年6月12日に黒板勝美らにより発足。1919年の日本エスペラント学会発足により実質的な活動を終えるが、1926年の日本エスペラント学会の法人化までは形式的に存続。
- (第2期)日本エスペラント協会(Japana Esperantista Asocio) - 1946年6月23日に小松文夫を委員長として発足。日本エスペラント学会を学習・研究の機関とし、自らをエスペラント普及運動の機関と位置づけた。その後、分業体制が機能せず、1950年12月4日に解散。
脚注
- ^ 2007年度収支計算書、2009年1月31日閲覧。
- ^ 貸借対照表(2008年3月31日現在)、2009年1月31日閲覧。
- ^ 事業報告書、2012年4月29日閲覧。
- ^ a b 財団法人日本エスペラント学会 寄附行為
- ^ 一般財団法人への移行と名称変更のご挨拶
- ^ 初柴武美『日本エスペラント運動史』、1988( ISBN 4-88887-012-8 )