ジョン・オシェイ
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名前 | ||||||
本名 | ジョン・フランシス・オシェイ | |||||
愛称 | シェシー、ジョニー、ジョシュ | |||||
ラテン文字 | John O'Shea/Seán Ó Sé | |||||
Seán Ó Sé | Seán Ó Sé | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 |
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生年月日 | 1981年4月30日(43歳) | |||||
出身地 | ウォーターフォード | |||||
身長 | 190cm | |||||
体重 | 88kg | |||||
選手情報 | ||||||
在籍チーム |
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ポジション | DF(CB、SB)/MF(DH、CH、SH) | |||||
背番号 | 16 | |||||
利き足 | 右足 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 (得点) | ||||
1998-2011 2000 2001 2011- |
マンチェスター・ユナイテッドFC →AFCボーンマス(loan) →ロイヤル・アントワープ(loan) サンダーランドAFC |
246 (10) 10 (1) 14 (0) () | ||||
代表歴2 | ||||||
2001– |
![]() | 77 (1) | ||||
1. 国内リーグ戦に限る。2011年5月22日現在。 2. 2012年2月29日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/3/33/John_O%27Shea_CL_semi_0809.jpg/200px-John_O%27Shea_CL_semi_0809.jpg)
ジョン・オシェイ(John O'Shea, アイルランド語ではSeán Ó Sé、1981年4月30日 - )はアイルランド、ウォーターフォード出身の同国代表のサッカー選手。所属クラブはサンダーランドAFC。左右のサイドバック、センターバック、セントラルミッドフィールダーこなすユーティリティー・プレイヤーである。
来歴
トップチームデビュー
1999年にリーグカップのアストン・ヴィラ戦でトップチームデビュー。2001-02シーズンにはトップチームに定着し、2002-2003シーズンには34試合に出場。主にセンターバック、レフトバックとして出場を重ねる。しかし2003-2004シーズンにはプレーに積極性を欠き、また軽率なミスも目立つようになった為、ファンの批判を浴びるようになった。
ユーティリティーマンへの転身
2004-2005シーズンになるとアルゼンチン代表のガブリエル・エインセの加入により、レフトバックでの出場機会は殆ど失われるが、怪我人の多いチーム事情もあり、セントラルミッドフィールダーやセンターバック、ライトバックとして頻繁に試合に出場した。
2005-2006シーズンもまたあちこちのポジションで先発を務め、ポジション不定のレギュラーメンバーという新ジャンルを開拓することとなる。前半戦ではエインセの怪我により主にレフトバックを務め、後半戦では、ロイ・キーンのセルティック移籍、アラン・スミスやポール・スコールズの故障など、セントラルミッドフィールダーが払底した為、ライアン・ギグスやダレン・フレッチャーとともにセントラルミッドフィールダーのレギュラーとなった。
2006-2007シーズン序盤はセントラルミッドフィールダーとして先発することが多かったが、キャリックの復帰とともに控えに回り、守備固めや怪我人の穴埋めとして後半に交代出場するという起用法が増えていった。そして2007年2月4日のトッテナム戦、ロビー・キーンとのマッチアップで負傷したファン・デル・サールに代わり、ついにゴールキーパーを務めるまでにいたった。
これはチームが交代枠をすでに使い切ってしまっていたためだったのだが、ペナルティエリアという既成概念にとらわれない斬新なプレイスタイルで1対1の場面で相手を止めるなどユナイテッドの完封勝利に貢献。この時ベンチで観戦していたウェイン・ルーニーなどチームメイトや、スタンドのサポーターはオシェイの好プレーに笑みを浮かべる場面もあった。この試合がきっかけで日本の熱狂的なファンのなかでは「ミラクルオシェイ」と呼ぶ人も多い(ただし、ミスも犯すこともあることに対する皮肉でもある)。
ちなみにこのシーズン、オシェイはリーグ一の得点決定率を誇った[1]。
二冠チームの一員として
2007-2008シーズンもオシェイはベンチスタートが中心であったが、試合の大勢が決した後半に、休ませたい選手や今ひとつフィットしていない選手の代わりとして数多く出場。プレミアシップとチャンピオンズリーグの二冠に貢献した。またこのシーズン、オシェイはついにストライカーとして試合に出場。マンチェスター・ユナイテッドでゴールキーパーを含む全てのポジションを経験した選手となった。またリーグカップでは初めてマンチェスター・ユナイテッドのキャプテンマークを巻くこととなった。
2008-2009シーズンもオシェイは控え選手としてのスタートであったが、ガリー・ネヴィルとウェズ・ブラウンの故障によりサイドバックとしての先発の機会を増やし、最終的には54試合に出場(うち42試合で先発)。チャンピオンズリーグ準決勝アーセナル戦2回戦で決勝ゴールを決めるなど、チームの三冠(世界クラブ選手権、リーグカップ、プレミアリーグ)に貢献した。ファーガソン監督はオシェイの活躍を評し、「かつてのデニス・アーウィンのような隠れた英雄(unsung hero)」と語った[2]。
2009-2010シーズンのプレミアリーグ開幕戦ではゲーム・キャプテンとして先発している。
2011年7月7日、ウェズ・ブラウンとともにサンダーランドAFCへ加入。
代表キャリア
アイルランド代表ではEURO2004予選からレフトバックのレギュラーの位置を獲得しつつあるが、スティーヴ・ストーントン監督の就任、ケニー・カニンガムの代表引退とともにセンターバックのポジションもこなすようになった。
私生活
2010年6月にイヴォンヌ・マニングとキルデア州にある教会で結婚式を挙げた。
所属クラブ
- 1998年-2011年
マンチェスター・ユナイテッドFC
- →2000年
AFCボーンマス(loan)
- →2001年
ロイヤル・アントワープFC (loan)
- 2011年-
サンダーランドAFC
注
- ^ 放った全てのシュートが枠内に飛び、そのうち8割がゴールマウスを割っている。
- ^ ‘Unsung’ O’Shea set for final start
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