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川内優輝

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川内優輝 Portal:陸上競技
選手情報
ラテン文字 Yuki KAWAUCHI
国籍 日本の旗 日本
種目 長距離走マラソン
所属 埼玉県庁
生年月日 (1987-03-05) 1987年3月5日(37歳)
出身地 日本の旗 東京都世田谷区
身長 174cm[1]
体重 62kg[1]
自己ベスト
ハーフマラソン 1時間02分18秒(2012年)
マラソン 2時間08分37秒(2011年)
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川内 優輝(かわうち ゆうき、1987年(昭和62年)3月5日 - )は、日本陸上競技選手、専門は長距離走マラソン埼玉県県庁職員。埼玉陸上競技協会所属。

来歴

生い立ちから現在・陸上選手に至るまで

東京都世田谷区出身[1]。父親は島根県隠岐島の出身であり[1][2]、高校時代に国体にも出場したアマチュアボクサーであった。優輝は3人兄弟の長男にあたる。

小学校入学前に埼玉県久喜市に転居[1]鷲宮町立鷲宮中学校[3]埼玉県立春日部東高等学校を経て学習院大学法学部政治学科卒業後[4]、埼玉県庁入庁。埼玉県庁教育局所属。現在は、埼玉県立春日部高等学校定時制に埼玉県職員として配属されている。

大学時代・箱根駅伝2回出場

高校時代は県大会レベルの選手だったが、学習院大学時代に関東学連選抜の選手として箱根駅伝に2度出場[5]。学習院大学の学生として初めて箱根路を走った。2007年(平成19年)は6区区間6位[6]2009年(平成21年)は6区区間3位。また2008年(平成20年)にはニューカレドニア国際マラソンのハーフマラソンで優勝している[7]

市民ランナーとして

大学卒業後は公務員として2009年4月に埼玉県庁入庁。埼玉県立春日部高校定時制主事として勤務する傍ら練習を続け[8]、「市民ランナー」として大会に参加。2010年(平成22年)1月10日の第11回谷川真理ハーフマラソンでは1時間6分49秒で優勝[9]東京マラソン2010では優勝した藤原正和と17秒差の2時間12分36秒で4位に入った[10][11]

2011年(平成23年)1月23日には、第16回全国都道府県対抗男子駅伝競走大会に埼玉代表で7区・アンカーで出場(区間41位・総合37位)。2011年2月6日の第65回香川丸亀国際ハーフマラソンでは当時ハーフマラソンの自己ベスト記録をマークし9位。

世界陸上選手権初出場

同年2月27日東京マラソン2011では、尾田賢典、入船敏藤原新らを抑え、2時間8分37秒の自己ベスト記録をマーク、日本人トップとなる3位に入った。これで「2時間9分30秒を切って日本人トップ」という日本陸上競技連盟の代表選考基準をクリアしたため、2011年9月開催の世界陸上大邱大会の男子マラソン日本代表に内定した[11][12]

その世界陸上大邱大会男子マラソン本番では、レース前半は先頭集団の一番前の方を走る積極性を見せたが、16km付近で集団から脱落。一時は30位前後まで下がったが、30kmを過ぎた後で数人の選手を追い抜き順位を上げ、結果日本人三番手の18位でフィニッシュ[13]。ゴール直後は東京マラソン2011同様に昏倒して担架に運ばれ、インタビューを受ける事は出来なかった。[14]

同年10月30日に開催の記念すべき第1回大阪マラソンは、日本男子ではトップとなる4位だった。それから約1か月後の同年12月4日、翌2012年(平成24年)8月開催のロンドンオリンピック国内選考レースの福岡国際マラソンに出場。中間点付近で一旦は日本人争いの集団から遅れるも徐々に追い上げ、36Km過ぎでは今井正人前田和浩に追いつき、その後二人をかわして日本人トップの2時間10分を切るタイムをマーク、3位でゴール。その福岡国際からわずか2週間後の同年12月18日防府読売マラソンへ出場。フルマラソンでは3大会連続で日本人首位の成績だったが、同大会2連覇のセルオド・バトオチル(モンゴル)に突き放され惜しくも2位。

ロンドン五輪落選

2012年2月5日の第66回香川丸亀国際ハーフマラソンでは27位ながらも、昨年の同大会より22秒上回る自己ベスト記録を達成。ロンドン五輪国内選考レースに再挑戦となる同年2月26日東京マラソン2012で、日本人トップと自己記録を目指して出走したが、23Km過ぎで日本人争いの第2集団から脱落し14位に終わる。この惨敗が響いて同年3月12日に行われたロンドン五輪男子マラソン日本代表の発表では、正式な代表選手補欠メンバーにも選出されなかったが、川内本人は五輪落選時のインタビューで「実力が足りなかった。公平な選考がなされたと思います」と潔く受け入れながらコメントした[15]

五輪落選後も、短いスパンでフルマラソン・ハーフマラソン等のレースに出場。2012年4月15日かすみがうらマラソンでは、末弟のペースメーカー役を務めていたが、弟が中間点を過ぎてついていけなくなると、兄・優輝は後半追い上げ先行する選手を次々追い抜き、ゴールタイムは平凡ながらも自身初めてのフルマラソン優勝を達成した[16]。同年5月13日の第22回仙台国際ハーフマラソンは、日本男子ではロンドン五輪代表の藤原新(2位)に次いで4位に入った[17]

人物・エピソード

現在は公務員ランナーとして、春日部高校定時制で事務を担当する傍ら、主に駒沢オリンピック公園を拠点に練習を行っており、青島健太は「最強市民ランナー」と評している[18]ほか、マスコミも「日本男子最速の市民ランナー」という表現を用いている[19][20]。過去に何度か実業団の強豪チームからスカウトを受けたこともあったが「今のスタイルで結果が出ている」として頑なにスカウトを断っている[21]。その一方で川内は「実業団には負けたくない。いつも『死んでもいい』という思いで走りますから」と強烈な自負を持ち続けている。

実際川内が東京マラソン2011で日本男子トップの3位に入った際、実業団主導の日本男子マラソン界に大きな衝撃を与え、また日本陸連男子マラソン部長及び中国電力陸上部監督の坂口泰は「実業団の選手達はショックでしょう」としながらも、川内の快挙に対して賛辞を惜しまなかった[22]。本業は全く陸上競技と関わりが無かったものの、川内本人は世界陸上選手権の内定代表選出に関して「有給休暇が使い切れていないのでこういう時に使わせてもらう」として、特別の休みを取っての大会出場に意欲を見せていた[23]

フルマラソンでは常に全身全霊で力を振り絞って突っ走るためか、マラソンのゴール直後はほぼ毎回意識朦朧の状態で倒れ込み、医務室へ運ばれる事態となっている。川内本人は「本当は医務室とはお世話にならない選手になりたいのですが、100%近く力を出し切らないと勝負にならないので」としきりに頭を掻きながらコメントしていた[24]

大の漫画好き。特に陸上競技を題材とした漫画を集めており「長距離マンガなら日本で有数のコレクターだと思う」(本人談)という[25]。2011年世界陸上の際もお気に入りの漫画持参で現地入りしている[26]

2001年(平成13年)世界陸上エドモントン大会2005年(平成17年)世界陸上ヘルシンキ大会男子400mHで二大会銅メダリストの為末大が2011年6月にゲスト出演した春日部高の同校講演会で対談が実現した[27]。なお対談終了後の為末は、川内の印象に対して「やっぱり変な奴だと思いましたね」と苦笑いした。

世界陸上大邱大会・男子マラソンでは個人戦で18位に留まったが、医務室で休んでいる最中日本代表のマラソン団体戦は2位に入った事を聞かされた後「団体の銀メダルに貢献出来て嬉しい」と涙を浮かべ、「僕みたいにスピードが無くても日本人の粘りがあれば、マラソンはやれるんだと証明できた」と自身も納得のコメントを述べている[28][29]。そのマラソン本番翌日の2011年9月5日、日本帰国便の飛行機を空港ロビーで待機中に、男子マラソン元日本記録保持者でマラソン15戦10勝の実績を持つ瀬古利彦と対面。瀬古からは「オレの記録(2時間8分27秒)を抜きなさい」と発破を掛けられていた[30]

レース前に「2時間7分台を狙う」と宣言した東京マラソン2012だったが、序盤で給水ボトルが取れず動揺した影響もあってか、中盤で日本人トップ争いからズルズル後退してしまい完敗。その翌日の2012年2月27日、記者陣の前に現れた川内は母親に頼んで五厘刈りスキンヘッドの髪型にして登場。「大勢の方の期待に応えられず悔しいし、情けない。誠意を示すために丸めました」と目に涙をためながら謝罪した[31]

なお東京マラソン2012では、レース前の記者会見で当時の無職ランナー・藤原新との口撃バトルが繰り広げられ、前男子マラソン世界記録保持者のハイレ・ゲブレセラシェがその二人を宥めようとする場面があった[32]。その東京マラソン本番は、藤原が日本人トップの2位に入りロンドン五輪男子マラソン代表に選出されたが、川内は14位で五輪落選と明暗が分かれる結果となる。2012年3月31日には、藤原の誘いで埼玉県の荒川沿いにて川内との合同練習を公開していた[33]

主な戦績(マラソン以外)

年月 大会 距離 結果 記録 備考
2007年1月 第83回箱根駅伝 20.8 km 6区・区間6位 1時間00分24秒 関東学連選抜
2009年1月 第85回箱根駅伝 20.8 km 6区・区間3位 59分27秒 関東学連選抜
2010年1月 第11回谷川真理ハーフマラソン 21.0975 Km 優勝 1時間6分49秒
2011年1月 第12回谷川真理ハーフマラソン 21.0975 Km 3位 1時間6分40秒
2011年1月 第16回全国都道府県対抗男子駅伝競走大会 13.0 km 7区・区間41位 39分57秒 埼玉代表・総合37位
2011年2月 第65回香川丸亀国際ハーフマラソン 21.0975 Km 9位 1時間2分40秒
2011年6月 第6回隠岐の島ウルトラマラソン 50.0 Km 途中棄権 (残り1Km付近で昏倒) レース後救急車で搬送
2011年7月 第54回札幌国際ハーフマラソン 21.0975 Km 63位 1時間7分12秒
2012年1月 第13回谷川真理ハーフマラソン 21.0975 Km 2位 1時間6分19秒
2012年2月 第66回香川丸亀国際ハーフマラソン 21.0975 Km 27位 1時間2分18秒 自己ベスト記録
2012年3月 さいたまシティマラソン 21.0975 Km ゲスト出場 1時間4分26秒 招待選手での出場により参考記録
2012年4月 焼津ハーフマラソン 21.0975 Km 優勝 1時間3分48秒 大会新記録
2012年5月 第22回仙台国際ハーフマラソン 21.0975 Km 4位 1時間3分49秒

マラソン全成績

年月 大会 順位 記録 備考
2009年2月 別府大分毎日マラソン 20位 2時間19分26秒 初マラソン
2009年3月 東京マラソン2009 19位 2時間18分18秒 世界陸上ベルリン大会選考レース
2009年12月 福岡国際マラソン 13位 2時間17分33秒 広州アジア競技大会選考レース
2010年2月 東京マラソン2010 4位 2時間12分36秒
2010年12月 福岡国際マラソン 10位 2時間17分56秒 世界陸上大邱大会選考レース
2011年2月 東京マラソン2011 3位 2時間08分37秒 自己ベスト記録・世界陸上大邱大会選考レース
2011年9月 世界陸上大邱大会 18位 2時間16分11秒 男子マラソン団体戦・日本代表銀メダル獲得
2011年10月 大阪マラソン 4位 2時間14分31秒 日本人最高順位
2011年12月 福岡国際マラソン 3位 2時間09分57秒 日本人最高順位・ロンドン五輪選考レース
2011年12月 防府読売マラソン 2位 2時間12分33秒 日本人最高順位
2012年2月 東京マラソン2012 14位 2時間12分51秒 ロンドン五輪選考レース
2012年4月 かすみがうらマラソン 優勝 2時間22分38秒 マラソン初優勝
2012年4月 デュッセルドルフマラソン 8位 2時間12分58秒 初の欧州マラソン参戦

自己記録

種目 記録 年月日 場所 備考
5000m 13分59秒38 2011年9月25日 日体大長距離記録会
10000m 29分2秒33 2010年6月20日 ホクレンディスタンス
ハーフマラソン 1時間2分18秒 2012年2月5日 香川丸亀国際ハーフマラソン
マラソン 2時間8分37秒 2011年2月27日 東京マラソン 日本歴代21位
歴代記録は当時の順位

脚注

  1. ^ a b c d e 『日刊スポーツ』2012年2月22日第6版20面
  2. ^ 川内優輝インタビュー - スポーツ総合サイト:Sports@nifty
  3. ^ 鷲宮を世界にPR 世界陸上マラソン・川内選手”. 埼玉新聞 (2011年5月22日). 2011年5月28日閲覧。
  4. ^ 陸上競技部・川内優輝君 第85回箱根駅伝大会の結果について”. 学習院大学 (2009年1月5日). 2011年2月27日閲覧。
  5. ^ 東京マラソン:埼玉県職員が快挙 川内、世界選手権へ”. 毎日新聞 (2011年2月27日). 2011年2月27日閲覧。
  6. ^ 「山下りをもう一度」学習院大、川内優輝”. 読売新聞 (2007年10月19日). 2011年2月27日閲覧。
  7. ^ 院長表彰(スポーツ活動賞)(”. 学習院大学 (2009年2月27日). 2011年2月27日閲覧。
  8. ^ 世界選手権は有給休暇で…川内選手は公務員”. 読売新聞 (2011年2月27日). 2011年2月27日閲覧。
  9. ^ “箱根ランナー”が優勝/谷川真理ハーフ”. スポーツニッポン (2010年1月11日). 2011年2月27日閲覧。
  10. ^ 藤原正が日本人初優勝! 2位は藤原新、3位は佐藤敦 女子はビクティミロワがV”. スポーツナビ. 2011年2月27日閲覧。
  11. ^ a b 東京マラソン:“市民ランナー”川内が3位 世界選手権へ”. 毎日新聞 (2011年2月27日). 2011年2月27日閲覧。
  12. ^ 川内3位、世界選手権代表に=メコネン優勝、女子は樋口2位-東京マラソン”. 時事通信 (2011年2月27日). 2011年2月27日閲覧。
  13. ^ 世界陸上:男子マラソン決勝 実況 - スポーツナビ・2011年9月4日
  14. ^ ワールドカップマラソン公式結果- IAAF World Championships Deagu 2011 RESULTS
  15. ^ >川内「公正な選考」今後も公務員ランナー”. 日刊スポーツ (2011年3月13日). 2011年3月13日閲覧。
  16. ^ >川内 ペースメーカーだったのに…マラソン人生初V”. スポニチ (2011年4月16日). 2011年4月16日閲覧。
  17. ^ >藤原地力、終盤加速 仙台ハーフマラソン・男子”. 河北新報 (2011年5月13日). 2011年5月14日閲覧。
  18. ^ 最強市民ランナーの川内選手、「僕はアフリカの選手よりハングリー」 - 日経BPネット・BPnetビズカレッジ
  19. ^ 第65回福岡国際マラソン - 九州朝日放送
  20. ^ 柏原、マラソン4分台の夢へ「絶対に勝ちたい」 - スポーツ報知
  21. ^ 川内優輝が世界陸上代表内定 市民ランナーが日本人トップ - 中日スポーツ・2011年2月28日
  22. ^ 【東京マラソン特集】公務員ランナー実業団に衝撃「死んでもいい」の執念 - msn産経フォトニュース・2011年2月28日
  23. ^ 実業団勢抑えた川内選手 世界選手権は「有給で」 - スポニチアネックス・2011年2月27日
  24. ^ 川内、日本人最高4位もゴール後に医務室直行…第1回大阪マラソン - スポーツ報知・2011年10月31日
  25. ^ 川内 陸上マンガ持って大邱入り - 中日スポーツ・2011年9月1日
  26. ^ 川内、漫画6冊持参で韓国入り/世界陸上 - 日刊スポーツ・2011年9月1日
  27. ^ 川内、為末選手が対談、「文武両道」高校生に語る…埼玉 - 読売新聞・2011年6月6日
  28. ^ 市民ランナー川内はマラソン団体2位に感涙「完全燃焼」で医務室直行 - msn産経ニュース・2011年9月4日
  29. ^ 川内、完全燃焼の18位「粘りがあればマラソンはやれる - msn産経ニュース・2011年9月4日
  30. ^ 川内、瀬古さんからエール「俺の記録を抜け」…陸上 - スポーツ報知・2011年9月6日
  31. ^ 川内、「けじめ」の丸刈り 東京マラソンから一夜明け- 朝日新聞・2012年2月27日
  32. ^ 川内、藤原新を“口撃”「僕は7分台」…26日号砲、東京マラソン- スポーツ報知・2012年2月25日
  33. ^ 藤原新、川内と合同練習12キロ/マラソン- サンスポ・2012年3月31日

関連書籍

外部リンク