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蕭荘

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永嘉王 蕭荘
第7皇帝
王朝
在位期間 558年 - 560年
姓・諱 蕭荘
生年 548年
没年 578年
元帝(第4子)
年号 天啓558年 - 560年

蕭荘(しょう そう)は、南朝の最後の第7代皇帝。ただし、代数には数えられないことが多く、廟号諡号もなく、王号で永嘉王と呼ばれる。父親は元帝の長男蕭方等

554年西魏江陵を攻撃し、元帝を殺害した際、当時7歳の蕭荘は民家に隠れて難を逃れた。後に王琳に発見され、建康へと送られた。敬帝が即位した後、蕭荘は人質として北斉に送られている。

557年陳霸先により蕭方智が擁立されると、王琳は北斉に対し蕭荘の帰還を要求する。北斉から帰還することとなった蕭荘は、郢州において王琳らにより皇帝に擁立され、長江上中流域を拠点と定めた。その後、蕭荘の南梁と陳霸先のは数度にわたる戦火を交えることとなった。

560年、王琳と陳朝の侯瑱が蕪湖で交戦した際、この機会を利用して北周が郢州を攻撃、王琳は敗れ、蕭荘も北斉へと亡命を余儀なくされる。南朝正統を自称する陳に対抗すべく、北斉は蕭荘を梁王に封じ、梁朝復興に支援を行うが、北斉の滅亡により実現することはなかった。後に北斉の後主北周によって殺されたことを聞いた蕭荘は、痛憤のあまりにて死去したという。

先代
敬帝
皇帝
(557年 - 560年)
次代