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下目黒

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日本 > 東京都 > 目黒区 > 下目黒
下目黒
日本
都道府県 東京都
特別区 目黒区
面積
 • 合計 0.97 km2
人口
2007年(平成19年)8月1日現在)
 • 合計 16,344人
 • 密度 16,849.48人/km2
等時帯 UTC+9 (JST)
郵便番号
153-0064

下目黒(しもめぐろ)は、東京都目黒区の地名。下目黒一丁目から六丁目までが設置されている。郵便番号は〒153-0064。総世帯数は9,081戸、総人口16,344人(2007年平成19年)8月1日現在)。面積は0.97平方km、人口密度は16,849.48人/平方km。

地理

権之助坂(目黒通り

目黒区東部地区に属する[1]。北で目黒一・二・三・四丁目、東で品川区上大崎四丁目、南で品川区西五反田三・四丁目、南西で品川区小山台一・二丁目、西で目黒本町一丁目、北西で仲町一丁目と接する。町域の東部には平安時代前期の創建とされる瀧泉寺(目黒不動)があり、毎月28日の縁日には多くの人出で賑わいを見せる。

一丁目と三丁目は坂が多く、なかでも行人坂は都内屈指の急坂である。四半世紀前の冬、凍結した行人坂をはるか下まで滑り落ちて大怪我する歩行者が続出することがあり、現在では手すりが取り付けられている。

目黒駅を出発し、坂の町である一丁目を下ると目黒川で、目黒川を越すと平坦な二丁目。山手通りを越すと今度は上りになって三丁目。4-6丁目は平坦である。

主な坂

  • 権之助坂 (一丁目)
  • 行人坂 (一丁目)
  • 三折坂  (三丁目)
  • 石古坂  (三丁目)
  • 男坂 女坂(目黒不動境内)(三丁目)

歴史

地名の由来

下目黒の地名は旧来の下目黒村に由来する。「目黒」の地名の由来は諸説あり定かでない。瀧泉寺(目黒不動) に祀られる不動明王に由来するともいう。

目黒花壇・苔香園

下目黒4丁目付近に存在した庭園。 明治35年ごろに開園し、大正9年ごろ閉園した。 明治時代には向島百花園と並ぶ野趣あふれる庭園として有名であった。

目黒競馬場

下目黒4丁目~6丁目付近に存在した競馬場。1907年明治40年)開場、宅地化の波に押され1933年昭和8年)閉場。 その役割は現在の東京競馬場(府中市)に引き継がれている。 目黒通りを走る東急バス「元競馬場前」近くには目黒競馬場跡を示す銅像が建てられている。

大円寺

行人坂の途中にある大円寺は見るべき仏像の多い古刹だが、明和九年(1772年)の江戸の大火事・明和大火の火元になったことで知られる寺である。幕末に再建を許された大円寺は現在は都内唯一の石造り五百羅漢で知られ、五百羅漢は都の文化財になっている。本尊の釈迦如来来立像は国の重要文化財である。[2]

交通

鉄道

地内に駅は置かれていないが以下の駅が利用できる。

バス

東急バス 

  • 黒01(目黒駅前-清水・サレジオ教会-大岡山小学校前)
  • 黒02(目黒駅-清水-二子玉川/等々力七丁目)
  • 東98(等々力操車所-目黒駅前・東京タワー-東京駅南口) 
  • 渋41(渋谷駅-大鳥神社前-大井町)
  • 渋72(渋谷駅東口-目黒不動尊-五反田) 毎月28日は縁日ダイヤ

道路・橋梁

道路

橋梁

  • 目黒新橋

施設

目黒川とアルコタワー(正面)、目黒雅叙園(右)

大使館・公使館

行政

  • 目黒消防署

保育・教育

  • 目黒区立不動小学校
  • 目黒区立第三中学校
  • 目黒区立第四中学校
  • 東京学園高等学校
  • 多摩大学中学校・高等学校

公園・レクリエーション・スポーツ

文化

本社を置く有名企業

  • 株式会社ホリプロ
  • メルク株式会社
  • 紀伊国屋書店
  • パナソニックシステムネットワークス株式会社
  • ポルシェジャパン株式会社
  • マースジャパンリミテッド
  • 中央三井インフォメーションテクノロジー
  • サトーホールディングス株式会社
  • ヤマハ音楽振興会(財)

史跡

脚注

関連項目

外部リンク