菅沼権之助
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菅沼権之助(すがぬまごんのすけ)は江戸時代元禄時代の江戸近郊中目黒村田道の名主、目黒・権之助坂を開いた人物。
刑死したが、その理由は諸説あり、無断で権之助坂を開いたことが咎められたとも、貧しい小作農のために年貢軽減を嘆願したことが罪に問われたとも、実は名主などではなく強盗を働き処刑されたともされる。墓は現在も目黒区中目黒5-6-14にある。強盗で刑死したのであれば当時の情勢では墓を作ることが許される可能性は低く、おそらく菅沼権之助は目黒・行人坂の急登に苦労する人々あるいは貧しい農民のために働き命を落とした義の人であろうとされる。(目黒区史には悪人説の言い伝えが載っている)
参考文献
人物往来社編集『江戸史跡事典 上巻』人物往来社、2007年。p.182