八百屋お七
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/3/33/Yaoya_Oshichi_by_Utagawa_Kuniteru_1867.jpg/240px-Yaoya_Oshichi_by_Utagawa_Kuniteru_1867.jpg)
八百屋お七(やおやおしち、寛文8年(1668年)? - 天和3年3月29日(1683年4月25日))は、江戸時代前期、江戸本郷の八百屋太郎兵衛の娘。
幼い恋慕の挙げ句に放火未遂事件を起こしたことで知られる。一途な悲恋として井原西鶴によって取り上げられ、後に浄瑠璃など芝居の題材となった。
生涯
下総国千葉郡萱田(現・千葉県八千代市)で生まれ、後に江戸の八百屋太郎兵衛の養女となった。生年については1666年(丙午の年)とする説があり、それが丙午の迷信を広げる事となった。(後述する、お七が提出した記録によれば、生年は1669年。)
お七の家は天和2年12月28日(西暦1683年1月25日)の大火(天和の大火)で焼け出され檀那寺(駒込の円乗寺、正仙寺とする説もある)に親と共に避難した。寺での避難生活の中でお七は、寺の小姓生田庄之助(吉三もしくは吉三郎とも、または武士であり左兵衛とする説もあり)と恋仲になる。やがて新居が再建され、お七一家はその寺を引き払ったが、お七は寺小姓への想いが募るばかり。そこでもう一度火事が起きたら会えるかも知れないと考え、寺小姓に会いたい一心で自宅に放火した。火はすぐに消し止められぼやにとどまったが、お七は放火未遂を起した罪で捕縛されて、鈴ヶ森刑場で火刑に処された。遺体は、お七の実母が哀れに思い、故郷の長妙寺に埋葬したといわれ、過去帳にも簡単な記載があるという。
その時彼女はまだ16歳(当時は数え年が使われており、現代で通常使われている満年齢だと14歳)になったばかりであったため町奉行・甲斐庄正親は哀れみ、何とか命を助けようとした。当時、15歳以下の者は罪一等を減じられて死刑にはならないと言う規定が存在したため、甲斐庄はこれを適用しようとしたのである。厳格な戸籍制度が完備されていない当時は、役所が行う町人に対する年齢の確認は本人の申告で十分であった。
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甲斐庄は評定の場において「お七、お前の歳は十五であろう」と謎を掛けた。それに対し彼女は正直に16歳であると答えた。甲斐庄は彼女が自分の意図を理解出来てないのではと考え、「いや、十五にちがいなかろう」と重ねて問いただした。ところが彼女は再度正直に年齢を述べ、かつ証拠としてお宮参りの記録を提出することまでした。これではもはや甲斐庄は定法どおりの判決を下さざるを得なかった[1]。
八百屋お七を題材にした作品
お七の作品化
お七処刑から3年後の貞享3年(1686年)、井原西鶴がこの事件を『好色五人女』の巻四に取り上げたことで、お七は有名となった。以後、浄瑠璃・歌舞伎の題材として度々脚色された。
お七を題材とする作品には、紀海音の『八百屋お七』、菅専助らの『伊達娘恋緋鹿子』、為永太郎兵衛らの『潤色江戸紫』、四代目鶴屋南北の『敵討櫓太鼓』、二代目河竹新七(黙阿弥)の『松竹梅雪曙』などがある。芝居では寺小姓と再会するため、火の見櫓の太鼓を叩こうとする姿が劇的に演じられる場面が著名である。「櫓の場」といわれる。寛政年間にこのお七の役で知られた四代目岩井半四郎が、お七の墓を小石川の円乗寺に建立した。
お七の伝説
「八百屋お七」を題材とするさまざまな創作が展開されるのに伴い、多くの異説や伝説もあらわれるようになった。
お七の幽霊が、鶏の体に少女の頭を持った姿で現れ、菩提を弔うよう請うたという伝説もある。大田蜀山人が「一話一言」に書き留めたこの伝説をもとに、岡本綺堂が「夢のお七」という小説を著している[2]。
「八百屋お七」のモデルとして、大和国高田本郷(現在の大和高田市本郷町)のお七(志ち)を挙げる説もある。高田本郷のお七の墓と彼女の遺品の数珠は常光寺に現存する。地元では、西鶴が高田本郷のお七をモデルに、舞台を江戸に置き換えて「八百屋お七」の物語を記したと伝えている[3]。
第二次世界大戦後の作品
1979年、青二プロ設立10周年イベント「VOICE VOICE VOICE」において、青二プロの声優たちによる朗読劇「お七炎上」が行われた。総監督は柴田秀勝。お七役は増山江威子、吉三郎は富山敬が演じた。この模様を収録したLPが日本コロムビアから発売されていた。
2011年、日本のメタルバンドLIGHT BRINGERが、お七を題材にした楽曲Burned 07を発表、シングルCDとして発売した。作詞はボーカルのFuki。
関連項目
- 江戸の火事
- 3月29日 - この日は「八百屋お七の日」となっている[4]
- 大円寺 (目黒区) - 「吉三」がのちに出家し、明王院の僧となったとする由来を伝える。明王院はのちに大円寺と合併。
- BU・SU - 主人公が文化祭の舞台で八百屋お七を舞う場面がある。