コンテンツにスキップ

ノート:坂東八平氏

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

これはこのページの過去の版です。124.212.201.149 (会話) による 2012年9月8日 (土) 21:47個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (→‎両論併記)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

歴代の板東八平氏の詳細を希望します。--以上の署名のないコメントは、60.56.178.62会話/Whois)さんが 2006年1月27日 (金) 00:11‎ (UTC) に投稿したものです。[返信]

両論併記

ある歴史事実に関して諸説ある場合、編集者の独自の判断でいずれかの説のみを採用して他の説を棄却するのは「独自研究」になってしまいます。説が複数ある場合は、それらすべてを記載するのがWikipediaの方針としては正しい編集になります。どの説が「正しい」かを編集者が独自に判断してはいけないのです。もちろん出典のない記述に関しては出典を求める必要がありますが、拙速に一方の説のみを削除するのは公正な編集とは言えません。何とぞWikipediaの方針をご理解の上、独自研究とならないよう、適切な編集を心がけていただきますようお願いいたします。--Horlicks会話2012年9月7日 (金) 15:36 (UTC)[返信]

なお、追記ですが、坂東平氏の祖先を平良文とするのは、現在でも多くの文献に見られることですので、その点でも「仮冒である」という説のみを採用するのはまずいです。--Horlicks会話2012年9月7日 (金) 15:39 (UTC)[返信]

失礼しました。プロジェクト‐ノート:日本史の方は気がついたのですが、こちらは気が付きませんでした。
「プロジェクト‐ノート:日本史」の方にも書かしていただいたのですが、内容について私に何か主張があるわけではありません。宝賀寿男のホームページのリンク切れを直そうと思ったのですが、長年「独自研究」のタグが貼ったまま放置され、みっともないと思ったので、書式を直したということです。新しい情報を付け加えたわけではなく、ルールに従えばこうなるということで、論理の帰結であり私が何か判断したわけではありません。
両論併記と仰りますが、「従来説(良文祖説)」と「新説(仮冒説)」の両論という考え方もできますので、それなら両論併記になっていないわけではありません。「仮冒説」と「それに対する反論」についてなら、「仮冒説」には出典が付けられておりますので「独自研究」ではなく「それに対する反論」は無いと考えられますので、その意味での両論併記というのはないのではないでしょうか?
いずれにしろ機械的にやってみただけのことで、内容について何か主張があるわけではありません。しかしルールの解釈については、自分勝手な解釈をする人が多いと思っているということです。そういうことで「その点でも「仮冒である」という説のみを採用するのはまずいです。」といういわゆる大人の考え方は嫌いです。それなら、もう一方の説を追加すれば良いはずで、それはだれにでも許されているはずです。なお、「仮冒である」という説のみが残ったのは、機械的な作業の結果であって私の判断ではありません。人名辞典などでは「従来説」が採用されている、ということが書かれてないのは元々無かったからで、これも私の判断ではありません。
私の主張は、ルールの解釈は厳密であるべきで、大人の解釈はすべきでないということです。それなら IP User も、常連も、定められた範囲内では平等だからです。内容について何か主張があるわけではありませんので後はお任せしますが、ルールの解釈においては「大人の解釈」はされないことを望みます。--124.212.201.149 2012年9月8日 (土) 21:47 (UTC)[返信]