中田翔
北海道日本ハムファイターズ #6 | |
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基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 広島県広島市中区 |
生年月日 | 1989年4月22日(35歳) |
身長 体重 |
182 cm 95 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 左翼手、一塁手 |
プロ入り | 2007年 高校生ドラフト1巡目 |
初出場 | 2009年5月23日 |
年俸 | 4,500万円(2012年) |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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中田 翔(なかた しょう、1989年4月22日 - )は、北海道日本ハムファイターズに所属するプロ野球選手(内野手)。
来歴・人物
プロ入り前
中学校は広島市立国泰寺中学校に進学。広島鯉城シニア時代は連盟記録となる通算51本塁打。リトルシニア全日本選抜ではアメリカ遠征で4本塁打を打ち、投手としても141km/hを計測した。
大阪桐蔭高校に進学すると、1年夏には五番・一塁手でレギュラーとなり、投手としても最速147km/hを計測。秋からはエースで四番を任され、翌2006年春には151km/hまで球速が伸びた。2年時は肩の故障で投手としては活躍が出来なかったものの、4番・ライトで出場し、打者として大阪大会新記録となる4試合連続本塁打、甲子園では推定飛距離140メートル弾、更に秋季近畿大会では紀三井寺野球場で推定飛距離170メートルの本塁打を打つ。この頃から「平成の怪物」と呼ばれるようになる。
3年生時(2007年)の7月6日、全国高校野球大阪大会直前の練習試合・生野工業高校戦にて当時の高校通算本塁打の新記録となる87本目の本塁打を記録。大阪大会の決勝ではエースの植松優友を擁する金光大阪高校と対戦し、投手としては初回に3失点、打撃でも厳しいマークに遭い5打数無安打とふるわず、チームも敗戦し甲子園出場を逃した。高校通算87本塁打、甲子園でも歴代7位となる4本塁打を打った。
同年10月3日のプロ野球ドラフト会議(高校生対象)においては、佐藤由規、唐川侑己と並んで「高校ビッグ3」と呼ばれ、北海道日本ハムファイターズ、阪神タイガース、オリックス・バファローズ、福岡ソフトバンクホークスに1巡目で指名され、抽選で交渉権を獲得した日本ハムに入団。同年11月6日、高卒新人としては史上5人目となる契約金1億円、出来高5000万円、年俸1500万円(推定)で契約。背番号は同年オフに現役引退した田中幸雄の6を引き継いだ。
ドラフト会議後、佐藤、唐川と共に『すぽると!』(フジテレビ)に出演した際に、「尊敬する人は?」との質問に対し「清原和博さんです」と答えた。清原本人も、中田に対して「俺の後継者」と期待を寄せている。
プロ入り後
高校時代は投手兼外野手だったが、日本ハム入団後は三塁手を志願(球団の育成方針とも一致)。入団1年目の2008年はオープン戦から木製バットへの対応に苦しみ、開幕を二軍で迎えた。6月に左手首を骨折(全治1カ月)。打撃フォームも固まらず、二軍で本塁打11を記録するも打率.255に終わり、一度も一軍に昇格することはなかった。
2009年3月、三塁手としては使えないと判断され、一塁手に専念。同年5月、二軍での好成績が評価され、初めて一軍に昇格。5月23日の対ヤクルト戦で7番・指名打者でプロ初出場、プロ初安打を記録。交流戦終了後に二軍へ降格。7月23日のフレッシュオールスターゲームでは、本拠地札幌ドームでイースタン・リーグ選抜の4番に座り、2安打2打点でMVPを獲得。9月2日、イ・リーグのシーズン最多本塁打記録を更新する28号本塁打を打った。最終的にイ・リーグでトップの本塁打30(リーグ新記録)と打点95(リーグタイ記録)を記録し二冠王獲得、打率も.326でリーグ2位と好成績を残し、プロ野球コンベンション2009にて、特別賞を受賞した。シーズン終盤に故障者が続出し、再び一軍に昇格、9月26日には守備機会のある一塁手としてのスタメン出場も果たし、9月27日に犠牲フライでプロ初打点を挙げた。また、日本シリーズにも第3戦で代打で初出場した。一軍での出場機会を増やすため、シーズンオフより外野手へ転向した。[1]
2010年、前年の長距離打者スレッジの退団と、レギュラー左翼手だった森本稀哲が故障で離脱した事もあり、開幕戦で7番・左翼手として自身初の開幕戦先発出場を果たし、杉内俊哉から自身初の2点適時打を打つ。その後も主に相手先発が左腕投手の試合で先発出場し、左翼手の守備も無難にこなしていたが、4月18日の試合を最後に二軍落ちする。その3日後の21日の二軍の試合で左ひざ半月板を損傷。5月10日に手術を受けた。[2]7月19日に一軍昇格。7番・指名打者として先発出場し、復帰後初安打。翌20日の対ロッテ戦にも先発出場し、大嶺祐太からプロ入り初本塁打(公式戦91打席目)を打った。8月6日には栂野雅史及び青山浩二から2打席連続本塁打を記録した。夏場には金子千尋、涌井秀章、和田毅らエース級の投手から立て続けに本塁打を打ったが、9月に入ると調子を落とし、最終的には打率.233、本塁打9、打点22に終わった。なお、9本の本塁打は全て7月20日から8月20日の約1ヶ月間に打ったものである。
2011年は開幕から19打席ノーヒットとスタートに苦しむもその後は成績を伸ばし、小谷野栄一の離脱後は4番打者に抜擢されるなどチームの主軸となり、初のオールスターゲーム出場も果たした。後半戦は不振に陥り、原因不明のめまいなどにも苦しんだがシーズンを通してレギュラーとして起用され、初の規定打席到達に加えともにリーグ3位となる18本塁打・91打点をマークした。しかし規定打席に到達した打者ではリーグワースト2位の133三振(1位との差は僅か1)、打率.237、リーグワーストとなる出塁率.283、OPSも.700を切るなど課題も残した。
2012年1月11日、高校の同級生と結婚したことを発表。[3]
プレースタイル
プロ入り以来打撃に試行錯誤していることもあり、打撃フォームの変遷が激しい。一本足打法やすり足ステップなどを模索したこともある。2011年にかつてのT-岡田を彷彿とさせる、がに股ノーステップ打法で本塁打を量産したため、オフには更なる下半身強化に取り組んだが、2012年に入ると一転低迷。現在はオーソドックスな左足を軽く上げるフォームになっている。
投手出身ということもあって強肩が特徴的である。肩が強いだけでなくコントロールも良く、2011年の外野での補殺数はリーグトップであった。
詳細情報
年度別打撃成績
年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
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2009 | 日本ハム | 22 | 38 | 36 | 3 | 10 | 2 | 0 | 0 | 12 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | 0 | 15 | 0 | .278 | .289 | .333 | .623 |
2010 | 65 | 230 | 210 | 20 | 49 | 5 | 1 | 9 | 83 | 22 | 0 | 0 | 0 | 2 | 15 | 0 | 3 | 61 | 8 | .233 | .291 | .395 | .687 | |
2011 | 143 | 572 | 527 | 49 | 125 | 32 | 2 | 18 | 215 | 91 | 4 | 0 | 0 | 8 | 31 | 2 | 6 | 133 | 12 | .237 | .283 | .408 | .691 | |
通算:3年 | 230 | 840 | 773 | 72 | 184 | 39 | 3 | 27 | 310 | 114 | 4 | 0 | 0 | 11 | 47 | 2 | 9 | 209 | 20 | .238 | .286 | .401 | .687 |
- 2011年度シーズン終了時
年度別守備成績
年 度 |
一塁 | 外野 | ||||||||||
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試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 守備率 | 試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 守備率 | |
2009 | 6 | 26 | 0 | 0 | 1 | 1.000 | - | |||||
2010 | 29 | 231 | 17 | 1 | 22 | .996 | 18 | 12 | 1 | 0 | 0 | 1.000 |
2011 | 25 | 80 | 9 | 0 | 4 | 1.000 | 139 | 208 | 11 | 5 | 1 | .978 |
通算 | 60 | 337 | 26 | 1 | 27 | .997 | 157 | 220 | 12 | 5 | 1 | .979 |
- 2011年度シーズン終了時
- 各年度の太字はリーグ最高
表彰
- オールスターゲーム敢闘選手賞:1回 (2012年第3戦)
- フレッシュオールスターゲームMVP (2009年)
記録
- 初記録
- 初出場・初先発出場:2009年5月23日、対東京ヤクルトスワローズ2回戦(札幌ドーム) - 七番・指名打者として先発出場
- 初打席・初安打:同上 - 2回裏一死、リッキー・バレットから
- 初打点:2009年9月27日、対福岡ソフトバンクホークス23回戦(福岡ドーム) - 7回表一死、犠牲フライ、大隣憲司から
- 初本塁打:2010年7月20日、対千葉ロッテマリーンズ14回戦(札幌ドーム) - 5回裏二死、大嶺祐太から
- 初盗塁:2011年4月24日、対東北楽天ゴールデンイーグルス3回戦(ほっともっとフィールド神戸) - 5回表に二盗(投手:川岸強、捕手:井野卓)
- その他記録
- オールスターゲーム出場:2回 (2011年 - 2012年)
背番号
- 6 (2008年 - )
- 5 (2009年U-26NPB選抜)
- 22 (2012年東日本大震災復興支援ベースボールマッチ)
登場曲
- 『応援歌』 / 湘南乃風 (2009年)
- 『Don't Cry HIROSHIMA』 / TEE (2010年~)
- 『Jump Around』 / House Of Pain (2011年~)
関連情報
著書
- 『翔! 頂点目指して』(2012年1月、徳間書店)
テレビ出演
脚注
- ^ 中田外野手転向プラン浮上
- ^ ニュース | 北海道日本ハムファイターズ
- ^ 中田、指輪キラリ!高校の同級生と結婚!!…日本ハム - スポーツ報知 2012年1月12日
関連項目
- 広島県出身の人物一覧
- 北海道日本ハムファイターズの選手一覧
- 水上善雄 - 入団当時の北海道日本ハムファイターズ二軍監督(2009年まで在籍)。公私ともに中田に対して自らの体験を基に指導している。
- 西岡剛 - 大阪桐蔭の先輩でミネソタ・ツインズ所属の大リーガー。2011年の自主トレで現在の打法を教え、飛躍に貢献した。
- ダルビッシュ有 - テキサス・レンジャーズ所属の大リーガー。水上と共に公私の付き合いが多く、人格形成に大きく影響している。ダルビッシュが日本ハム所属時の登板日には中田が決勝打を打ったり、共にヒーローインタビューを受けることが多い。
外部リンク
- 中田翔 オフィシャルブログ「野球道」 Powered by Ameba(2010年7月7日 - )
- 中田翔 (@Nakata_King) - X(旧Twitter)
- 高校野球ドットコム 独占インタビュー 第26回 中田 翔選手(2009.01.01.)
- 日刊スポーツ 中田翔特集