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石塚山古墳

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石塚山古墳
所在地 福岡県京都郡苅田町富久町1丁目
位置 北緯33度46分31.4秒 東経130度58分48.0秒 / 北緯33.775389度 東経130.980000度 / 33.775389; 130.980000座標: 北緯33度46分31.4秒 東経130度58分48.0秒 / 北緯33.775389度 東経130.980000度 / 33.775389; 130.980000
形状 前方後円墳
規模 墳丘長120m前後 
埋葬施設 竪穴式石室
出土品 三角縁神獣鏡7面以上 銅鏃 素環頭大刀 
築造時期 3世紀中頃~4世紀初頭
史跡 国の史跡(1985年指定)
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石塚山古墳(いしづかやまこふん)は、福岡県京都郡苅田町富久町1丁目に所在する古墳時代前期の前方後円墳。江戸時代に銅鏡などの遺物が発掘されている。1985年(昭和60年)に国の史跡に指定されている。

概要

周防灘を望む緩斜面に築造された前方後円墳である。周囲はやや削られており、推定全長120m、後円部高さ10m以上と思われる。前方部は墳丘上にある神社建立時に上面が削平されている。墳丘には葺石が見られるが、埴輪の存在は確認されていない。1796年(寛政8年)に長さ5.5m、幅・高さとも1mの竪穴式石室が発掘されているが現在は実見できない。

出土遺物

出土遺物は石塚山古墳より少し離れた宇原神社に所蔵されている舶載三角縁神獣鏡6種7面、素環頭大刀、銅鏃があるが、小倉藩主「小笠原家文書」によると銅鏡は11面(「宇原神社由来記」によると14面)と金具が出土したと伝えられる。現存する鏡は岡山県備前車塚古墳、京都府椿井大塚山古墳などの出土鏡と同笵である。鏡7面を含む出土品は1953年に国の重要文化財に指定されている。1987年に再発掘が実施され、後円部の石室は大破していることがわかった。この時の発掘では細線式獣帯鏡片、琥珀製勾玉、碧玉製管玉、小札革綴冑片などが出土した。

  • 石塚山古墳から出土したと伝えられ、現存する三角縁神獣鏡の種類の内訳と小林行雄らが明らかにした他の古墳との同笵鏡の分有関係は以下の通りである。
  1. 吾作銘四神四獣鏡(複像式)  京都府椿井大塚山古墳、岡山県備前車塚古墳、大阪府万年山古墳出土鏡と同笵
  2. 天王・日月・獣文帯四神四獣鏡(単像式)  福岡県御陵古墳出土鏡と同笵
  3. 天王・日月・獣文帯四神四獣鏡(単像式)  岡山県備前車塚古墳、奈良県新山古墳出土鏡と同笵
  4. 天王・日月・獣文帯三神三獣鏡一種2面   京都府椿井大塚山古墳、福岡県原口古墳、大分県赤塚古墳出土鏡と同笵
  5. 日月・獣文帯六神四獣鏡
  6. 日日日全・獣文帯三神三獣鏡

  以上6種7面である[1][2][3]

築造年代

石塚山古墳は京都府椿井大塚古墳、岡山県備前車塚古墳などと同じく墳丘に円筒埴輪列が見られない。また、出土遺物に石釧や車輪石、鍬形石などの石製腕飾類を含まず、出土鏡がすべて舶載鏡(中国鏡)と考えられる共通の要素を持っている。これらの共通の特徴を持つ古墳は従来から、古墳時代でもきわめて早い時期にあたる4世紀初めごろの年代が推定されてきた。しかし、最近はさらに年代を遡らせて、これらの古墳の築造時期を3世紀の中頃から後半を想定する考えも広がりつつある[4]

参考文献

  • 「石塚山古墳」 『日本遺跡事典』 大塚初重他編 吉川弘文館 1995年 723頁
  • 『図説日本の史跡 第3巻 原始3』、同朋舎出版、1991、p.214
  • 小林行雄『古墳時代の研究』 青木書店 1961年 99頁‐100頁 146頁‐155頁 291頁
  • 広瀬和雄『前方後円墳国家』 株式会社角川書店 2003年 151頁‐152頁

脚注

  1. ^ 小林「古墳時代」(1961)pp.99‐100
  2. ^ 小林「古墳時代」pp.146‐155頁
  3. ^ 小林「古墳時代」(1961)p.291
  4. ^ 広瀬「前方後円墳」(2003)pp.151‐152

交通アクセス

関連項目

外部リンク