大谷吉治
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大谷 吉治(おおたに よしはる ?-1615)は戦国時代、江戸時代初期の武将。越前国敦賀大名の大谷吉継の息子と言われているが詳細は不明。吉勝。吉胤。大学助。
1597年に豊臣秀吉が大谷家を訪問した時は、吉継の代わりに接待役を務めた。1598年に秀吉が死去すると形見分けとして「鏡切りの刀」を受け取る。
関ヶ原の合戦では吉継と共に西軍につき、北陸で前田勢を足止めしたのちに、関ヶ原に移動し奮戦するが、小早川秀秋軍が西軍を裏切り大谷隊を攻撃。部隊は壊滅し吉継は自害するが、吉治は敦賀に落ち延びる。その後は各地を流浪した。
1614年、大坂の陣が起こると大坂城に入城。1615年5月の天王寺・岡山での決戦では真田幸村隊の前線で戦った。松平忠直軍との戦闘中に討死。