カーティス・メイフィールド
カーティス・メイフィールド Curtis Mayfield | |
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![]() 1972年撮影 | |
基本情報 | |
出生名 | Curtis Lee Mayfield |
生誕 |
1942年6月3日![]() |
死没 |
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ジャンル | ソウルミュージック、リズムアンドブルース、ファンク |
職業 | シンガーソングライター、音楽プロデューサー |
担当楽器 | ボーカル、ギター、ベース、ピアノ、サキソフォン、ドラム |
活動期間 | 1958年 - 1999年 |
レーベル | カートン、ワーナーブラザーズ ライノ |
共同作業者 | インプレッションズ, ジェリー・バトラー |
著名使用楽器 | |
フェンダー・ストラトキャスター |
カーティス・リー・メイフィールド(Curtis Lee Mayfield、1942年6月3日 - 1999年12月26日)は、アメリカのミュージシャン、作曲家、マルチプレイヤー。
「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」に於いて第40位。
経歴
1942年、イリノイ州シカゴで生まれ、1958年にはジェリー・バトラー、サム・グッデン、リチャード・ブルックス、アーサー・ブルックスらとともにインプレッションズとして音楽活動を始める。バンドは、「フォー・ユア・プレシャス・ラヴ (For Your Precious Love)」などのヒットを出すが、その後リードヴォーカルのバトラーが脱退し、カーティスがヴォーカルをとることになった。インプレッションズはフレッド・キャッシュという新メンバーを迎えると再びヒット曲を量産するようになる。1965年に発表した「ピープル・ゲット・レディ (People Get Ready)」は、公民権運動を背景に大ヒットした。同楽曲はアレサ・フランクリンやジェフ・ベック等多くのカバーが発表されているほか、2004年に発表されたローリング・ストーンの選ぶオールタイム・グレイテスト・ソング500では第24位に選ばれている。
1970年にカーティスはインプレッションズを抜け、ソロ・アーティストととして活動を始め、マーヴィン・ゲイ、ダニー・ハサウェイ、スティーヴィー・ワンダーらと並んでニュー・ソウルと呼ばれた。また、1972年に公開のブラックスプロイテーション映画『スーパーフライ』のサウンドトラックアルバム『スーパーフライ』を発表、Billboard Hot 100で1位を獲得する。
プロデューサーとしても多くのアーティストの曲を手がけており、1975年にプロデュースしたザ・ステイプル・シンガーズ「レッツ・ドゥ・イット・アゲイン (Let's Do It Again)」とトニー・オーランド&ドーン「恋のシーソー・ゲーム(He Don't Love You(Like I Love You)」はBillboard Hot 100において共に1位を獲得した。
1990年、コンサート会場で照明機器の落下事故に巻き込まれ、その後遺症で半身不随となるものの、周囲の助力で1996年にアルバム『ニュー・ワールド・オーダー』を発表。
1999年12月26日にジョージア州ロズウェルの病院で死去、57歳だった。死因は発表されていない。
影響
アメリカのソウル、R&Bシーンに多大な影響を残したほか、ボブ・マーリーや山下達郎などにも強い影響を与えた。
ディスコグラフィ
- Curtis (1970年)
- Curtis Live (1971年)
- Roots (1971年)
- 『スーパーフライ』 Superfly (1972年)
- Back to the World (1973年)
- Curtis in Chicago (1973年)
- Sweet Exorcist (1974年)
- Got to Find a Way (1974年)
- There's No Place Like America Today (1975年)
- Give, Get, Take and Have (1976年)
- Never Say You Can't Survive (1977年)
- Do It All Night (1978年)
- Heartbeat (1979年)
- Something to Believe In (1980年)
- Love is the Place (1981年)
- Honesty (1982年)
- We Come in Peace With a Message of Love (1985年)
- Live in Europe (1988年)
- Take It to the Streets (1990年)
- New World Order (1996年)