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大江音人

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大江 音人(おおえ・の・おとんど 弘仁2年(811年) - 元慶元年(877年))は平安時代の貴族学者大枝本主の嫡男。母は中臣氏。大江千里大江千古らの父。

菅原清公から文章学について詳しく学んだ。管原是善らと貞観格式の撰上を担当。文徳実録の編纂、「群籍要覧」「弘帝範」にも関わった。

官職は、東宮学士~右中弁~左中弁~右大弁~参議~勘解由長官~検非違使別当、死去時には従三位行左衛門督であった。

音人の代から「大枝」から「大江」へと姓を改めているが、「枝が大きいと、本体である木の幹が折れる事にも繋がり不吉である」との理由であったようだ。しかし「大枝」姓は桓武天皇より授かったものであるので全面的に変更するわけにもいかず、読みかたはそのままで漢字だけ変えた。「大きな川(江)の様に末永く家が栄えるように」との意味があるという。