モデスト・エムバミ
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名前 | ||||||||||||||
ラテン文字 | Modeste M'bami | |||||||||||||
基本情報 | ||||||||||||||
国籍 |
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生年月日 | 1982年10月9日(41歳) | |||||||||||||
出身地 |
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身長 | 172cm | |||||||||||||
体重 | 67kg | |||||||||||||
選手情報 | ||||||||||||||
在籍チーム |
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ポジション | MF (DH) | |||||||||||||
背番号 | 7 | |||||||||||||
利き足 | 右足 | |||||||||||||
ユース | ||||||||||||||
1999-2000 |
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クラブ1 | ||||||||||||||
年 | クラブ | 出場 (得点) | ||||||||||||
2000-2003 2003-2006 2006-2009 2009-2011 2011-2012 2011 2012- |
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68 (0) 83 (1) 77 (1) 58 (1) 0 (0) 15 (3) 3 (0) | ||||||||||||
代表歴2 | ||||||||||||||
2000-2009 |
![]() | 38 (3) | ||||||||||||
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1. 国内リーグ戦に限る。2013年3月21日現在。 2. 2013年3月21日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
モデスト・エムバミ(Modeste M'bami, 1982年10月9日 - )は、カメルーン・ヤウンデ出身の同国代表のサッカー選手。
経歴
クラブ
初期
エムバミは、14歳の時にカジ・スポーツアカデミーが主催する大会で活躍したことで元カメルーン代表のミシェル・カムに見出され、同クラブで訓練を受けた[1]。その後、ディナモ・ドゥアラに参加し[1]、2000年夏にCSスダン・アルデンヌに移籍した。まだ、若手ながら1年目からリーグ・アンの舞台で10試合に出場し、チームの5位に貢献。翌シーズンから2年の間にレギュラーを務め60試合に出場したが、2003年にリーグ・ドゥに降格。その後、ウォルバーハンプトン・ワンダラーズFCと4年契約で一旦合意したものの、代理人がそれを翻し、最終的にパリ・サンジェルマンFCへ5年契約で加入した[2]。
パリ・サンジェルマン
パリ・サンジェルマンでの1年目は、リーグ戦2位, クープ・ドゥ・フランス戦で優勝と非常に良いシーズンを迎える中で経験はまだ乏しかったものの、ヴァヒド・ハリホジッチ監督の素晴らしい指導を受け、別の若手守備的MFロリック・カナと共に中盤を形成し、チームに大きく貢献した。しかし、翌シーズンは、チーム事情の悪さから1月の移籍市場での移籍を望んでいた[3]が、UEFAチャンピオンズリーグ 2004-05のPFC CSKAモスクワ戦で試合開始早々にイジー・ヤロシークのタックルを受けたことで3ヶ月の離脱を余儀なくされ[4]、その願いは叶わずに残留となった。2005-06シーズンは、レギュラーを奪取し再びクープ・ドゥ・フランス優勝に貢献した。
マルセイユ
2006年8月に3年過ごしたパリ・サンジェルマンに別れを告げると、ライバルのオリンピック・マルセイユと移籍金250万・3年契約で加入し、前シーズンに加入していたロリック・カナと再びコンビを組むこととなった[5]。マルセイユは、近年ライバルのパリ・サンジェルマンから2004年夏に副主将のフレデリック・デウとファブリス・フィオレーズの獲得を成功させると、2005年にロリック・カナ, そして2006年夏にエムバミと立て続けに4人もの選手を補強させていた。
マルセイユでは1年目からレギュラーとしてプレーし、トロワAC戦で決勝点を挙げる活躍を見せたことでサポーターの人気を集めた。2年目は、ジュリアン・ロドリゲズの度重なる負傷とガエル・ジヴェのパフォーマンスの低下からカナがCB, ベノワ・シェイルが左サイドに移ったことで、エリック・ゲレツ監督が就任してからも主力の1人としてプレーし、UEFAカップ 2007-08・FCゼニト・サンクトペテルブルクとの第1戦では、パスの出し手として高い技術を披露した。マルセイユで浮き沈みのある3シーズンを過ごしながらも活躍していたが、シーズン終了後は、契約満了と新たに就任したディディエ・デシャン監督の構想外となり退団した。その後、同じくフリーエージェントとなった同僚のタイエ・タイウォと共にプレミアリーグへの移籍を模索し始め[6]、ポーツマスFC, ボルトン・ワンダラーズFC, ウォルバーハンプトン・ワンダラーズ, ウィガン・アスレティックFCと次々とプレミアリーグのクラブのトライアルに参加[7]し、ウィガンでは、短期ながら契約の申し出があったもののそれを拒否する[8]と、2009年9月30日にスペインのUDアルメリアのトライアルを経て、同クラブと契約した[9]。
その後
2011年7月、フアン・ヘスース・グティエレス・ロブレス (フアニート)と共にアルメリアから放出されたエムバミは、中国2部の大連阿爾濱足球倶楽部に加入すると、すぐさま同国1部の長春亜泰足球倶楽部に貸し出された。しかし、2012年に大連阿爾濱へ復帰するも外国人枠の関係からプレーすることは出来ず[10]、同年8月1日にサウジアラビアのアル・イテハドへ2年契約で移籍した[11]。
代表
ユース時代は、1999年4月に開催された1999 FIFAワールドユース選手権に出場し、ベスト16に進出。ベスト16のU-20マリ戦で得点を挙げたが、4-5で敗退した。翌年のシドニーオリンピックでチームは優勝した際に決勝戦でエムバミの出番は無かったが、準々決勝・ブラジル戦でゴールデンゴールを決めるなど活躍した。
A代表としては、2000年6月18日のリビア戦で初招集され、FIFAコンフェデレーションズカップ2003で準優勝した。しかし、翌年11月11日にヴィンフリート・シェーファー監督の戦術を批難し、代表引退を表明していた[12]。その後、シェーファー監督の解任に伴い代表復帰し、2006 FIFAワールドカップ・アフリカ予選のメンバーとして戦っていたが、チームはコートジボワールと勝ち点差1で本大会行きを逃した。
タイトル
- 代表
- クラブ
パリ・サンジェルマンFC
- クープ・ドゥ・フランス : 2003-04, 2005-06
脚注
- ^ a b "L'émouvante confession de Modeste M'Bami"
- ^ "PSG grab M'Bami"
- ^ "Mbami seeks move from PSG"
- ^ "PSG、エムバミが戦線離脱"
- ^ "M'Bami set for Marseille"
- ^ "タイウォと共にプレミアを目指すエムバミ"
- ^ "Portsmouth set to snare Modeste M'Bami"
- ^ "Roberto Martínez rules out Wigan deal for Modeste Mbami"
- ^ "M'Bami nach Spanien"
- ^ "大连阿尔滨开始人员调整 三人将离队回收姆巴米"
- ^ "M'Bami à Al Ittihad"
- ^ "Mbami quits Cameroon"
外部リンク
- transfermarkt
- footballzz
- modeste-m-bami/1567 - Soccerwayによる個人成績
- モデスト・エムバミ - National-Football-Teams.com