コンテンツにスキップ

松井太久郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。EmausBot (会話 | 投稿記録) による 2013年3月23日 (土) 05:08個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (ボット: 言語間リンク 1 件をウィキデータ上の (d:Q1909098 に転記))であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

松井 太久郎(まつい たくろう、1887年12月3日 - 1969年6月10日)は、日本陸軍軍人。最終階級は陸軍中将

経歴

福岡県出身。農業・松井勘太郎の三男として生れる。東筑中学校を経て、1910年5月、陸軍士官学校(22期)を卒業し、同年12月、歩兵少尉に任官、歩兵第14連隊付となる。1917年11月、陸軍大学校(29期)を卒業。

以後、1918年8月、第12師団副官としてシベリア出兵に参加。参謀本部員(支那課)、関東軍司令部付、浦塩派遣軍参謀朝鮮軍司令部付(ウラジオストク駐在)、朝鮮軍参謀、欧州出張、陸軍省新聞班、関東軍参謀、陸軍技術本部付、近衛歩兵第2連隊付、大阪連隊区司令官、独立歩兵第12連隊長、支那駐屯軍司令部付(北平特務機関長)、北支那方面軍司令部付、関東軍司令部付(張家口特務機関長)などを歴任し、1937年11月、陸軍少将に進級。

駐蒙兵団司令部付、近衛歩兵第1旅団長、関東軍司令部付(満州国軍最高軍事顧問)などを経て、1940年8月、陸軍中将となった。同年10月、第5師団長に親補され、北部仏印進駐を担当。太平洋戦争では南方に派遣され、マレー作戦シンガポール攻略に従軍した。さらに、支那派遣軍総司令部付(汪政府最高軍事顧問)、支那派遣軍総参謀長、第13軍司令官を勤め、上海で終戦を迎えた。1946年7月、復員。

親族

  • 妻 松井幸子 高橋直武(陸軍少将)の娘。

参考文献

  • 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
  • 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。